私の生涯日誌 その6

2015年  03日 09:50
入学前の事は前回で終わり、少年期に入る。
ミンナデ ベンキョウ ウレシイナ コクミンガッコウ イチネンセイ
ミンナデ タイソウ イチニッサン コクミンガッコウ イチネンセイ  
昭和20年4月、福岡県若松市若松国民学校初等科に入学、1年生になって教わった「ガクカウ」と言う唱歌である。「三つ子の魂百まで」で何故か今でも覚えていて歌う事が出来る。

入学式の記憶も無ければ写真も無い。恐らく終戦間際で父もフイルム入手が出来なかったのかもしれない。クラスは男子と女子とが別れており、私が一年生になった時は康介兄は4年生に進級していた。

1年生の国語ヨミカタは「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」から始まったが何故か「サイタ サイタ サクラガ サイタ」の昭和16年4月前のヨミカタも覚えているのは何故だろう。1年生の時に広島、長崎と原爆が落ち結局8月15日に終戦となったが、終戦になる前の記憶に今でも不思議に思う出来事がある。

当時は空襲警報が出ると一旦全員自宅に帰る事になっていたが、警報が解除になるとまた学校に行く決まりになっていた。ある日警報で自宅に戻り、解除になったのに学校に行き忘れてしまった。
どのような連絡があったのか定かではないが慌てて走って学校に行く途中、初めての遅刻の経験から神経が興奮状態になっていて、金玉がギュッと絞られるような感覚から、坂の途中の大きな石垣に向けて小便したのに白い液体が出たんだ。・・・大きくなって考えれば正に射精であり、精神的な事から起こる夢精の様なものだと思うが、その時はただただ急ぎ学校に行く事で精一杯だった。この事だけの記憶であり、学校に着いてからの記憶は一切無い。

何となく誰にも話す事も出来ずにいた訳だが、当時7歳だよ有り得る話なのかな、その時の気持ちはただ学校に遅れたと言う泣きたいような気持ちの中で、何らかの反応、刺激が体に影響した事は事実だと思う。
性的成長がその後早かった気がするが、その事に起因しているのだろうか。話したら誰もが有り得ないと笑うだろう話、どうしようかと随分迷ったけれど、戦時中の話は今しか話す機会も無いので敢えて今日は書いてみた。(続く)

2015_1202小学校0007 前方の家は我が家の角の山県さん宅。
2015_1203小学校成績表20006 一年生通告表
2015_1203小学校成績表0005 二年生通告表
二年生迄の評価方式は秀、優、良、可、不可の5段階、低学年の秀は余程でないと貰えなかった。学科は1年2学期迄修身もあったが普通は国語読方、算数、体操、音楽、習字、図画、工作であった。通知表の写真は良く見えないが1学年は国語に秀1、修身に良1、体操に良上1、後は全て優。2学年は全てが優であった。

2015_1202小学校0002
1年1学期は高守先生、2学期から2年の1学期迄松本先生(確か若松の松本タクシーの娘で結婚で退職)写真の加藤先生は2年2学期からの担当、奉安殿の跡での撮影だった。確か3年生から学制も変わり小学校となって、クラスも男女共学になったから2年生の時の集合写真だ。私は最前列中央の膝に戦闘帽。今名前を覚えているのは42名中29名だ。

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-  2015, 12. 04 [Fri] 01:05

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