わたしの生涯日誌 その20

2015年  19日 10:29
3年生時の体格、身長:162.1cm 体重:50.2kg 当時はこれで結構大きい方だった。

S28年6月8日3年生の時、10年間暮らした山手の家から修多羅の銀行社宅に引越しをした。雨の中をトラックに積み込む。6歳からの10年間の思い出は、柱に書き込んだ背の高さの記録迄が別れ難い思いにさせた。

その時3匹の猫を飼っており三毛の親:名前はトン、子供のチイ、弟のチョコ。雨でもあったしトラックの一番底に箱に入れてカバーを掛けて新しい家に運んだ。引越しからひと月位しての大掃除の夜からトンだけが居なくなったんだ。
結局戻って来ないまま忘れかけた8月中旬に、元の家の近所の方から「お宅の猫と良く似た猫がいる」との情報があって兄が行ってみると、まさしく見る影もなく痩せ衰えたトンだった。

そのまま連れて戻ったが、自分の子供が近寄っても牙を剥く様になっており、結局2日後に又居なくなってしまった。猫は飼い主より家に付くと言われているのは本当だったのだ。10km近い距離をトラックの底からどのようにして覚えていたのだろう。

3年の夏休みの自由研究は日高君と海の魚を自作の水槽で観察しようと決めた。役割分担で、魚の捕獲は彼が行い私は水槽を作る。結果は直ぐに頓挫した。
水槽の枠を作り硝子を嵌め込み、当時はパテが無かったので水漏れ防止にセメントで周囲を固めた。結果はセメントが乾くと硝子が割れるんだ、理屈も判らず馬鹿な私は二度も挑戦して失敗、彼が魚を取りに行く前にこの企画は挫折した。

結局私は夏休みの工作として、急遽小さな額縁を作り針金で風景を作って色を塗って1日で作り上げ提出したら、見事佳作に入選したんだ。発想が良いと評価されたのだろう。

秋の運動会の恒例のクラス対抗リレーは、しぶとく食い下がってきた1組を突き放し見事2連覇、騎馬戦では体格の良い村田と椿田と私が大将の馬となり連勝したような記憶があるが、馬だったから良く覚えていないのが本当だ。

どのようなきっかけで文通が始まったか覚えていないが、アメリカの中学生エレンさんと言う女の子と国際郵便のやり取りを行っていた。ちゃんと自分で英語で文章を書き、送られて来た手紙は辞書を片手に翻訳していたんだ。安いものだったが、日本的な扇子とか人形とか送った記憶がある。ある日写真が送られて来たが、ひと目見た時母親と写っていると思ったんだが、母親と思ったのが本人で妹と一緒に写った写真だった。いつ文通が終わったのかの記憶は無い。

2015_1219中学50008
エレンさんと妹                                  椿田君と

2015_1219中学50002
この中に二人だけいつも写っている子が居ます。そのどちらが私の好みだったのでしょうか。


COMMENT 3

-  2015, 12. 19 [Sat] 13:32

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ごくしげ  2015, 12. 19 [Sat] 21:50

NoTitle

アメリカの文通相手エレンさんには笑えました。
ほんと、大人というかご婦人といった感じですね。
中学生とは思えない!

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エースの城  2015, 12. 20 [Sun] 08:35

NoTitle

ごくしげさん コメント有難う
若いお母さんだなとは思いましたが、手紙を読むまで気づきませんでした。今はでぶっちょの典型的なおばあさんでしょう。ちょっとした運命のいたづらがあれば、私に青い目の子供がいたかも・・。

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