私の生涯日誌 その11

2015年  09日 10:40
そろそろ小学校時代が終わりに近づいた。書きたいことはもっとあるけれど、自慢話では臭いからそろそろ終わりにしよう。
私は本当に父に怒られた事が一度もない。勿論手を挙げられた事もない。康介兄との喧嘩はあったけれど、強いて言えば家庭では末っ子として一番幸せな人生だったと思う。

家からは戦争に行った者も無く、不幸にも亡くなられた人達の事を考える時、本当に幸せだったなと思う。人は夫々人に知られたく無い秘めた性格もあるし、少し間違えると非行に走る可能性もあると思っているが、父母や家族に決して悲しい、嫌な思いをさせてはいけないと常常考えていたのは、やはり家庭が幸せであったからだと思っている。この思いはまだこれからもしっかりと心に刻んで過ごして行く事になるだろう。

一つ残念だった事は健康優良児として若松小学校代表に選出されなかった事だ。最終的には吉田眞一郎君が選ばれ代表となったが、私は体力面で負けたんだと思っている。先生も選ぶに当たって健康と言う点を重視したのだと思う。5年生では6年生の卒業式で送辞を読んだし、6年生になっての卒業式では答辞も読んだ。優等賞も貰った。それ以上贅沢言うな、撥が当たるぞ。

そうだ以前の記事で宿題になっていた神理教の田本先生宅に母が出入りしなくなった訳は、祭壇のある大きな部屋の隣に雑談出来る部屋があって、少し伝法肌な先生の娘(確か信江さんだったか)が井戸端会議の中心になっていた。母は元々この様な席が好きでは無く、会話に入る事をせず静かに聞いている事の方が多かったのは事実だ。ある母が居ない時に「○○さんはいい所の奥様か知れないけど、お高くとまってて嫌だね」と話していた事が後で耳に入ったんだ。それできっぱり止めたと聞いていたが、康介兄は、自分の親しい人の母親が神仏に凝っていて、田本先生との縁は切った方が良いとの話を伝えたからだと言う。今となってはその真意は不明だ。ただ私の温厚で無口な性格は母親譲りかも知れないな。

2015_1208小学成績0020
6年生の時の通信簿 身長:137cm 体重:30kg
2015_1208小学上級20011 卒業の日田端先生を囲んで。左から2番目吉田君。
2015_1208小学上級20003
卒業記念写真。橋山校長、田端先生、生徒数:男子27名、女子30名 合計57名と当時のクラスはこんなものだった。


COMMENT 1

ひろし  2015, 12. 09 [Wed] 14:05

NoTitle

なつかしいセピア色の卒業写真ですね。小生の卒業写真を久しぶりにみてみた。共通点は校長先生のチョボヒゲだった。セ-ラ-服の女の子は数人男の子は、丸刈りだが一人坊っちゃん刈がいたよ、僕じゃないよ。

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