私の生涯日誌 その39

2016年  01日 09:24
山口大学経済学部の沿革を少し説明する。
1815年 長州藩士上田鳳凰が私塾「山口講堂」を創設。
1905年(明治38年)全国3番目の官立実業専門学校「山口高等商業学校」として設立。
1944年(昭和19年)「山口高等商業学校」から「山口経済専門学校」へ改称。
1949年(昭和24年)国立学校設置法の施行により「山口大学経済学部」に改組。同年4月入学が大学第一期生。
1958年(昭和33年)4月1日大学経済学部第10期生として小生入学、専攻は経済学科。この時点の学部は文理学部・教育学部・経済学部・工学部・農学部の5学部。1年目は教育課程として全員亀山校舎にて授業。2年目から専門課程として工学部は宇部、農学部は下関へ移動。
通学の為に中古自転車を購入、現在の様な軽快な自転車では無く普通の自転車、少し軽快に見せる為後ろの荷台を撤去。

さあここから大学一年目が始まる、流石に一年目は真面目に通学、学科も教養課程だけに高校の延長の様な学科が多く、ただ外国語は英語以外に第二外国語の習得が必要となり、小生はドイツ語を選択するも見事成績は不可、可であれば単位は取れるが成績表に可が残るのは後々に影響する。有難い事にもう一度英語を習得すれば第二外国語の単位が貰える事になり、結果は、良かった良かった。今覚えているドイツ語は「Ich liebe dich」「Dank schoen」位かな。

隣の部屋の中国語の岩城講師とは殆ど会話も無く、次第に夜が寂しくなり自転車で10分位の所にあった居酒屋「丸福に飛び込みで入る。その頃には入学祝いに早苗から貰った背広を着てたし、浪人時代から吸い始めたタバコの吸い方も板に付き、顔つきも結構大人びていたので学生とは思われなかったな。

何しろ暫く通った頃には、隣に座ったサラリーマンから「おじさん、おじさん」とか言われてね、当分それで通す事にしたんだ。実は小遣いはね家から送って貰うだけでは無く、早苗が給料から半分以上送ってくれていたので結構学生にしては裕福だったんだ。この贅沢な生活が私の金銭感覚を狂わしたのは事実だ。

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学友田原君、西本君とで遊ぶ

COMMENT 3

ひろし  2016, 02. 01 [Mon] 09:53

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以前城さんから、チョコットだけ、奥様から仕送りを得てたと聞いた事が有りましたが本当だったのですね。さすが商事にお勤めの高給取り懐が深いなあ。今日あるは奥様の内助の功でしょうか、羨ましい限りでございます。

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エースの城  2016, 02. 01 [Mon] 11:05

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ひろし君 コメント有難う
だから書いている様に、金銭感覚麻痺、遊びすぎて質屋にも良く通ったものです。ただ人生に於いて必要な時期の経験が深くなるのも良かったかもしれません。

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影の管理人  2016, 02. 01 [Mon] 19:45

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いやはや、それで遊べてしまうのも城さんの器量ってやつですよね。
モチロン良い意味で、ですよ。

ところでブログのリニューアルなんかしてみませんか?暇な時にでも連絡ください。

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