私の生涯日誌 その7

2015年  04日 10:10
記事を読んだ康介兄から、訂正や知っている事の連絡が入るので助かっている。長兄宅にはパソコンが無く読んでいないようだ。1年の読方「サイタ サイタ」は入学前の康介兄がランドセルを買って貰い、長兄の余った教科書を入れて遊んでいたので、その時見たんだろうとの話、二人共入学前に読み方は出来ていたんだ。

私の1年生の時の身長:113cm体重:19kg 2年生の時の身長:117.5cm体重:21kgで平均位だった。

私は恥ずかしながらオネショを1年生の時位迄していた記憶がある。戦後食糧難で父が買出しに糸島郡の農家迄行った時に康介兄と一緒に付いて行った。あの頃は汽車も貨物車が多くて屋根付で真ん中に引き戸式の入口があった。結構満員で石炭の煙で結構辛かったが、田舎に着くと家の近くに川があってすぐ川遊びが出来たから夏だったのだな。近所の悪童共が喧嘩を吹っかけて来たが康介兄が出て行ってから皆大人しくなった。

疲れきって寝た次の朝、やっちまってたんだオネショを。父が気付いてどうしたと思う、濡れた布団の上に寝て乾かそうとしたんだ。旅館じゃなく買い出し先の家に泊らせて貰ってたので、人ごとの様に言うけど父は申し訳ないと思ったんだろう。
これも又この時の結果の記憶は全く無い。都合の悪い事の記憶は本当にきれいに失くなってしまう。帰りの駅でヤミ米買いの取締りに父は捕まったが、知っている人だったらしく直ぐに釈放された。本当に父は苦労してたな。

当時はお金では米が買えず、母の着物との交換しか駄目だった。その農家は私の記憶では確か庄村さんだった。糸島郡だけでどの辺だったかは今も判らない。

私は昔、頭に1銭ハゲがあって、母が市立病院の外科に連れて行ったら、ハゲの所を引っ張って縫い合わせるしか無いと言われたらしい。飛んでもないと母は色々な人に話を聞いた時に、田本さんと言う神理教の教祖様がどんな病気でも治してくれると言う話を聞いて、藁にも縋る気持ちで私を連れて行ったんだ。

結果はハゲた所から毛が生えて来た。実施された私には見えなかったが墨の筆でハゲに字を書いてたらしい、何かブツブツお経みたいなのを唱えながらね。それをするだけで何日か過ぎた時に生えて来たんだなぁ。何故だか判らない、刺激を与えたのかもしれないがこの事で母はすっかり信者になってしまってね。

腹痛でもも足を挫いても目の病気でも何でもここに行かされたんだが、薬は無いのに治るんだ。話が長くなったれど実はオネショもここで治してもらったんだ。ヘソと局部の中間位のお腹にお灸を横並びに3箇所据えたら、これ又治ったんだけれど私の体はどうなってたのかねぇ。私だけで無く康介兄も良く行っていて本当に信じていたなぁ。

神理教で教祖様は白い着物に紫の袴で、歳は結構とっていたが端正な顔立ちだったのを覚えている。正面の神棚に向かって祝詞を上げて太鼓を叩く、毎日のお勤めにも良く参加していた。祝詞の最後だったか、呪文だったか「みたまもの おりすが 神は寄せて」と唱えると災いを避けられると教えられ、何かある時には必ず唱える事にしていた。信じる者は救われるとの例え通り、これを唱えると全てが上手く行ったんだ。処が或る時母はぴたっと行くのを止めてしまったんだ(続く)

*一つ二つの話で結構文章が長くなるけれど、これで最後になるだろう記憶を残したく、又メモ的な記事にもしたくないのでご容赦の程を。

2015_1202小学校0006 母と康介兄
2015_1202小学校0012 深堀兄弟と、門が康介兄
2015_1202小学校0009
龍介兄(中央)の友人2人(?と山口さん:旧制中学)と康介兄(手前) 当時は皆戦闘帽だった。
2015_1203小学校jidai0009 康介兄と
2015_1202小学校0003
戦後から当分の間、青洟を垂らす子が結構居たな、栄養失調だったんだ。
後列:山本、内堀、御厨、私、藤原 前列:柴田、佐藤、下級生、後藤


COMMENT 3

-  2015, 12. 04 [Fri] 12:06

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ごくしげ  2015, 12. 05 [Sat] 09:20

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オネショ、近所に良くする子がいて、
布団が干してあるのを見て
友達とからかった。
なんていう記憶を思い出しました(笑)

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エースの城  2015, 12. 05 [Sat] 09:51

NoTitle

ごくしげさん コメント有難う
お恥ずかしい思い出です。中学時代の思い出集が出てきたので読んでいたら、糸島郡買出しが書いてありましたが流石にオネショの事は書いていませんでしたね。

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