私の生涯日誌 その105

2016年  26日 10:55
昭和61年4月より課はチームとなり課長はチームリーダーとなる。62年2月には機材特殊鋼部の井上副部長がサンスポーツに出向となり東京へ戻る。会社は同年3月に栄の丸善ビルより笹島交差点角の新築三井ビル本館に移転し、親会社の新日鐵名古屋営業所を中心に系列企業がこのビルに集まった。

同時に機材特殊鋼部の4チームの中から特殊鋼チームが鋼板部に移った為、部の名称は原料機材部となり、4月より私は部席副部長となって機材チームより離れ、機材チームには条鋼建材部より渡辺君がチームリーダーとして着任した。
新築の新しいビルであり、新日鐵標建が建築を受注した為自社を含めて関連会社がテナントとして入居した訳であるが、栄の繁華街からは離れたものの名古屋駅から歩いて通える場所にあり私にとっては有難い事であった。

副部長時代の出来事に余り記憶は少ないが、営業的には新規事業として充電式の携帯のアンマ器(1台6万円)(メーカー忘却)を拡販する為の販売店を作ろうと東朋テクノロジーやプリンセスガーデンホテルの営業部で説明会を開いたりしていたな。どこに依頼されて取り扱ったのかいつ止めたのかの記憶も薄いが、最終60台位販売して100万円位の利益を上げた記憶がある。

1年間の部席副部長を経験して63年4月に原料機材部の部長となった。49歳である。前任の野村部長は特殊鋼チームの代理店で旧大阪鋼材時代から面倒を見ていた藤川鋼材の常務として転出した。改めてこの時点での原料機材部の陣容は機材チーム:渡辺TL、原料チーム:佐藤TL、溶材チーム:寺儀TL(荒川TLは61年東京のオートリースに転出)であった。

この時点でも旧会社(入丸、大鋼)同士の人事争いは激しく役員人事はかなり旧大鋼が優勢な状態を推移しており、地方の部長席の数にまで影響が出ていたのが現実である。
私が転勤して来た時点は、支店長:入丸、総務部長:入丸、鋼板部部長:入丸、条鋼建材部部長:大鋼、機材特殊鋼部部長:大鋼であったものが、私の部長就任時は支店長:大鋼、総務部長:大鋼、鋼板部部長:大鋼、条鋼建材部長:大鋼、原料機材部長:入丸となっていた。

私が原料機材部長になる前は鋼板部部長席は入丸であったが、私が原料機材部部長に就任した為に、鋼板部部長席が大鋼に取られてしまった事になる。同時に私を部長に上げないようにする理由が無かったとも言える。

2016_0425入丸八幡0003  2016_0425入丸八幡0005
野村部長送別会、誰や喜んで後ろでピースしてる奴は!  部席での初仕事、「藤井君接待費こんなに使ったらあかんやろ」

COMMENT 3

-  2016, 04. 26 [Tue] 15:56

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エースの城  2016, 04. 26 [Tue] 17:45

To -さん

ひろし君 コメント有難う。
この時期だったかな。K社長からM社長に変わったのは。どうもこの辺の時期が明確ではないんだ。

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-  2016, 04. 26 [Tue] 19:50

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