私の生涯日誌 その52

2016年  17日 09:36
逗子駅から出勤の初日、田舎者だねえ、プラットフォームに2列で並んでいる人達の後ろに並んで待ってたら、電車の入口が違う列の前で停まったので、慌ててそちらに割り込もうとしたら注意されちゃってね。私達が最初に並んでいた列が、次の電車に乗る為の列で交互に並ぶようになっていたんだ。初めての経験だからそんな事ぁ知らねぇよ。
暫くして気付いたけれど、東京の人って言うのは服装も含めて案外野暮ったいなと思ったんだ。

生活リズムが少しずつ慣れて来て、一週間もしたらまぁ東京の人になっちまったのさ、寮の生活での休日には、麻雀にも誘われるようになり、新入社員で参加したのは私だけだったんだ。それが初日に勝っちまって、次の休みの日も又勝っちゃって、学生生活で鍛えたお陰だね。

この麻雀では場に二翻が最初から付いてたので、和了して計算する時、例えば「めんたんぴんバッバッ」と指を折って計算するのが私の癖だったのだけど、それが気に入らないと最後には難癖つけられだしたんだ、八つ当たりだよね。

結局寮生活での麻雀成績は、トータル勝ちで終わり、研修が終わって九州に帰る時に、駅に見送りに来てくれた先輩が「はい、麻雀の勝ち分だよ」と封筒に入った○○を渡してくれたんだ。後で聞いたんだけどその先輩の谷地森氏は会社でも有名な麻雀の打ち手でね、良くまぁあの人と麻雀をして勝てたもんだと知ってた人に感心されたんだ、知らぬが仏が強いかったんだねぇ。

もう一人の先輩桜井氏は宮城の出身で、発音に少し癖があった。飲むと斉太郎節(さいたらぶし)の大漁唄い込みが得意だったな「松島のサーヨー 瑞巌寺ほどの アースイスイ 寺もないとエー アレハエーエ、エトソリァ 大漁ダエ」桜井氏は若くして亡くなったけれど、この唄は今も耳に残っているね。

この研修期間中に私の次兄康介が結婚した。私は研修中の為結婚式(小倉ステーション・ホテル)には参列出来ず残念。兄嫁は昭和17年生まれ、早苗が嫁としては一番年長になってしまった。

研修が終わって私と八尋君の二人が八幡支店配属となった。麻雀代も貰ったし頑張ったるぜ。

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入社記念撮影  男性36名 女性21名 私は見え易いように中央左奥
歓迎会食  写真右八尋君写真左小川君
2016_0214入社・逗子00142016_0215入社歓迎0001

COMMENT 2

ごくしげ  2016, 02. 17 [Wed] 11:21

東京出身の人ってけっこう服装ダサいんです(笑)
東京の街でカッコイイ服装の人って
けっこうもとは地方出身者だったりで。

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エースの城  2016, 02. 17 [Wed] 13:53

To ごくしげさん

コメント有難う。東京の人全てを、映画やドラマの人達の様に考えがちで格好よくイメージしていましたね。俺の方がスマートとだと思ってしまいました。だから早めに東京の人になれたのです。

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