私の生涯日誌 その99

2016年  15日 08:00
昭和62年は2月に井上副部長が東京のサンスポーツに転出し私が4月に副部長に昇格した年であるが、実は一年前に副部長昇格が話題になった時に加野支店長宛にある投書が舞い込んだ。

内容は私を誹謗中傷するもので具にもつかない事が書き並べられていたが、真偽不明として昇格を遅れさせられたのは事実である。私にとって誠に迷惑な話であったが、後日談として当時の機材特殊鋼部の原料課佐藤課長が、自分が早く昇格したい為に私の足を引っ張る目的で、出入りのブローカーの社長に自分が作った文章の代筆をさせたものだった、情けないね。それはある事件がきっかけで判ったのであったが、判ったのは6年も経った後の事で遅かったんだよ。

だがこのような卑怯な手段を取る人間には育った会社の体質みたいなものがあるんだな。又詳細を述べる機会もあると思うが先に述べたある事件の折に、我社の鷲尾支店長は、揉めていた相手の商社に対して、その商社の分別ある社員の一人と言う名目で役員を誹謗する文書を当時の岩本管理部長に書かせ送らせたのだ。

流石に岩本部長は嫌だったのか、私に内容を愚痴ったのでその行為が判ったのだが、その時に私は、当時私に対して行われた誹謗文書行為と似てるなと思ったんだ。悪いけれどこの二人には元の会社の体質とも言える卑劣な血が流れていたのだろうな。

昭和62年6月9日父が亡くなった。享年85歳。若松の自宅で二度目の脳溢血で倒れてから、意識不明のまま病院に入っていたが、丁度その日に私は様子を見る為に若松に帰り直接病院に行って、看病中の母を自宅に戻らせたその間に病状が急変し亡くなった。

結局母も間に合わず最後を看取ったのは家族では私だけだった。一度も怒られた事の無い父の呆気ない最後だった。葬儀は長男を喪主として自宅で行われ、日鐵商事名古屋支店からは野村部長、佐藤課長に参列して戴いた。

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 自宅での葬儀。        玄関正面の生花は宮地鐵工所木村社長より。
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 日鐵商事から原田会長、寺西社長名の対の花輪、受付佐藤課長。久し振りに揃った3兄弟は父の葬儀の日だった。前列右端から母、長兄、次兄、私、義兄。後列左より順に長兄嫁、次兄嫁、妻、甥、私の長男。

COMMENT 4

ひろし  2016, 04. 15 [Fri] 10:16

大変なめにあいましたね、小生も巻き添えをくったことがある。中日ビルでの事、加納さんと野村さんが某室長にえらく叱責されている場に鉢合わせた。いくら親会社とは言え失礼千番だなあ思ったが加野さんに、お前も座れと言われ、仕方なく3人雁首を揃え某室長の話が終わるのを待った、帰りに加野さんが一言「あいつ焚き付けやがったな」といった、長崎さんの後任の某部長のことだ。井上さんにとばっちりが行かねばいいがとおもったのだが。その後ステンレス鋼鈑の解散に伴い7人のステンレスのプロが当社に入社。当課に伊東君というエースが配属され井上、伊東ライン活躍の舞台ができ、ステンレスの扱いは飛躍的にのびたが、その伊東君は昨年若くして亡くなった、冥福を祈ります。

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エースの城  2016, 04. 15 [Fri] 10:50

To ひろしさん

コメント有難う
何で実力で対抗しようとしないで足を引っ張る事ばかり考えるのかねぇ。サラリーマンの世界は仕方がないか。色々と書きたい事もあるがよほどの悪でないと書けないよね。
伊東真矢君は亡くなったか、当時から顔色が良くなかったね。喋り方も自分が納得するような相手を納得させるような独特な喋りだったな。いい男だった。

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ひろし  2016, 04. 15 [Fri] 13:27

某部長は、道明さんではありませんよ。それと某室長は、当社に転出し、役員なりました。先生は八幡系で、名古屋は富士のお膝元で苦労はしてたけど、
腐っても加野さんは、当社の支店長ですよね。当時は支店長や、部長クラスは、某社の支店長とさしで話が出きるかどうかで評価してたなあ。

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-  2016, 04. 15 [Fri] 16:04

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