連続:サラリーマン生活物語(その8)

2015年  17日 09:10
昭和63年に原料機材部の部長となる。部長になるのがある理由で1年延期になっていたが、原因を作った原料チームの佐藤チームリーダー兼副部長の話は後日にしよう。課はチームと呼称変更、特殊鋼チームが鋼板部所属となり当部は機材チーム、溶材チーム、原料チームの3チームになる。
部長となって残念だったのは楠支店長が大坂転勤となり代わって鷲尾支店長が来た事だ。交代が決まった時楠支店長から「JO君、君は以前九州に帰りたいと言っていたけど今未だ希望があるなら叶えることはできますよ」との言葉、もうその気は無いと伝えると「今度の支店長が君と合わないのではと心配になってね」との事、その時は余り気にしてなかったが、楠支店長の言われた意味が判った時は後の祭りだったね。
鷲尾がとんでもない支店長であった事を語るとこのページ2〜3枚でも足らない位で、この言葉だけで推測して戴きたい。要は自分の出世だけを考えて行動するタイプがそれに支店長と言う権力を握ったからあとは想像出来るだろう。
それは兎も角、部長になって嬉しかったのは会社から愛知カントリーのゴルフ会員権を貸与された事だ。愛知CCは土、日を中心に新日鉄や個人のプレイ、同時に取引先とのゴルフも増えて年間80回を越えた年があったのも事実だ。愛知CCクラブコンペにも良く参加したが優勝したのは「みどりの日杯」の1回だけ、2位、3位が結構あってPGAクラブ認定の最終ハンディは13だった。
2015_0414優勝カップ0003
左が愛知CCの優勝カップ、右は社内コンペ優勝で新日鉄賞のカップ、どちらも七宝焼だが愛知CCカップにはA、新日鉄賞には新日鉄のマークが焼きこまれており記念に残している。

日鐵商事(NS)の定年は当時55歳,その後は関連会社で5年位務めるのが通常であったが、定年がそろそろ近づいた頃に、私が名古屋に来る発端となった当時の機材課前任の谷地森課長が、この時「エヌエスビジネスオートメーション㈱」と言う、パソコン機器、ソフトを扱う日鐵商事の子会社に取締役で就任しており、私に役員として来て欲しいとの相談があった。私も今の支店長には失望の連続で、役員ならまぁいいかと承諾し最終連絡待ちをしていた時に私の運命を揺るがす大きな出来事が起こったのである。(続く)

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