私の生涯日誌 その79

2016年  19日 08:40
自分の勤めていた会社が新会社になったと言っても、元の会社はある意味、破綻したと言う事なんだろうな。そう言う意味では合併したとか吸収されたとか営業権譲渡したとかの表現があっても古い形の専業商社が次第に無くなって行ったのは事実である。

昭和35年から昭和52年の我社の合併(面倒だから今後合併と表現)に至る迄の間に商社的な会社の、森岡興業⇒伊藤忠商事(S36年)、南海興業⇒トーメン(S38年)、岩井産業⇒日商岩井(S43年:現双日)、木下産商⇒三井物産(S48年)、安宅産業⇒伊藤忠商事(S50年)となり、入丸産業、大阪鋼材と言う会社の名前も消えてしまった。

吉岡支店長は中々の紳士で、話も良く聞いてくれる。条鋼課の若い連中も元気が良く仕事の相談も良くして来るようになった。条鋼関係で入丸時代と変わった点と言えば、広島県鞆地方の細物(9mm、13mm)伸鉄が入って来ることと、大阪からの形鋼ルートが旧大鋼にはあった事である。ただ大森と大阪メーカーとの関係において、後に取締役にもなった北吉等が絡んだきな臭い話も噂されたが明確な裏付けもない話はこの程度にしておこう。

私の担当は旧会社から引き継いだものだったが、東京本社審査部から、丸喜産業の業績に少し問題があるから与信限度額を縮小したいと言う連絡がきた。その時は10億円枠でフルに活用していたが、本社指示は最終2億円迄にする縮小指示であり、その期限は1年以内。

契約はスポット的な取引では無く、西九州製鋼の丸棒を中心にしたコンスタントな取引である。これで10億の枠をフルに回転させている現状に於いて、取引を中止でもしない限り減るものではない。

私は覚悟を決めて丸喜産業の私の担当窓口である寺岡専務と真剣に話し合う事とした。こんな話は中途半端にごまかしながら出来るものでは無い。同時に西九州製鋼の製造量の消費先は我社の丸喜産業向け販売が100%では無かったがかなりのシェアを占めており、これを一挙にゼロにする事は西九州製鋼の死活にも関係して来る。

流石に悩んだねぇ、販売を増やして行く事とか与信限度内に抑えた取引を行うとかは、営業マンとしてある程度自信があったが、上手に販売を減らして行く、しかも1年以内に10億円の限度額を2億円迄にするなんて事はどうすりゃいいんだ。

2016_0318入丸八幡0011
父母が篠栗のお寺にお詣りした時、新聞社の人が写して「老夫婦」として新聞に掲載したそうだ。
品が良かったからだと思うよ。 父80歳 母75歳


COMMENT 6

ひろし  2016, 03. 19 [Sat] 13:58

城さんのご家族は新聞記事と縁がありますね。ご両親、ご子息、そして御自身
まだ他にございませんか?

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エースの城  2016, 03. 19 [Sat] 15:33

To ひろしさん

コメント有難う
私自身と言うのは名古屋に行ってからだけど知っていたかな。
砂堀君のマンションの彼の家が火事になって、彼が出張中だったので私が飛んで行ったら、火はもう消えててね、道子さんと表で話をしていたら新聞社に写真を撮られて、新聞に載ったら旦那と思われてしまった。間男と思われずに良かったよ。

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ひろし  2016, 03. 19 [Sat] 16:46

To エースの城さん

未だありませんか?街を歩いている時とか他にもある様なきがするなですけど?

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-  2016, 03. 20 [Sun] 09:43

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ごくしげ  2016, 03. 20 [Sun] 11:58

ほんと品の良いご両親ですね^^

住所間違いなく届きました。
早速、お送りしますので、もう少々お待ちください^^

なんか私まで上品な言葉?になってしまいました(笑)

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エースの城  2016, 03. 20 [Sun] 12:37

To ごくしげさん

いつも有難うございます。私も丁寧語になりました。
宜しくお願いいたします。

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