私の生涯日誌 その76

2016年  16日 08:50
長年取引をし公私共に世話になった瑞穂物産が倒産した。経営が苦しそうな状態が一年程続いた時に、私は私が出来る最大限の協力をしたのは事実だ。何が経営を圧迫したのか、社長は私には何も話をしなかったが、彼は私に対し取引上で迷惑をかけないようにする為に、目立たぬように仕入れルートをO社に切り替えて行っていたのだった。

その結果最終的に当社の瑞穂物産に対する債権は、倒産時点ではゼロになっていた。決して会社の内情を知って私が手を打った訳ではない。社長は私との付き合いの中で、私が色々と会社の為に尽力してくれた事に対しての、これが最後の感謝の気持ちだったのだろうと思っている。それから一ヶ月後に社長は自家用車に排気ガスを引き込んで自殺した。これも思い出しても辛い話だ。

この話は少し怖い話である。私の自宅からの通勤は、自転車で南福岡駅に行き電車通勤をしていた。自転車で走る道は往路はかなりの下り坂道にになっていた。ある日かなりのスピードで坂道の左側を下っていた時、後方から大きなトラックのタイヤ音が聞こえて来た。

私は歩道用の白線の中を走っていたが、ある家の中から突然道路に年寄りがホウキを持って出て来たんだ。道路は余り広い道路では無く、白線内の歩道も余り広くはない。ゴォ~と唸りをあげたトラックに恐怖を覚えて車道に入る事が出来ず、ブレーキの効きも悪かった為そのままその年寄りにぶつかり、自転車もろとも私は車道に投げ出されてしまった。

トラックはその横を唸りを上げて通り過ぎた。轢かれずに良かったと思ったが、転げた勢いでズボンの膝と背広の上着の肘の部分はボロボロに擦り切れてしまっていた。恥ずかしさもあり慌てて自転車を立て直し、破れた服ではこのまま会社に行く事も出来ず、急いで自宅に戻った訳だ。その時はぶつかった年寄りがどうなったかを見る余裕が無かったが、目の片隅には立ち上がった姿は見えていた。

それから一週間程して問題の家の前を通ったら、玄関に忌中の紙が張ってあった。誰が亡くなったかは判らないが、調べるだけの勇気は持っていなかった。

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故福田社長と。 このピンク系の背広が結構好きだったが、これがボロボロになったんだ。

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-  2016, 03. 16 [Wed] 19:48

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