私の生涯日誌 その36

2016年  26日 10:20
昭和32年3月に高校を卒業し灰色の浪人時代に突入する。小倉高校の付属予備校「明稜」の試験に合格し小倉迄毎日通学。この頃の思い出話は殆ど記憶に残っていない。

長兄隆介の忠告もあって、早苗との交際を大学合格を目指し自重しようと言う事になった。この32年に父は銀行を退職し、若松市内にあった㈱植田製作所に入社経理部長(課長だったか?)となる。長兄は大学卒業後無職、次兄は九大4年、小生浪人。

父と母には昔からの趣味で謡曲と仕舞があり、父は既に先生クラスの実力があり「城謡会」と言う謡の会の先生でもあった。私は小学校時代から中学までは父母の謡の会にはいつもついて行き、結構耳は肥えていた。身贔屓では無いが父、母の謡の声は上手いと思っていたね。

一時期中学か高校の時、父に教わりその時父母の謡を録音したテープが今も残っている。父の「鶴亀、紅葉狩、橋弁慶、三井寺」父母の「羽衣」があり懐かしい声を聴こうと思えばいつでも聞ける。謡の声と言うのは一朝一夕で作れるものでは無い。私は少し教わってからこれは謡の声では無いと諦めたが、続けないとあの声にはならないんだ。

私がサラリーマンになって父と一緒に飲み屋さんに行き、父にカラオケを歌ってもらった事があったが、全くの謡の声で歌謡曲にならなかった事を覚えている。私は今のカラオケが歌える方が良かったと思っている。

早苗は三菱商事㈱若松出張所に勤務し、会社の帰りにこっそりと家の裏の墓地に来ていた。冬場の暗くなるのが早い時は怖かっただろうと思うが一定の時間迄佇んだ後帰って行っていた。正直言うと3日に一度は勉強部屋の窓から屋根伝いに裏の塀を乗り越えて逢引していたのは事実だけどね。これじゃ勉強は捗らないし灰色の浪人生活とは言えないか。

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二階の私の勉強部屋、右手の窓から裏のお墓が良く見えるし、直ぐに屋根で塀に繋がっている。右の写真は9月某日、早苗の20蔡の誕生日に写した写真、私は当然未だ19歳。

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社会人になった早苗、旅館の下駄は社員旅行か、小さいのが判るなぁ。

COMMENT 2

ひろし  2016, 01. 26 [Tue] 16:34

NoTitle

笑顔の無い悩める19歳?の写真は、初めてですね。当時の心の中を映ているようだ、でも城さんのことを一番理解し励ましてくれる、マドンナが身近に居るのだから笑顔は間もなく戻ってくるのでは?生意気いってごめんなさい。

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エースの城  2016, 01. 28 [Thu] 12:11

NoTitle

ひろし君 コメント有難う
この時期ケラケラ笑っている写真は不謹慎だからね。気持ちはいつもケセラセラでしたよ。

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