連続:サラリーマン物語(その4)

2015年  11日 11:39
昭和55年2月42歳の時に私は名古屋支店(中区栄:中心街)機材特殊鋼部機材課課長の辞令を受けた。本厄の年だ。
前任の谷地森課長が本社転勤に伴い旧入丸一年後輩の私を推薦してくれたようだ。もう転勤は無いだろうと49年に春日市に自宅を購入していたが、家族(妻、長男中学2年、長女小学6年、次男小学1年)は名古屋に一緒に行くと言う。
4月の新学期に合わせた手続きもあり、名古屋の住まい決め等時間も無かった為自宅は売却を決意し家族に先行して名古屋に出発。出発の前夜家族と自宅で食事をした後小林旭の「北へ」を皆の前で歌って少しほろりとした記憶があるなぁ。もう九州には帰れない気がしてね。
単身の約1ヶ月は本山寮で若い連中と一緒に過ごし近くのスナックで良く飲んだなぁ、他の部の連中だったが名古屋支店に早く馴染めたのはこのお陰だった。
橋詰支店長は入丸、加野次長は大鋼、機材特殊鋼部は機材の他に特殊鋼、原料、溶材と4つの課で構成され、木村部長は大鋼、副部長は入丸、他3課長は同年代の全員大鋼出身だ。営業部としては当部以外に鋼板部(長崎部長:入丸)、建材部(川上部長:大鋼)があった。
会社の社宅はあったが手狭だったので丁度入れ替わりに大坂転勤になった鋼板部塚田課長に頼まれた彼の自宅(丹羽郡扶桑町:通勤約1時間)を借り上げ社宅として住む事にし、学校関係の編入手続きも一通り済ませた。
初めての転勤(八幡⇒福岡は最初自宅からの通勤だったので転勤の気がしてなかった)であり名古屋は初めて、そもそも名古屋と言う都市は眼中に無かったしね。未だ新会社になって3年強、少し複雑な環境の中にあった事を理解していて欲しく今回は仕事の話まで行けなかったな。(続く)
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売却した春日市の自宅   名古屋の本山寮:もう早速に「恋の街札幌」をご披露・・・役者だね!

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