私の生涯日誌 その86

2016年  29日 11:15
転勤して来たばかりの本山の独身に居たのは記憶している限りで、川口君、豊島君、大橋君、九門君、壺中氏位か。ベットと机のある一人用の狭い部屋だった。確か食堂もあって朝食と夕食の賄いが付いていた。遅く帰るとオカズが食器棚の中に置いてあり、勝手に温めて食べてたな。後になって入居者も減り壁を取り払って、2部屋を1部屋に改装したと思う。

寮は坂を上った少し小高い所にあって、寮から地下鉄のある広小路通りに出る手前にスナッがあり、早速寮にいる若い連中と飲む機会を作ったのが、名古屋支店に早く馴染めた理由でもあった。

名古屋に来る時に、携帯の小さな録音機を買って、営業に出る時は常に背広のポケットに忍ばせていた。当時はメモリーカード等は無く小さなテープに録音するものであったが、録音時間も短いのでテープカセットをいくつかポケットに入れておき、相手の会社に入る前にテープを取り替えるのを忘れないようにしていた。

寮に帰ってそのテープを聞きながら手帳に整理して行く、何しろ中部鋼板辺りで専門的な話になるとちんぷんかんぷんで、テープを聞きながら次に質問する解らない事をメモしておくんだ。

構内の製造所の事務所が主な仕事の場所であったが、新日鐵から来た石崎部長とか年配の技術屋さんも居て「JOさん、あんた機材課長なのに何も知らんのやなぁ」「知らないからこそ聞いてるんじゃないですか」 正直にこう答えると丁寧に教えてくれてた。お年寄りは案外教えるのも好きなんだよ。

日鐵商事は新日鐵の親戚だしそのような人達と結構親しげに話をしていると、それを見ている部下の人達は私を無碍に出来なくなる。ただ一番大切な事は、若い人達にも丁寧に下手に出て話をする事が大切だといつも思って行動していた。だから皆さん本当に良くしてくれたなぁ。

福岡に帰った時に全員で名古屋に移る事を決めた。家は借家にする手続きの時間も無いし、銀行の返済もあるので売却目的で購入した不動産屋に話をしたら、家はもう価値が無いが土地が値上がりしているので、私が購入した時の価格で引き取ると言う。

それで決めたんだ、僅か5年の生活は色々と思い出もあってね、最後に家で家族全員食事をした時に私は小林旭の北へ」を歌ったんだ。歌の中の北へ流れると言う歌詞にホロリときたのを今も良く覚えている。

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転勤して来たその年には硬式のテニス部を作り、ちゃっかり部長に収まった。春日ローンテニスクラブの会員権はもう来る事も無いだろうと買値の30万円でクラブに引きとってもらった。 

COMMENT 3

-  2016, 03. 29 [Tue] 16:01

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ごくしげ  2016, 03. 29 [Tue] 23:10

スポーツは何でもやられるんですね。
ゴルフもテニスも~~~

また一緒にやれる仲間がいるってことは
いいですね。

福岡~名古屋へ移住^^
そして名古屋で、今も住んでいるんですね。
「住めば都」というから、きっともう名古屋での
生活が良いのでしょうかね?

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エースの城  2016, 03. 30 [Wed] 08:19

To ごくしげさん

コメント有難う
転勤する時、人事からは5年間と言われてましたが、この性格は直ぐに名古屋に同化してしまいましたねぇ 変わりたく無い訳の人も居て・・おっとこれは内緒でした。
良い支店長が転出する時希望があれば福岡に行かせてもとの話をしてくれましたが断りました、それは失敗でしたけど・・理由は記事でご説明しますよ。

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