我が家の系図その1

2015年  02日 09:45
私の先祖は5代前に遡ると「田村庄左衛門藤原俊房」と名乗る伊予松山の士族である。だが私の父母の本籍地は長崎である。
私の父の兄、私にとって叔父に当たる人は長崎の三菱造船所の設計士だった。何故調べ始めたのか理由ははっきりと判らないが、菩提寺の過去帳等を基に5代迄遡り我が家の系図を作り上げた。
田村庄左衛門には3人の息子と3人の娘が居て、事情は不明ながら田村本家を継いだのは三男であり、長男は他家へ養子(仮にA家)に行き、次男は姓を改名(仮にJ家)している。勿論何故改名したのか、何故長崎へ行ったのかも不明であるが私の家はこのJ家の流れである。
私の家に古い桐の箱があり、表に墨書で「辰砂地金泥僊山水之圖漢清應坊筆  其四之内第四  一軸」と書かれている。箱の蓋の裏には全て漢字で以下の文章が墨書きされていた。要約すると「漢の清應坊の筆となる絵を4等分し、其の1を妹婿へ、其の2をA家を継いだ長男へ、其の3を田村本家の三男へ、其の4を当家に留め置く」と書いてあり次男(我が家の先祖)の署名、花押があった。桐の箱の中には朱の和紙に金泥で書かれた山水画(縦144cm、横32cm)が収められていた。勿論4等分の内の一枚である。
系図と箱書きと山水画とから、私が最初におこなったのは、A家を継いだ長男の子孫の住所が系図に記されていた事から、山水画を写真に撮り、系図と現在の私の履歴を記した手紙(4等分された絵を探す事で系図に記された3家の消息を調査している目的も記す)と共にその人に送付した。およそ20年以上前の事だったかな。
結果はその手紙の返送もなく、その人からの返事も無かった。手紙の返送が無かったと言う事は相手に届けられたと思って間違いないだろう。(続く)

2015_0627金地山水画0008 4分の1の山水画
2015_0627金地山水画0010 かなり虫に食われている。

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-  2015, 07. 03 [Fri] 00:47

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-  2015, 11. 13 [Fri] 14:56

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