遥かな日々

2015年  21日 15:16
棚の箱を整理していた時、原稿用紙を綴じた高校時代の自分の詩集を見つけた。その頃多感な私は北原白秋の詩を好んで読んでいた。同時に自分のやるせない思いを作詩の中で表現する事に熱中していたのを思い出す。
鐘つき堂の静けさは 若き尼僧の心意気
鐘つき堂の寂しさは 春知り初めし我が心

九州の田舎の、自宅近くの40段近い石段を登った所に鄙びたお寺と鐘つき堂があり、藤棚の下の縁台に座って物思いに耽っていた頃作ったものだ。綴じ込みも外れてボロボロになった白秋の詩集をいつも握り締めていた、多感だったあの頃が懐かしい。

静けさは若き尼僧では合わないのではないか、古き尼僧?老いし尼僧?・・悟りきった静けさを表現したい意思は判らないでもないが何か美しさに欠ける、若いだけに悟りきれない心をぐっと押さえ込む中に静けさを求める・・当時言葉に悩んだ跡が原稿用紙に薄くぼやけた文字に残っていた。青臭いけれどもう二度と戻れないあの頃の純真さが懐かしい。
2015_0321高校0025
高校一年生 母と          鐘つき堂

白秋の一番好きだった詩は今も覚えている。彼独特の宗教的な神々しい情景が目に浮かんでくる。
 「白鷺」
白鷺は、その一羽  睡蓮の花を食み、水を食み  かうかうとありくなり。
白鷺は貴くて、身のほそり煙ゆるなり、 冠毛(かむりげ)の払子(ほっす)曳く白、  へうとして、空にあるなり。
白鷺はまじろがず、日をあさり、おのれ啼くなり、  幽かなり、脚のひとつに  蓮の実を超えて立つなり。

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