私の生涯日誌 その176

2016年  21日 09:31
1月末でMMIを退社した。越智取締役は別のクレーンメーカーへ変わり、東京、大阪で仕事をしていたNS出身の乙部君、宇田君は3月か4月末で退職したはずだ。MMIの思い出はたった一人の人間の為にいい印象で残らない事になってしまったが、事務所の連中はみんな良い人ばかりだった。去年にMMIのOB会を作るので参加の呼びかけがあったが参加はしなかった。I氏の顔はやはりもう見たく無かったのでね。

平静15年2月1日から新しい会社明徳産業での生活が始まった。私はNSを辞めてからNSBAC、MMIから明徳産業に至る退社入社の間に一日の休みも取る事なく従って失業手当は一度も貰った事が無い。結局正式に豊橋事業所勤務となり電車通勤が始まった。丁度65歳と9ヶ月だ。

自宅から10分位歩いた石刀駅から名鉄普通電車で一宮駅に行き7時5分初の豊橋行き特急に乗り換える、名古屋駅迄満員で名古屋で降りる人が多く、そこからはちゃんと座れた。8時過ぎに豊橋到着、駅前の駐車場から車で8時半の定刻通りに事務所に入る、ドアTOドア約2時間、この日から2年間このルートを通ったんだ。着任当初は一戸建ての古い事務所だったが、1年も経たない内に、明海の企業団地に立派な事務所と工場兼倉庫を建てて貰った。これは期待されての先行投資だとなると頑張る以外にない。

豊橋事業所は真面目で余り遊びをしない田舎のオッサンみたいな大木所長(次長待遇)に陽気な営業マン山田課長と若い平井君、工場には村瀬君に鬼頭氏名前を忘れたがベテランのオッチャン、人妻ながら色っぽい小久保さんが控えており、本社勤務ながら豊橋事業所を統括管理する古谷部長が存在し、私は一応名刺に営業部長と言う肩書きを貰った。

明徳産業の業務は、本社では親会社中部鋼鈑の設備製作メンテが基本となるが、その経験を活かして愛知製鋼等の設備プラント受注、自社製のクレーン製作が業務内容であった。私は又一から勉強しなければならなくなった。

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COMMENT 2

ごくしげ  2016, 07. 21 [Thu] 23:24

2時間の電車通勤^^
65歳過ぎてからの新しい職場^^
そして仕事は一から始めたなんて
なかなか容易なことではないでしょうね。
よくこの新しい職場、そして環境に飛び込みましたね。
感心しました。

最後の写真、これ社長さんって感じですね(笑)

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エースの城  2016, 07. 22 [Fri] 08:21

To ごくしげさん

コメント有難うございます。
ごくしげさんのさりげないお褒めの言葉にいつも力づけられます。
結局本体での鋼材、機械、溶材、原料、からOA機器、クレーン、設備機器、と来て、未だ今からですが砂と砂利の建築材料を最後に扱いました。
なまじ良く知ったものであれば真剣に取り組まず、新しいものだけに勉強しなければと思う気持ちが出来たから良かったと思っています。営業マンは技術屋ではないので難しい話になったら専門家を連れて行けば良いし、つなぎが出来る範囲で十分と思ってました。

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