私の生涯日誌 その188

2016年  06日 12:45
電気炉酸化スラグ骨材には韓国の大学でも興味を持たれ、大学でも研究、データ収集を行い、単独で来日したり韓国の企業と一緒に来て資料を持ち寄ってのヒヤリングを行う様になった。当社も技術担当が渡韓し先方の大学での技術発表を行う事もあった。当社でのディスカッションには私も同席したが、韓国へは技術屋だけが訪問した。

来日した中の「韓国建資材試験研究院」の課長代理「趙宰佑」君は1998年山口大学工学部卒業と言う事で学部は違うが親しみを感じたね。又、公州大学校建築工学部建築工学専攻のリンさんと言う女学生は韓国でこの研究を続ける為に、先生や他の生徒が帰国した後も残って勉強したいとの要望があり宿泊のホテル代は社長が負担するというサービスで日本に残ったんだ。

名古屋市内のホテルに泊まり朝出勤時間通りに近鉄で蟹江駅まで来るので、私が出勤途中の車に乗せて会社に連れて来る。1ヶ月位毎朝だよ。相手は若い女性、この私が黙っている筈は無いと思うだろう。それを下衆の勘ぐりと言う。このおじさんさんを信じていつもにこにこ「おはようございます」と少し発音の違う挨拶をされると何も言えないよ。

私の知ってる韓国語は「ハンニョン ハセヨ」と言う挨拶だけ、他は全く知らないんだ。彼女も日本語は余り堪能では無く、聞くことは何とか出来るが話すことは弱い。だけど私が韓国語に堪能で無くて良かったかもね。でなければ何かが起こって今頃は韓国に住んでいたかも知れない、不勉強で良かったんだ。大学での第2外国語をドイツ語で無く韓国語にしとけば良かったと今考えても遅いよ!。

所で話をしてなかったけれど、会社は営業と通勤用にカローラ(車に弱いので今はこのタイプを何て言うのかな)を貸与してくれていた。ガソリンも自宅での駐車場費用も会社持ちだし、事故を起こしても会社が面倒をみてくれる。お陰で7年経過した自分の車の走行距離は2万キロも無かったんだ。

少し横道に逸れたけれど、彼女は会社での講義や試験室での実験以外に生コン会社の見学等有意義な生活を過ごし、星野社長から終了証書を貰って帰国した。そう言えば帰国後に私宛の礼状はくれなかったな。

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 公州大学校 先生と生徒一同と社長、専務、スラグ協会Y氏と小生
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 東海菱光 生コン工場見学      右から M工場長、H副工場長          
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 終了証書と社長                    山大出身趙君と。

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