私の生涯日誌 その30

2016年  19日 09:32
昭和30年の出来事は:ハナ肇、谷啓らがクレージーキャッツを結成、石原慎太郎が「太陽の季節」を発表、日本初の一円アルミ硬貨発行、長崎平和祈念像除幕式、ジェームス・ディーン事故死、全米テニス男子ダブルス加茂、宮城ペア初優勝、金閣寺再建法要。
昭和31年の出来事:冬季五輪スキー回転猪谷千春日本初の銀メタル、女優グレース・ケリーがモナコ大公と結婚、日本登山隊ヒマラヤマナスル峰に世界初登頂、石原裕次郎太陽の季節で映画デビュー、売春防止法公布、スエズ動乱勃発、日本の国連加盟承認。
大きな出来事はこんな所か、芸能やスポーツが多いな。経済は29年に始まった神武景気が進行中ながら多少翳りも見えた頃だ。

昭和31年3月長兄の龍介は福岡商大を卒業、4月から康介兄は九大3年、私も高校3年になる。父は定年が近い事から山ノ堂の二中の上の一軒家を購入した。元芹川氏宅で頭でっかちの大きな家で私の1年下位の綺麗な娘さんが居た、西南女学院じゃなかっただろうか若高には居なかったからね。

1階は6畳2間に部屋位ある広い縁側、台所に風呂トイレ、2階は10畳の部屋に床の間、4.5畳のゴム張りの様な出窓のある応接室、4畳と3畳の板張りの部屋。全てが本間造りで結構広く感じる。
1階の縁側辺りからは後で増築したようで、2階の10畳間は途中から少し傾いている様に感じる。10畳の隣の3畳の板の間は1階より張り出している造りで、窓から下を覗くと屋根は無く真っ直ぐに道路が見え、台風の時にこの部屋に居るとゆらゆら揺れてまるで船に乗っているような感覚になる。
1階の広縁の大きなガラス戸は台風には飛ばされそうになる為ガラス戸を太い丸太で支えていたな。当時の北九州には台風が真正面に上陸する事が多く、台風の目に入ったのを体験した事がある。

この増築は道を隔てた斜め前の大工の市川さん(小学校の時の記事に書いた、娘さんが若松小学校の先生)が請け負ったとの事、木造ながら頑丈に作られている。門から玄関迄に石の三和土があり塀伝いに庭に通じている。台所の外の三和土も結構広くて奥の物置の屋根の下に深い井戸がある。引越しの前に何日か龍介兄が留守番に来ていたが、流石に夜はだだっ広くて怖かったと言っていたのを覚えている。

道路を隔てて路地の奥に入ると二中で一緒のクラスだった日高君の家があり、この頃から急激に親しくなった。家の裏山は墓地になっており、裏の細い道を少し登った所に康介兄と同じ九大に通う友人の山川さんが住んでいた。この家が両親の終の棲家となった。

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庭側の道路から家全体                      玄関側道路から写す、2階が出ている。
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門の所の写真が無かったのでモデル付         正面が玄関、右裏木戸・台所、上が応接間

COMMENT 2

ひろし  2016, 01. 19 [Tue] 15:06

NoTitle

3男1女を立派に教育し終の棲家を手当できる立派なお父さんでしたね。小生の記憶に有るのは近所の、代議士先生宅と某銀行の支店長宅ぐらいかなあ。また当時国交の無かった韓国の一方的な李ライン宣言で、その海域での日本漁船を連日無法拿捕の報道に、小さな心を痛めたようなきがする。それと台風による床下浸水で難儀した事かなあ。

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エースの城  2016, 01. 19 [Tue] 15:58

NoTitle

ひろし君  コメント有難う
親父は私とそっくりな石部金吉でした。なのに私には何も残りませんでした。どこが違うと思いますか。

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