私の生涯日誌 その45

2016年  09日 14:26
中本さん宅で不幸な出来事があった。夏休みになって若松に帰る挨拶をした時、ご主人が自分の腹をさすりながら「最近腹が出てきて張るけど食べ過ぎかな」と言っていたが2ヶ月の休みを終わって帰って来た時には、肝臓がんで亡くなられていた。人間と言うのはこんなにあっけないものかと不思議な気がした。息子さんも未だ小学生だし大変だなぁと思ったが、家庭はもう落ち着かれていて食事も継続して頂ける事になった。

学校生活は順調、文理学部近くにあった学生食堂には今では珍しい鯨のステーキが安くて昼食には最適、ここにはタバコの新生を一本づつバラで買う事も出来た。喫茶店はビーナス谷間の灯に行き、後河原のスナックで飲んでは川に沿って歩きながらの逍遥歌、当時はトリスバーみたいなカウンターにバーテンと言うスタイルの洋酒バーが流行っていた。

そう言えば中学、高校の親友だった日高の憲ちゃんは教員を目指して広島大学教育学部にストレートで合格、実家の家が近いから良く飲んだ。飲むと二人が歌うのは彼は我が山大の山都逍遥歌(春を弔う落英か 朧に長る椹野川 追昔の影長くして 逍遥の児の胸如何に)、私が歌うのは広大の歴史ある逍遥歌(銀燭揺らぐ花の宴 桜吹雪の春の宵 感激の月影淡く 若き男の子に望みあり) 古い歌は調べも良い。お互い相手校の歌が気に入り、良く歌い合ったものだ。

彼の親父さんも袋さんも気さくな良い人でね、遊びに行くと親父さんは飲みながら、赤ら顔で陽気に良く喋った。喋ると前歯の金がキラリと光ってね。お二人共既に亡いが、彼と飲むと今でも思い出す。

在学中に長兄の龍介が結婚し早苗も式に参列した。歳は私と同じ年だから早苗より一歳下になるけど姉さんだ。

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長兄の結婚式に。2枚共目をつぶっていた。我が家の縁側で。 目がある事を証明
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帰省中に若松の我が家の庭。        我が家の玄関、この頃の写真が余り無いので。

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