私の生涯日誌 その67

2016年  05日 10:06
仕事は順調に推移していた。条鋼建材の特約店飯田産業㈱との取引、西九州製鋼のベース丸鋼の定期販売先としての丸喜産業㈱と鉄筋加工会社㈱出口組が従来の取引先から増えたユーザーだ。丸喜産業の倉庫で荷役作業をしていた㈱龍組にもフォークリフトを何台か納入した事もあったように時々機械の取扱いも行った。

営業所も人事移動があって竹中君が東京へ、桐田さんが八幡から移動して来たし、建材担当として三神君が東京から赴任してきた。その建材を更に充実させる為に、豊鋼材に居た山崎君を三神君が引き抜いて入社させた。

遊びの方でも新しいものが増えた。最初に岩本氏に連れて行って貰った福岡競艇だ。始めてレース場に入った時は、眼下に波を切って走る小さなボートとそこから発するけたたましいエンジン音に驚かされながら妙な興奮を覚えた。

岩本氏に教えられるままに、自分の好きな2つの番号の組み合わせで買った初めての舟券、観覧席からボートが一直線にスタートするのを見て、最初のブイをターンする時ぶつかりそうな状態になりながら切り抜けると、後は3周するのに案外順番に変化はなくすんなりと1着2着が決まった。そうか最初が勝負なんだ。

「どうやった」「これ入ったんですけど」「え!これ案外配当はいいよ」 そう当たっていたんだな。100円が確か5、000円位になったんじゃなかったかな。初心者には良くある無欲の勝利、実はこれが良くなかったんだ。これからの不幸は又の機会に。

新日鐵が昭和45年福岡に九州営業所を設置していたので、暫くして会社は八幡支店を閉鎖して福岡に拠点を置く事となり、営業所を支店に昇格させ八幡支店の社員全員を福岡支店に移動させた。支店の場所は従来の営業所では狭い為、新たに博多駅前の日本生命ビルに入った。
支店長は石田支店長が就任した。私の課には戸田課長が就任し、私の部下として藤井君が配属され女性は吉川嬢がサブとして付いた。支店になった時点で岩本先輩は本社へ栄転となった。

2016_0304入丸八幡0004          昭和47年 福岡支店記念写真

COMMENT 6

ひろし  2016, 03. 05 [Sat] 13:32

「丸喜産業」名前がいいなあ、でもその後は喜べない結果となったはずだが。桐田さんはその後名古屋に転勤されませんでしたか?恰幅の良い紳士の印象があります。軍国酒場の件で、少々長くなりますが、小津安二郎監督の「秋刀魚の味」で元艦長の笠智衆が偶然、元部下の加藤大助と戦後とある酒場(トリス)で再会する。「アレ」をやってくれという加藤大助、「アレね」と答えるマダムの岸田今日子、大音量の「軍艦マ-チ」、マ-チにあわせ敬礼をし歩く加藤大助。印象に残っていますがこんな感じですか?

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エースの城  2016, 03. 05 [Sat] 15:57

To ひろしさん

コメント有難う
丸喜は小生が名古屋に来て2年目に倒産、私の責任は無しだった。6ヶ月過ぎるとセーフなんだ。秋刀魚の味」良く覚えているね。ただ江田島の更新は歌詞を右手に持ってその腕を真っ直ぐに伸ばして歩くのであれとは少し違う。敬礼はしていないんだ。

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エースの城  2016, 03. 05 [Sat] 16:02

To ひろしさん

追伸
桐田氏の事は移動して来たと書いてるよ。上の写真には載っていないけど西部の森さんとの写真の奥にぼやけてるけど写っているよ。

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-  2016, 03. 05 [Sat] 16:49

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ごくしげ  2016, 03. 05 [Sat] 19:09

サラリーマンは大変ですね^^
上からの一言で移動ですからね。
栄転なら喜ばしいが左遷となったら
もうガックリですね。

そして転勤となり、家族と別れて単身赴任!
これまた悲劇ですね^^

あぁ~~っ、そうか!
嬉しいって言う人もいますね(笑)

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エースの城  2016, 03. 06 [Sun] 08:51

To ごくしげさん

コメント有難う
転勤は自分が勝手にもう無いかなと思う頃にやって来ましたね。新日鉄の人は東京から九州に転勤で来ると直ぐ家を買います。非常に安いと思うのでつい買ってしまうのですが、購入すると転勤が早かったですね。
私の転勤もありますので宜しく。

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