私の生涯日誌 その21

2015年  21日 12:13
S28年9月23日出発の修学旅行に向け各クラスで担当地域の栞を作成し5クラス分纏めての旅行冊子を作りあげた。

23日戸畑駅発⇒車中泊⇒24日朝岡山駅で宇野線乗換⇒宇野駅⇒船(鷲羽丸)70分⇒高松⇒バス20分⇒屋島⇒バス30分⇒栗林公園⇒バス60分⇒琴平宿備前屋 25日早朝金比羅山(希望者) 琴平9時発⇒多度津経由⇒松山着15時:城山登山・・高浜発21時⇒船中泊⇒26日門司着8時半⇒若松で解散。 3泊4日(車中、琴平宿、船中泊)の行程が以上の予定であった。 以下特記事項。

23日夜門司駅で男性の轢死体を見る。手足、頭無し、最先悪し。 ○岡山に着く前に車中で力士北の洋に会う(本人は芋の洋と名のる)サインの代わりに短歌みたいなのを書いてくれたが今でも読めない。車中では殆ど眠れなかった。

24日宿に着くまで一日中雨、どうも台風が来つつあるらしい。高松に渡る船中でも景色はモヤがかかり、屋島に登るケーブルカーからも頂上からも何も見えない。雨の中の栗林公園、規模の大きさに驚き池の鯉の大きさにも驚かされた。疲れて宿迄のバスで眠ったが、宿の備前屋に着いてほっと一息。夜は買物に出たが依然雨が続いており明日が不安。

25日朝5時に起きて金比羅お参りに出発、依然雨は強く、傘をさして裸足で石段を登る。1368段でお宮に着いたが小さなお宮で余り感激も無く、神殿の写真をバックに記念写真。観光地としての写真はこれだけだった。

○結論から言うと、その後台風接近の情報から先生方の苦渋の決断は、松山、道後温泉から船に乗っての船中泊を中止して、来た道を戻る事となった。所が皮肉にも高松から宇野への船中では晴れとなったんだ。

結局25日の夜に若松に帰り着き、集まった父兄に対し今川先生が泣いてお詫びをした記憶が鮮明に残っている。修学旅行の思い出が本当に記憶に残らなかったのは残念だった。やはり最初に轢死体を見たのがまずかったんだな。

2015_1221修学旅行0009

2015_1221中学修学旅行0001
背景が写真で下駄履きはイカさないねぇ

2015_1221中学修学旅行0006
予定変更した帰りの船では良く晴れたんだ。ただ写真はこれだけだから寂しいね。

COMMENT 4

ひろし  2015, 12. 21 [Mon] 13:43

NoTitle

楽しい就学旅行でしたね。マドンナもいるね。
ところで、今日は珍しい人にあった、けど名前が出てこない、恥をしのんで、MMIの話をしたら山中さんだった。城さんのブログをPR、石井某氏では、話がはずんだ。息子さんからラインで送ってもらうと言っておられた。        

編集 | 返信 | 

エースの城  2015, 12. 21 [Mon] 15:20

NoTitle

ひろし君 いつも有難う
山中氏とは珍しいね もう10年以上前だね
色々PRしてくれて有難う。頑張りまっせ。

編集 | 返信 | 

ごくしげ  2015, 12. 22 [Tue] 09:31

NoTitle

下駄ばきで修学旅行?
これは旅館の下駄でしょうか?
でも当時の大学生は、たしか高い下駄履いていた
ような^^

編集 | 返信 | 

エースの城  2015, 12. 22 [Tue] 15:06

NoTitle

ごくしげさん コメント有難う
流石にこの頃でも大学生は高下駄では無かったですね。私の高校時代でも、ごく一部の生徒が敝衣破帽で学校に来てました、マントまで羽織ってね。昔に憧れた者だけで私は破帽迄でした。

編集 | 返信 |