私の生涯日誌 その78
2016.03.18より転載
新会社となる事が決まってからの当社松尾支店長には、慌ただしい日々が続いた。大阪鋼材の福岡支店長は吉岡支店長、最初に挨拶に来られた時に松尾支店長は彼を吉岡君と呼んだんだ、吉岡支店長はちゃんと松尾さんと呼んでいるのにね。当社と大阪鋼材が両社共駅前の日生ビルに入っていたのも何かの縁だった。
その後松尾支店長は、何かにつけ、自分の方が年上だし支店長は自分になるだろうとえらく執着していた。私も吉岡支店長は良く知らなかったが、初対面で吉岡君と言うのはないだろう、レベルの低さが感じられて恥ずかしかったね。
旧会社の入丸で私は福岡支店一般鋼材販売課の課長代理のままであったが、大阪鋼材福岡支店では新会社移行前の人事で、私の大学同期の大森君が営業課長になっていた。移行前に打つべき手はちゃんと打っており、自分の去就の事で忙しく立ち回っていた某支店長は、部下の事など手が回らなかった訳である。
その後の新会社の福岡支店人事は、吉岡支店長、松尾副支店長となり、私が所属となった条鋼課では大森課長、私が課長代理、課員としては立花、池田、井本、中島の大鋼出身者4人、入丸からは吉川さんと言う元の部下の女性一人だった。入丸福岡の田中課長は大阪支店へ、津田氏も大阪だったか、八尋君は残っていたな、何か当時の配属の記憶は曖昧だ。
一緒になる前から言われていた事は、東京に本社がある入丸は国内では東日本が勢力圏、大阪に本社がある大鋼は西日本が勢力圏であった為、新しい人事もそれに沿った方針で進められた訳である。
大学時代は年齢が上の私に対して「さん」付けであった大森君も、課長になると私にも急に「君」付け、会社組織の事でもあり私は然程気にもしなかったが、学生時代の関係を知ってた吉川嬢は、私の代わりに憤慨してくれていたね。唯一の身内だもんな、アリガトよ。
まあ大森も大人げないと言うか、呼び方で特に課長を意識しなくてもとは思ったが、会社がもう少しは配慮してくれていたらとは思ったね。だけど無理だろうな、本社の人事部長は入丸出身だったけれど、そんな事に配慮出来る程のゆとりも無かったようだったね。
新会社条鋼課、大森君の席に井本君。吉川嬢。観戦の佐々木夫人と妻と松藤夫人。妻以外懐しい入丸元社員
新会社の親睦ソフトボール大会。幹事を仰せつかり挨拶、右は吉岡支店長。 疲れたねぇ。生田、佐々木両氏
新会社となる事が決まってからの当社松尾支店長には、慌ただしい日々が続いた。大阪鋼材の福岡支店長は吉岡支店長、最初に挨拶に来られた時に松尾支店長は彼を吉岡君と呼んだんだ、吉岡支店長はちゃんと松尾さんと呼んでいるのにね。当社と大阪鋼材が両社共駅前の日生ビルに入っていたのも何かの縁だった。
その後松尾支店長は、何かにつけ、自分の方が年上だし支店長は自分になるだろうとえらく執着していた。私も吉岡支店長は良く知らなかったが、初対面で吉岡君と言うのはないだろう、レベルの低さが感じられて恥ずかしかったね。
旧会社の入丸で私は福岡支店一般鋼材販売課の課長代理のままであったが、大阪鋼材福岡支店では新会社移行前の人事で、私の大学同期の大森君が営業課長になっていた。移行前に打つべき手はちゃんと打っており、自分の去就の事で忙しく立ち回っていた某支店長は、部下の事など手が回らなかった訳である。
その後の新会社の福岡支店人事は、吉岡支店長、松尾副支店長となり、私が所属となった条鋼課では大森課長、私が課長代理、課員としては立花、池田、井本、中島の大鋼出身者4人、入丸からは吉川さんと言う元の部下の女性一人だった。入丸福岡の田中課長は大阪支店へ、津田氏も大阪だったか、八尋君は残っていたな、何か当時の配属の記憶は曖昧だ。
一緒になる前から言われていた事は、東京に本社がある入丸は国内では東日本が勢力圏、大阪に本社がある大鋼は西日本が勢力圏であった為、新しい人事もそれに沿った方針で進められた訳である。
大学時代は年齢が上の私に対して「さん」付けであった大森君も、課長になると私にも急に「君」付け、会社組織の事でもあり私は然程気にもしなかったが、学生時代の関係を知ってた吉川嬢は、私の代わりに憤慨してくれていたね。唯一の身内だもんな、アリガトよ。
まあ大森も大人げないと言うか、呼び方で特に課長を意識しなくてもとは思ったが、会社がもう少しは配慮してくれていたらとは思ったね。だけど無理だろうな、本社の人事部長は入丸出身だったけれど、そんな事に配慮出来る程のゆとりも無かったようだったね。
新会社条鋼課、大森君の席に井本君。吉川嬢。観戦の佐々木夫人と妻と松藤夫人。妻以外懐しい入丸元社員
新会社の親睦ソフトボール大会。幹事を仰せつかり挨拶、右は吉岡支店長。 疲れたねぇ。生田、佐々木両氏