私の生涯日誌 その123

2016年  17日 08:43
平成3年の新年をこの年も母と一緒に迎える事が出来た。この年の母の東京行きは愛車ローレルに乗せて行く事とした。次兄にもこの車は初のお目見えとなり後で聞いた話では、自分もこんな車に乗りたいと、運転免許証を取る気持ちになったそうだ。

所が我々が名古屋に帰った後に、鎌倉で母は軽い脳梗塞で倒れ、箱根の仙石原の温泉病院に入院したんだ。それからは月に一度位の割合で病院に見舞いに行ったが、高速は御殿場ICで降りており、帰りが遅くなったり疲れた時には御殿場ICの近くに有るファッションホテルで泊まる事もあった。キラキラした特殊な部屋で女房と二人で泊まるのは何とも様にならなかったな。

関連会社のエヌエスビジネスオートメーション(㈱)OA機器、ソフト販売)に出向している先輩の谷地森(取)より連絡があり、日鐵商事卒業後はこの会社に役員で入らないかとの誘いがあった。我が社は55歳定年制であり、そろそろ考える時期でもあり話を進めて貰うようにお願いした。

ある日突然原料チームの佐藤リーダーが大洋鋼材の社長が近くの喫茶店に来ており話があるので会って欲しいとの伝言を持って来た。大洋鋼材と言うのは原料チームが扱っている輸入中古鋼材の仕入先であり、竹内商店も絡んだ輸入の土木用中古鋼材を我社を含む各商社に販売するのが主力の会社である。

「何故事務所に上がって来ない、君は何の話か聞いていないのか」「何も聞いていないので判りません」 早速喫茶店に行き木下社長に会って話を聞く事にした。

社長が話し始めた事は、主として韓国から輸入していたゼネコン向けの鋼矢板等の中古鋼材が、景気が低迷して来た段階から販売がスムースに行かなくなり,、取り敢えず景気の回復まで各社で協力して凌いで行こうと、在庫品は動かさぬまま伝票だけを売上として回しての取引を行っていたが、景気も回復せず、口銭を上乗せして行くだけに手に負えない金額になり、同時進行で商品も無い全くの架空取引も行う迄に至ってしまった。これ以上継続する事は無理と思い相談にきたとの事。

「佐藤君、君はこんな話を知っていたのか」「私も知りませんでした」「社長、佐藤は知らないと言っているが」「そんな事はない、皆が了解して始めた事なので、佐藤さんは勿論の事、部長もご存知と思ってました」「冗談じゃない初めて聞く話だ、佐藤君どう言う事なんだ」「私もそんな事は知らなかったし、当然部長にも話はしていませんでした」(続く)

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 平成3年の新年も名古屋に母を迎えて。
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 鎌倉の次兄の家の縁側で。  鶴岡八幡宮にて。円覚寺、東慶寺、建長寺や頼朝の墓も見学したが写真が多くなるので1枚だけ。
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 仙石原の温泉病院に入院リハビリ。           箱根大涌谷、後ろは湯煙。
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 病院で、母も少し年取ったな。              富士山が良く見えた。

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-  2016, 05. 17 [Tue] 09:45

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-  2016, 05. 17 [Tue] 17:46

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