私の生涯日誌 その69

2016年  08日 08:58
丸喜産業㈱は志免に巨大な倉庫を有し福岡県内は勿論の事、九州各県、山口県内のゼネコン等に広範囲に販売先を有する丸棒専門特約店であった。仕入先としては全ての商社との取引があり、社長の道楽は歌舞伎を自ら演ずる事で、年に一度大きな舞台を借り切って演じる公演(娘道成寺等)には各取引先がこぞって出席する、これが同社との取引を円滑に行う為の条件みたいなものであった。

我社の同社との主取引は西九州製鋼の16mmから25mm迄の普通鉄筋丸棒、月に3000t以上は販売していたな。交渉の担当窓口は寺岡専務、そうだゴルフ場の筆おろしに玄海ゴルフクラブに連れて行って貰ったんだ。

1番ホールでの最初のティショットをティグランドの直ぐ左の藪の中に打ち込んだのを覚えている。長いゴルフ人生のゴルフ場での第一打だった。結局この日は走り回って27ホールをラウンドしたが全て70台だったのも覚えている。

これ以来結構ゴルフに熱中し色々なゴルフ場に行った、玄海以外では生の松原GC、久山CC、福岡国際CC、九州CC春日原、肥後CC、太宰府GCの他に名門の福岡CC和白、門司GC、若松GC、小倉CC、古賀GC、九州志摩CC芥屋、フェニックスCC等にも行っていた。一度社内コンペで優勝して大きな持ち回りのカップをもらったんだがゴルフ場もスコアも覚えていない。

国内の景気変動は昭和40年から45年に至るいざなぎ景気が下降線をたどり始め46年のニクソンショック、固定相場制がこの時期変動相場制になって輸出に打撃を生じ48年から50年に至る第一次石油危機即ちオイルショックによる狂乱物価総動が起こった年である。1975年即ち昭和50年には不慣れな石油精製ビジネスに手を出した上に下火の繊維部門の拡大を図った10商社中の最下位であった安宅産業がその失敗により昭和52年伊藤忠商事に吸収合併されたのである。

スクラップは値下がりし、丸棒相場も価格が下がる一方で大変な時代になった。

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ゴルフ初優勝。  二男が西日本新聞の「ちびっこ」欄に掲載された写真、備考欄に住所指名、両親名、会社名等全部オープン。今だったら怖い事かも。

COMMENT 4

ひろし  2016, 03. 08 [Tue] 13:02

丸喜への月間取引量3000トンとはたいしたものですね、同業他社中トップクラスでは?重点取引先として与信管理も大変だったでしょうか?仕入先や同業他社の動向もウオッチが必要だし。いやたいしたものですね。

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エースの城  2016, 03. 08 [Tue] 14:37

昭和52年合併時は与信10億でフル一杯使ってました。が、その後2億に迄引き下げられて、その後の奮闘記は又記事にするけど、1年間で2億迄落としたんだよ。転勤時限度内だったから、あとの事故は6ヶ月過ぎてた事も含めてNOペナルティだったんだよ。販売より退却が大変なんだ。

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ひろし  2016, 03. 08 [Tue] 15:53

おっしゃるとおりです。引き際が一番たいせつてございます。御社が引くに当たりいかに他社が肩代わり(鋼材を売り込んでくれるか)メインの動向を他社は良く見てます。どこが肩代わりしてくれたのか、知りたいです。まさかとおもいますが・・・

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エースの城  2016, 03. 09 [Wed] 09:01

To ひろしさん

コメント有難う
潰れる前は安宅の担当と、その後は川商の担当と良く話はしていましたね。某社は無かったと思うけれど別の会社ではありましたよ。川商は山口君と言って私の大学後輩じゃなかったかな。

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