私の生涯日誌 その19

2015年  18日 10:40
中学2年は勉強も運動もある程度順調だったと言って良い。学内の生徒会では書記を勤め、体格もしっかりして来た。(身長1年:148.5cm 2年:157.4cm +8.9cm 体重1年:35.1kg 2年:43kg +7.9kg)

当時は相撲が盛んで私は家で大相撲の成績をA4ノートに記録する程熱中していた。A4ノートの左ページが東方、右ページが西方で番付通り力士名を書き写し、15日間の枠を線引きし毎日の成績を記録して行く。
シャープペンの消しゴムを抜くと○になり、消しゴムを利用して●を作りスタンプで枠に押す、勝ちの○には対戦者を記入する。毎場所作っていたから成績表を何冊も持っていた。今見たら懐かしい力士が出てくるだろう、勿論日本人ばかりだよ。S27年頃は横綱羽黒山、照国、大関吉葉山、関脇鏡里、小結名寄岩とかが居たな。捨ててしまったのは残念だった。

学校でも相撲の取組が盛んで、各人好きな力士の四股名をつける。私は名寄岩、日高は大岩山、平野は琴ヶ浜、柴田は鳴門海、椿田は吉葉山だったか、後の強かった村田の四股名は忘れたな。(5/17付のブログに後年の同窓会の時相撲甚句を唄った写真あり、4人が当時の四股名の化粧回しを付けてね)

S28年当時の流行歌には美空ひばりの「リンゴ追分」や江利チエミの「テネシーワルツ」があったが私はラジオ歌謡で歌った「高英男」の「雪の降る町を」が忘れられない。その頃別の同級生に少し惹かれていて、寒い冬の日に炬燵でこの歌を聞いた時に心が揺れた淡い思い出があるんだ。(これは浮気心なのだろうか、青春の1ページなのだろうか)

当時私は寮歌以外に軍歌にもハマっていて、クラスの大庭君と一緒に良く歌っていた。家には軍歌のSPレコードがあって蓄音機で聞いては覚えていた。今では本にも載っていない「広東進軍歌」(稲は二度作刈穂の実り、どこへ逃げたか刈り主は、行けど進めど陽炎もえて、道の長さよ野の広さ) とか「あの旗を撃て」(悲憤の涙戦友の、屍を越えて乗り越えて、幾日幾夜の突撃に、抜いて見せるぞ敵陣地、今一息だ頑張りだ、あの旗を撃てあの旗を)・・・良く覚えているね、勉強の事は直ぐ忘れるのに。ちなみにこの大庭君、高校卒業したら自衛隊に入ったんだ、私より上手(うわて)な軍隊好きだったんだ。

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3年の6月に修多羅の銀行社宅に転居 玄関前で 日高、林、中道、椿田、私   この頃は胸囲が90cm以上あり。

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最上段左から3人目大庭、 その手前市長賞を争った藤、その右隣が家の上の田川、 前列の3人が体格的にも幅を利かしてたか。

COMMENT 3

ひろし  2015, 12. 18 [Fri] 12:33

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中学の同窓会シリ-ズ全部読みました。ですから情景がよくわかるような気がします。



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エースの城  2015, 12. 18 [Fri] 15:16

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ひろし君 コメント有難う
部分的な事しか書いて行けないけれど、全体を想像して貰うと助かります。部分的な事に集約する方が良いと思っていますので。後は写真でカバーです。

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-  2015, 12. 18 [Fri] 19:20

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