徒然日誌  白鵬について

2017年  04日 09:33
先日インターネットに、東洋経済の十枝慶ニと言う人の文と思われる「白鵬の相撲が批判されるほど{荒々しい}事情、理想の{横綱相撲}から遠ざかったのはなぜか」と言うエッセイが載った。私は7/25の記事で白鵬の相撲の取り口の批判に対し、これで良いと思うとの自分の意見を述べたが、このエッセイを読んで更に良く私の気持ちを代弁してくれていると感激した。恐らく読んでいない人も多いと思うので抜粋して載せたいと思う。

・・略・・・白鵬はこれまで過去の横綱の姿を手本とし真摯に学んできた・・・それが大鵬であり、最も理想とするのが双葉山だ・・略・・双葉山を目指していた頃の白鵬は理想の相撲」を追い求めていたが、現在の白鵬は勝つ事を何よりも重視し、その為にあらゆる知恵と技と力を振り絞っている様に見える。荒々しさもそこから生まれたものだ。

白鵬がそんな道をを選んだのは、そうせざるを得ない状況になったからではないだろうか。・・略・・横綱はいくら負けても地位がさがる事はない特権があると同時に、優勝を争う力が無くなったら、例え若くても引退を迫られる。白鵬の様な大横綱は尚更だ。日本国籍を持たない白鵬にとって引退とは相撲協会と縁を切る事を意味する。・・略・・

白鵬の父はモンゴル相撲の大横綱であり、モンゴルに初の金メタルをもたらした国民的英雄だ。その息子の白鵬が日本に帰化するのが難しい事は容易に想像出来る。帰化せずに協会に残れる道はないかと模索したようだが無理だったようだ。・・略・・優勝から遠ざかれば引退を余儀なくされる。そんな状況で白鵬は悩んだ末に、理想の相撲を目指す事を捨て、やむを得ず勝つ事にこだわった相撲へと転換したのではないだろうか。・・略・・

名古屋場所の白鵬はこれまでにも増して荒々しく勝ちにこだわっている様にみえた。それは更に力の衰えを感じたからにほかならないだろう。・・略・・見方を変えれば、勝ちにこだわる白鵬の取り口は、理想の相撲では無くても「究極の相撲」だと言える。あらゆる手を使って勝とうと思った所で、それを実現できる力士などめったにいない。無数の引き出しを持った白鵬だからこそ実現できるのだ。

白鵬ほどの力士が、知恵と技と力を振り絞り、全ての引き出しを駆使して見せている現在の取り口は、空前絶後の究極の相撲なのではないだろうか。それを堪能するのも一つの見方だと思う。とはいえ、私自身、正直に言えば、勝ちにこだわる現在の白鵬を見て寂しく思う。しかしここ迄述べて来た様な事情から、白鵬が仕方なく現在の道を選んだのだとしたら、それを責めることなど到底できない。

白鵬は、今、帰化と言う重い決断をしつつあるという。もしそれが実現して、いつ引退しても相撲界に残れる道ができたなら、もう一度、理想の相撲を目指してはくれないだろうか。それが日本の相撲を愛する一フアンとしての私の勝手な願いなのだ。

かなり省略しライターに申し訳なかったが、私の思いも全て言い尽くしてくれたと思っている。これ以上話すのは野暮なことだ。今日の記事はこのエッセイだけになったが、気持ちを言葉で表すのは本当に難しいけれど、言葉と言うのは素晴らしいものだとつくづく思ったんだ。
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双葉山15歳 65kg   後の先の立会い、左双葉山    16歳初土俵白鵬68kg 見事勝利

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曼珠沙華 2枚目                 額紫陽花
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鮎                          花火

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-  2017, 08. 04 [Fri] 23:40

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