私の生涯日誌 その95

2016年  09日 09:30
機材特殊鋼部の木村部長は昭和56年に宮地鐵工所の社長として転出し後任として杉浦部長が着任した。

杉浦部長時代に大橋君が君津営業所に移動となる。機材課の人員縮小になる為部長にはかなり抵抗したが、君津が有能な人材を求めているからと説得され、本人の為になるならと納得したのだが、その後君津に行った大橋君から、今井所長に随分イジメを受けているとの本人の泣きを聞き、杉浦部長に当初に話と違っているから名古屋に戻してくれと抗議した結果イジメが無くなったそうだ。

その後砂堀君も宮地鐵工所に転出し代わりとして特殊鋼課から川口君が配属となった。砂堀君は一度ボヤを出して新聞種になったマンションから一戸建ての自宅を購入したが、それから何年かして背骨に癌性腫瘍が見つかり手当の甲斐無く40代半ばでこの世を去った。屁理屈の多い男だったが癌には勝てなかったな。

得意先も色々と増えて昨日記事にした明徳産業、設備関係で川北電気工事、東海電気工事(現在のトーエネック)、中央ビルト工業、森定興商等あるが、中央ビルト工業との繋がりの中で知り合った山内設計事務所の山内社長とは公私共に色々と世話になった。

この先生はラブホテルの設計が多くて、通常の電気、水回り、空調設備の他にベットとか室内備品のカタログとかを揃えさせられて困った事があった。
新入社員の女子事務員にベットのカタログのコピーを頼んだんだが、皆さんご存知かどうか判らないが、ラブホテルのベッドは特殊な物が多く赤面させてしまった事もあったなぁ。わざとコピーを頼んで刺激させようとなどと不埒な気持ちじゃ無かったからね。

そう言えば女子事務員が数人、新入社員として配属される前に応接間で説明を受けていた時、私の課にも一人配属される予定だったので、覗き込んでちょっと太めのこの子が良いと、総務課長に事前に交渉して決めて貰った謂れもあって、多少その気があったのかなぁ。

この山内先生も癌で入院し、最後は見る影もなくやせ衰えて亡くなった。「JOさんJOさん」と呼んでいたあの声が懐かしい。

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 東尋坊へ部旅行                 新入社員美佳ちゃん

COMMENT 2

ごくしげ  2016, 04. 10 [Sun] 09:31

東尋坊へ行かれたんですね^^
懐かしいです。
私も数年前に金沢を旅行し、そして東尋坊まで行きました。
あの岩壁^^TVのサスペンスドラマに
よく登場するんですよね。

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エースの城  2016, 04. 10 [Sun] 11:46

To ごくしげさん

コメント有難うございます。
昔は社員旅行でお色々な所に行っていましたね。家は曹洞宗で永平寺に永代供養をお願いしているので兄弟で東尋坊へ行く機会があります。
13日からの準備は出来ましたか。色々と大変でしょう。頑張って下さい。

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