私の生涯日誌 その89

2016年  01日 08:30
今は会社を卒業したとは言え、旧大鋼の友人も多く余り触れたくない話もあるが、日鐵商事の歴史の中で合併当時程入丸と大鋼の間に色々な問題があったのも事実であり、これはやはり一言述べておく必要があると思っている。

それは日鐵商事設立当初の役員人事は員数だけから言えば平等ではあるが、坊ちゃん育ちの入丸と三菱商事の管理下に置かれ苦渋を舐めて来た大鋼の人達との間には、会社での育ち方・鍛えられ方に当初より大きな格差があったのは事実であると言わざるを得ないだろう。課長以下の者たちは兎も角、役員に次ぐ人達の中でも全てでは無いにしても、その差は歴然とあったのではないだろうか。

合併時の入丸と大鋼の規模は大鋼が色々な面で大きかった事は既に述べたが、合併の準備機関の間に社内の問題点を対処した両会社には対処方法に大きな差があった。最も大きな違いは、大鋼は会社の規模を大きく見せる為に同社がテコ入れしていた会社の中で、かなり危険な会社も切り捨てず全てそのままの状態で合併に持ち込んだ事、逆に入丸は危険と思われるユーザーや関連会社は全て処分して身奇麗な状態にしていた事である。

従って合併時の規模は大鋼が大きかったのは事実ながら、危険分子を抱えたままで合併した為、合併した後に倒産したり、立ち行かなくなった会社は、殆ど全てと言っていい程大鋼の関連会社であった事は事実である。そしてその穴埋めには、当時組合も無かった社員を低い給与で我慢させながら蓄積して行った、入丸が所持していた資産であったのも事実である。

今更何を言っても犬の遠吠えみたいなものであるが、例え危険な資産であっても数の中には含まれ、その規模の故に残していた社員も本来は整理しておくべき人員であったかも知れず、この人員の差も今後の両社出身者の栄枯盛衰に大きく影響する事になるのである。

その様な会社の一つで、本来大鋼の取引先であったクレーンと立体駐車場のメーカー宮地鐵工所(その後MMIと社名変更、橋梁の宮地鐵工所とは無関係)が我が機材課の取引先(仕入・販売共)となっていたが、私の着任後半年位して問題が起こったのである。

2016_0329入丸八幡0002  2016_0329入丸八幡0008
現在の石刀神社の桜、5分咲きか。  参道の桜、細身の写真ばかりだったが現在は15k増。

COMMENT 0