私の生涯日誌 その147

2016年  15日 08:10
平成6年6月には豊川稲荷にお参り、7月には二男の長男の百日のお祝いも済ませた。丁度この7月には若松高校の第5回中部支部同窓会が開かれ妻と義姉も始めて出席したが、この時には懐かしい永野師と定司師の出席もあった。今写真を見ると沢山の卒業生が集まってたなと思うが、今年7月9日の第27回同窓会は恐らく10人も集まらないのではないだろうか。勿論妻も行かないと言っているし、私も偉そうな事は言えないが昨年出席する迄20回ほど欠席してたんだ。何しろ同期生は一人も居ないし、女性はどんどん減って来るし今ちょっと魅力があるのは女性の校長先生位か・・こら不謹慎だぞ

8月に長兄夫婦が母に会いに来た、ずっと会いに来て無かったが何か感じるものがあったのかな。9月8日は母の87歳の誕生日、曾孫も駆けつけてお祝いしたんだ。

この年の10月、母とも相談して若松の実家の家財道具を整理処分する事とした。もう母も帰る事は無いし、盗られる様なものは無いにしてもこのままにしておくのは無用心なので、兄弟3人夫婦と私の息子夫婦が手伝いとして参加した。

実家の近くの佐藤公園にある若松パークホテルに全員1泊し翌朝早くから整理に入った。我が家には母が必要としたものを書き出した物(特にお膳、お盆の漆器類、正月の屠蘇容器、着物が入った桐箪笥等)を主体に揃えたが、その中に先祖から伝わった巻物とか薙刀も含まれていた。

各人が必要と思うものを3箇所に分けて引越し業者に夫々兄弟の家に送るべく手配をした。家に引き取っても置き場所にも困る様な物は、殆ど処分対象とし運送業者に何がしかの費用を出して処分を依頼した。仏壇仏具一式は当然長男が引き継ぐものとして長兄の車に積み込んだ。次兄には必要な物は余りないようで軸物を主体に選別していた。

長年住み慣れた実家ががらんとしてしまい、思い出も何もかも消えてしまう事は本当に寂しいことだったが不安が無くなりほっとしたのも事実である。これでもうここに帰る事もないだろう、ふる里はもう無いんだ。

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 豊川稲荷                   百日と1歳6ヶ月
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 母も元気、二人目の曾孫              揖斐川で水遊び
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 若松高校中部支部同窓会 前列右から5人目永野師 その後ろ妻と義姉
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 長兄来名                  母の誕生日、曾孫もお祝い。
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 若松の実家整理。もう二度とこの家に戻る事はない。
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COMMENT 3

-  2016, 06. 15 [Wed] 12:06

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けい  2016, 06. 15 [Wed] 21:14

こんばんは!

ご実家の整理をなさったのですね。
お一人お一人 いろんな思いがおありだったでしょうね。
ご兄弟の方々がお揃いでの整理。

必要なものをそれぞれのお宅に引き取られて・・・。
ご実家がなくなってしまうって どんな思いだったのでしょうか?

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エースの城  2016, 06. 16 [Thu] 08:42

To けいさん

コメント有難うございます。
家が無くなると言うより本当に故郷が無くなるような気持ちでしたね。家の裏の墓地には色々な思い出もありましたからね。
数年後に家も売却しましたので特にそう思います。

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