私の生涯日誌 その149

2016年  17日 05:22
平成7年の大相撲初場所は1月8日(日)に始まった。横綱は曙に貴乃花、大関は武蔵丸、若乃花、貴ノ浪の時代だったと思う。1月12日(木)、午後3時過ぎいつもの様に母は妻とダイニングルームのテーブルでお茶を済ませ「相撲が始まるから部屋に戻るね」と立ち上がってトイレに行き、出て来た所のドアの前でズルズルと尻餅をつく様に座り込んだらしい。

異常に気付いた妻が駆け寄った時に「早苗さん有難う」と母が言った言葉が最後になった。妻は昏睡状態になった母を救急車で一宮市民病院に運び、私に連絡をして来た。私が駆けつけた時には母は集中治療室で手当を受けており、昏睡状態のままだった。

私は早速兄達に電話で状況を知らせたが、翌日集まった兄弟夫婦も目覚めた母の顔を見る事は出来なかった。医者からの、今は目を覚まさない状態だけで、直ぐにどうなると言う状況では無いとの言葉から、兄達には一旦自宅に戻って貰い我々だけで経過を見守る事とした。母はそれから13日間昏睡状態で目覚める事無く、25日の午後に妻に看取られて息を引き取った。苦しむ事も無く安らかだったと妻より報告を受けた。

享年88歳、私は今でも思うが母は幸せであったと思う。最後迄苦しむ事も無く、夢の中でも貴乃花と曙の大相撲を観ていたのではないかな。駆けつけた私が見た母の顔は今迄通りの母の顔で安らかな顔だった。結局「早苗さん有難う」の言葉が本当に最後の言葉となってしまったが、私はこの一言で妻も報われたのではないかと思っている。愚痴を一度も聞いた事は無く、私に代わって母に寄り添ってくれていた。「お袋さん有難う、良くこの言葉をかけてくれたね」

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 葬儀の写真は明日にしよう。

COMMENT 7

-  2016, 06. 17 [Fri] 11:07

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エースの城  2016, 06. 17 [Fri] 12:58

ひろし君コメント有難う。
そう言えば葬儀の時、長兄が挨拶をした中でお袋の最後の言葉を話していましたね。
あの時はやはり私もかなり心が動揺していました。私はお参りして下さった方々にちゃんとお礼の挨拶をしたのかも余り記憶がなく、貴方にも失礼をしたのではないでしょうか。

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ごくしげ  2016, 06. 17 [Fri] 22:17

素晴しい奥さんを持って
城さんは幸せ者ですね。

嫁姑問題は尽きませんからね。
城さんが上手くやっているからでしょうね。

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けい  2016, 06. 18 [Sat] 07:21

おはようございます。

悲しい出来事でも お母様の最後の一言で報われたでしょうね。
こういう事ってあるのですよね。。。

私の母が亡くなる直前に 兄嫁さんに
「⚪️⚪️ もう部屋に行って ゆっくり休んでいいよ〜」と
言ったと 兄嫁さんから聞きました。

絆が強かったんだなぁと その時思いましたが 今回の城さんのお母様のお言葉も
そんな風に感じました。。。

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エースの城  2016, 06. 18 [Sat] 08:12

To ごくしげさん

コメント有難うございます。
やはり性格だと思います。母は昔から嫁3人の中で私の妻と一緒にいる事を好んでいました。決して兄嫁達が悪いのでは無く波長が合わないと言うか、そんな事からだったと思います。母は結構気の強い所がありましたから。

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エースの城  2016, 06. 18 [Sat] 08:22

To けいさん

コメント有難うございます。
言葉と言うのは鋭い刃物になったり、柔らかい綿の様に包み込んだり、使い方一つで相手の心を左右します。言葉と言うのは大切なものです。声に出すのも言葉であり、文章にするのも言葉です。言葉は厳しいものであれ優しいものであれ、常に相手を感動させるもので無ければいけないと思っています。ただ飾った言葉では心を震わせないでしょうね。

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-  2016, 06. 18 [Sat] 10:19

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