私の生涯日誌 その2

2015年  26日 09:12
5月12日お七夜で赤飯を炊いて祝ってくれたようだ。父は名前を三~四日考えた末「昌介」と命名してくれた。菖蒲にちなみ且さかん也との意が込めてあるそうだ。「健やかに成長し姉や兄と共に立派な人物となる様祈るもの也」と記してある。果たして私は父母の期待に応える事が出来たのだろうか。

兄康介は正式には私と2歳5ヶ月違いである。恐らく私が生まれる前迄は母に添い寝をして貰っていたと思われる。この日の記事にはお腹を壊してお七夜の祝い膳が食べられなかった事、「母親のお乳は昌介のものであることをよく納得していて独りで寝るのでえらいと思っている」と記して未だ幼い兄を気遣っている様子が伺われる。

誕生した上祇園町の家からその後神田町の家に転居し、更に父の転勤により九州福岡県若松市(現在の北九州市若松区)に移り住む迄の3年7ヶ月に写して貰った写真が136枚アルバムに張ってある。これは現在私が整理し所持している約50冊のアルバムの第1冊目である。

父の趣味はカメラで当時ドイツ製のボックス型カメラ(現在康介兄所有:ローライフレックス:当時400円現在価格200万円)を所有し自宅に暗室を作って現像迄していたようだ。父は三井銀行(現在の三井住友銀行)に勤め、私と同様石部金吉で趣味のカメラ(私はオカリナ)一筋だったそうだ。

当時父は写した写真を順次アルバムに整理し膨大な数のアルバムがあったが、子供達の写真を夫々に分けている訳でも無かったので、私が成長して調べた時には兄や姉達が自分が写った写真を剥いで自分が所有してしまっていた為歯抜けだらけ、子供達が一人で写った写真なんかは殆どなく、結局末っ子の私が写った写真で残っていたのは僅かだった。(続く)

2015_1125昌介赤ん坊20002
上は康介兄と。下は母と龍介兄と、家族写真。明子姉と猫はトンか。

2015_1125昌介赤ん坊20005
家族写真だけ少し大きくした。このキューピー随分長くまで居たような気がする。

COMMENT 3

-  2015, 11. 26 [Thu] 21:52

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エースの城  2015, 11. 27 [Fri] 05:06

NoTitle

宝香さん コメント有難うございます。
父は優しく、母は普通、亡き姉は厳しかったですね。男性は夫婦揃って今も仲の良い兄弟です。

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-  2015, 11. 29 [Sun] 00:03

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