私の生涯日誌 その63

2016年  01日 08:53
福岡営業所も少しずつ人事移動があり、本社から三神君が着任、ベテランの女性が辞めた後に岩本氏の姪に当たる池田さん、経理担当となる本田さんが入社した。

先に話した西部日本鋼材時代に良く事務所で会っていた日本砂鐵鋼業の若手の営業マンは、中々好感の持てる青年だった。後年私が70歳位だったから平成21年位だと思うが会社で経済新聞の各会社の人事記事を見ていると合鐵産業㈱社長に帆足有人氏就任との記事が目についた。

帆足は珍しい名前だ、下の名前に記憶は無いが福岡時代の日本砂鐵の元気のいい青年は帆足君だった。日本砂鐵は合同製鐵になっているし合鐵産業は合鐵の子会社だ、これはひょっとすると彼かもしれないと、会社の本人宛に問合せの手紙を出したんだ。

2~3日後に電話があってね、間違いなかった。それから暫くして又連絡があり、私の居る名古屋で食事したいと笹島のうなぎ屋を指定して来たんだ。当日帆足社長は鉄鋼部長と一緒だったが約40年振りの再会となった。

顔立ちには昔の面影があったが貫禄が付いていたね。私はどんな昔に会った人でも、当時決して相手に悪印象を与えた人は居なかったから、いつでも声を掛けられたし、このようにして会えたと言うのは本当に嬉しかったね。

これは確認した訳ではないので正確かどうか判らないがかなり以前、これも経済新聞に、高校時代の同期の田中忠義君が某社(本当に名前を失念した)の社長に就任した記事が載った。確か彼は九大卒だったと思うが略歴にも彼を思わせる所があったので間違い無いだろう。
彼とは差ほど親しくしていた訳でもないので何の連絡もしなかったが、高校を卒業してから何十年夫々に出世した奴もいたんだと今更ながら月日が経った事を思い知ったね。

この頃からゴルフの練習を始めた。川端の壽通りにあるインドアに毎日通ってね。私は教えて貰うのが嫌いな性格なので全くの我流で振り回していたらそれなりに当たるようになった。結果から言うと基本が出来ていなかったのでシングルにはなれなかった。

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瑞穂物産社員と 後列左端社長仲居さんこの後私から離れずモテたねぇ。
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西部日本鋼材商談 左の横顔森氏。  東京の姉の家で兄弟4人再会、手前長兄の嫁と長男。

COMMENT 2

ひろし  2016, 03. 01 [Tue] 16:48

日本砂鉄とは懐かしいですね。
大阪製鋼・大谷重工・西製鋼?と砂鉄の4社が合同製鐵にったのだが、大阪製鋼は合鉄商事へ砂鉄は合鉄産業と出向先がほぼ決まっていようです。戦時中は、軍関係の特殊鋼を製造していたそうです。砂鉄・名前がいいですね玉鋼の原材料ですよね。

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エースの城  2016, 03. 01 [Tue] 16:55

To ひろしさん

コメント有難う
君も中々博学だねぇ。君ほどの頭脳と美声がありながら、私よりもモテなかったのは何故だったか、いや案外私の知らない所でモテモテだったとか?

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