私の生涯日誌 その44

2016年  08日 16:10
竹田さん宅に同居していた長女夫婦が、別居して家を出た事で下の部屋が空いたので、同期の田原君を紹介し下宿させて貰った。彼は顔に似合わず音楽好きで、ある時スチールギターを買って来た。ヒュ~ンヒュ~ンと変な音を出していたが、折角だからバンドでも結成しようかと私が電気ギター勿論アンプ付きだよ、大森君がウクレレと何となく様になってはきたが、3人とも楽器には全くの素人。

コードを一所懸命覚えてまず演奏したのはハワイアン。ヒュ~ンヒュ~ンジャカジャカにポコポコ~ン、恐らく人が聞いたら逃げ出したくなるようなリズムながら本人達は真剣だったね。だけど結局いつ迄続いたか余り記憶も無いし、私のギターは質屋の蔵の中にいつの間にか入ってしまってたな。

質屋と言えば確かに良く通っていた。あれだけ早苗からの収入もあったのに、足らなくなるとラジオとか時計を持って質屋の暖簾をくぐるんだ。学生は信用あったからね、気持ちよく貸してくれるのが有難いけれど、それがいけなかったなぁ。父が2度程下宿を訪ねて来た時には部屋に何も無いもんで、質屋さんに案内したのは良く覚えているよ。

そうそう私は自動車部に在籍していてね。部にはポンコツの外車ボルボが一台、ガタガタ大きな音を立てながらも走るのは走ったし、ちゃんと車検も通っていたから一度は部員4人全員で下関迄行った事があった。免許を持っていたのは2人、勿論私は持っていなかったね。

当時康介兄貴にも悪いことをして、車の免許を取るから教習所に入るお金を出して欲しいと騙した事があったな。確かM銀行小倉支店からの派遣でM社の工場内に勤務していた時だったと思う。わざわざ黒崎の工場迄訪ねて行ったんだ。そのお金も免許取得費用にはならず、家に帰った時に車の話から「お前は免許持ってるよな」と兄に言われ慌てた事があった。一つ追記すると、兄と工場に補助で一緒に行っていた銀行の女子事務員さんが、その後兄のお嫁さんになったんだ。

この時のこのような交渉技術が、後後になっての私の営業折衝技術の礎となって、手腕を発揮出来るようになったのだと感謝している。今更ながら兄貴さんご勘弁を。

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大森君 田原君 有田君 私の雀荘で
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文理学部方面から今は移転した経済学部校舎と旧ザビエル教会

                    

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