私の生涯日誌 その25

2015年  25日 08:45
学校が始まって間もなく抜き打ちのテストがあった。確か英、数、国の3科目だったと思う。それから1週間位たったクラスの朝礼の時に山村先生から「今日は嬉しい報告がある、先日のテストの結果が出て、このクラスから1番が出た」、少し間を置いて「○○君だ」と私の名前が呼ばれた。やはり嬉しかったね。

当時は成績の順位を廊下に張り出す仕組みになっており、早速見に行ったら見上げる所に褌のように紙が貼ってある。気持ちの良いもんだよ、名前の下に合計点数が書いてあって何点だったかもう忘れたけれど、2中から来た連中と私のクラス以外には私を知るはずも無く、ただこの事によって私の名前を知って貰ったのは事実だ。2番が誰だったかも忘れたが、早苗が5番に居たのは覚えている。

その後の授業も余り覚えていないが、最初の国語の時間が女性の岡野先生で教科書の1ページに載っていたのが三好達治の「甃のうへ」だった。
「あはれ 花びらながれ をみなごに 花びらながれ をみなごしめやかに 語らいひあゆみ うららかの跫音 空にながれ をりふしに 瞳をあげて  翳りなき み寺の春をすぎゆくなり み寺の甍 みどりにうるほい 廂々に 風鐸のすがた しづかなれば ひとりなる わが身の影を あゆまする甃(いし)の上」

先生の朗読のゆったりとした旋律は強く私の心を振るわせ耳に残り、情景が流れるように浮かんで来たんだ。平成7年に名古屋で若松高校の同窓会中部支部会が催された時、当時の先生をゲストとして何人か来て戴いた事がある。その中に岡野先生が来られる事を事前に知ったので、この「甃のうへ」の詩をワードで打ち出し当日先生に朗読をお願いしたところ快く引き受けて下さり、40年振りの授業が再開されたのである。

昔と変わらぬあの美しい旋律が流れ始めると、一瞬の内に私は昔の私に戻り、古ぼけた校舎のガラス越しに穏やかな日差しを浴びた礫陵園が浮かび、何と目の前には昔のままの可愛い妻がいる・・・。 

2015_1224礫陵園にて0040
こんな写真ばかりで申し訳ないですね。青春の1ページとして我慢して下さい。若高の礫陵園にて長兄撮影。
2015_1224礫陵園にて0041

COMMENT 4

ひろし  2015, 12. 25 [Fri] 10:02

NoTitle

微笑ましいなあ、家族公認だもんね、青春真っ只中だもんなあ。舟木一郎はまだ先だったかなあ
小生は、なにをしてたかなあ.....


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-  2015, 12. 25 [Fri] 11:18

NoTitle

ひろし君 コメント有難う
確かに家族公認だったから何も隠す事は無かったね 舟木一夫はもっと後だよ。

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ひろし  2015, 12. 25 [Fri] 13:08

NoTitle

一宮が生んだ青春スタ-の名前を間違うなんて、ごめんなさい。一郎はどっかの政党にいた宇宙人の名前だ。他には、大リ-グで活躍中のイチロ-がいたよね。そうだよね舟木一夫は私らの世代だよね失礼しました。

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-  2015, 12. 25 [Fri] 22:56

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