私の生涯日誌 その17

2015年  16日 09:25
元重先生の後の宮崎先生は本当に大人しい先生だったので印象が薄く、思い出となる出来事が思い出せない。

私は夏休みの間毎日、修多羅にある姉の嫁ぎ先の実家が経営する豆腐製造工場に、小さなヤカンをぶら下げて豆乳を貰いに行っていた。今でこそ豆乳は商品として加工飲料があるが、当時は豆腐が出来る過程に出る絞り汁で廃棄されていたものだ。栄養価は高いし私は病後の体力を付ける為に、片道約5kmを歩いて貰いに行っていた。

病気は90%治っていたが無理をせず大人しくしていた頃、一度級友を思い切り殴った思い出がある。英語担任の伊藤先生が
理由は判らないが、夫々自分のあだ名を公表しろとの話から、嫌嫌ながら「ブルドッグ」と発表したら何故か広まってね。

三学期に遊びでドッチボールをしていた時、こっちに向かって大声で「ベーブルース」とブルを強調して言った奴を捕まえて殴りつけたんだ。痛かったんだろう、思い切り泣き出した所に2ねん先輩の奴の兄貴が来たんだ。大きな男で、やられたなと覚悟を決めてたら、訳だけを聞いてから黙って弟を連れて行ったんだ。

彼の名前は満永と言って、私の休学中の一学期に転校して来た結構背の高い男だった。私とは二学期からだったが何となく自分の威を張ろうとしていた所が、常常神経にカチンと来ていたので、こんなつまらない理由なんだけれど喧嘩を売られたと思い、カッとしたんだと思う。だけどお蔭でこのあだ名を口にする奴はその後居なくなったし、満永との仲も悪くはならなかったよ。

昔は喧嘩もさっぱりしていて、殴り合いでも強い方が勝てば上位になる、ただそれだけだった。後を引く事も無くイジメとかジメジメした行為は全く無かった。現代の子供は陰険なイジメをしたり、殴る時は見境もなく殴りつける。
殴る時の限度が判らないのは、昔の様に殴り合いの喧嘩をしたことが殆ど無いからだ。

ちょっとした怪我でも親が出てくるから喧嘩も出来ず、自分も殴られた時の痛みが判らないから殴る時の限度も判らず、逆上した興奮状態で相手を死に至らしめる、この様な事が往々にしてあるのが現在なんだ。

変な話から喧嘩論になってしまったが、現在の親や大人が口を出し過ぎる教育は、やはり間違っていると私は思うよ。

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2年5組 新崎先生 男子23名(最上段右端:私、左端:満永)、女子32名(3段目右から5番目:菊川)

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親友になった日高君と私                            親友だった田中さんと。  懐かしい提灯ブルマ

COMMENT 1

弘介  2015, 12. 16 [Wed] 18:55

NoTitle

この先生の顔は、見たことがあるような気がするなあ! 弘介

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