連続:サラリーマン生活物語(その2)

2015年  07日 09:36
会社は八幡製鉄、富士製鉄(後に合併して新日本製鉄)の鋼材を中心に商いをする専業問屋であり私は希望通り八幡支店配属となる。40人位のこじんまりした支店で製鉄所の鋼材受渡業務と営業が主、営業は鋼材、機械、化成品等の扱い品種の中で私は一般機械の営業担当となった。
営業内容や行動を細かく述べる気は無いが、雨が降ると何故か思い出すのは、入社間もない頃に鉄関係の工場地域を一軒一軒傘をさして歩きながら濡れた靴のまま飛び込み営業した辛かった日々。
入社4年目位で般若の旋盤を販売した小さな鉄工所が倒産して、分割手形が不渡りになったのに、未だ所有権が当方にある旋盤を転売してしまっていた為、更生証書手続き通り社長自宅の備品差し押さえを執行吏に同行して行った時、部屋の隅の勉強机に背中を丸め黙ってじっと座っていた中学生位の男の子の姿が当分脳裏から離れなかったなぁ。
田舎の小規模の土建屋が不渡り出した時、分割代金が残っていた小松のブルドーザーを、社長(と言うよりヤクザの親分)は後日支払うと言っていたけれど、斎藤支店長の引揚げ指示により事務所兼自宅に朝駆けし4日後にやっと了解を得てトレーラーで引揚げ持ち帰った時は、部下のヤクザに取り囲まれて運転手がビビってしまった事もあった。
辛い事をもっと書けばキリがないが、苦しい事ばかりじゃ無く社員旅行等楽しかった事もあったと思うよ。だけど苦しかった思い出の方が一つ一つ心に残っていてね、それが糧となって自分の営業の人生を支えていたような気がするね。
営業は苦労した分だけ物事の対処、対応する能力が鍛えられる、どんな事態でもどんな相手でもどのように対応すれば良いかの判断が培われていく。最初に流れ作業的な鋼材営業でなく営業対象が一定ではない機械営業であった事が、対策を練り、こまめに歩き、度胸をつけるのには最適だったのかもしれない。(続く)

2015_0406ブログ用結婚写真0001
入社満一年で結婚、妻は中学からの同級生、未だ貧しくて若松市婦人会館で質素に。 責任は重く、だが体重は52kg。

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