荒金きよしさん

2015年  05日 09:36
4月1日の「小学校の恩師」の記事の中にも書いた、若松の自宅にお参りに来てくれる近くのお寺の老和尚さん、これが臨済宗高岳寺の荒金雲外さんだった。とても柔和な和尚さんで、お寺は私の家から30段位階段を上った更に上にあった。小さい頃私の顔を見ては「少年倶楽部の表紙に載ってるような可愛い坊やだね」と褒めてくれてたな。
私が小学校低学年の頃、家に良く訪ねて来て面白い話をして帰っていた人が、このお寺の「きよしさん」と言う新聞記者だった息子さん、年月を経て私が名古屋に転勤で来て暫く経った50歳の頃、浜松のお寺で法話の上手な管長がテレビに出たが九州若松の出身らしい、癌でもう長くないようだが「きよしさん」じゃないかなと教えてくれたのは私の次兄だったような気がする。
浜松なら近いし一度訪ねてみようかと思っていたが丁度部長になったばかりでついついそのままに。後で平成2年に69歳で亡くなられたと聞いたがあの「きよしさん」だったかどうかも判らぬまま自然に忘れてしまっていた。
般若心経の記事を書きながらふとこの事を思い出して次兄に問合せてみたんだ。兄からは、昔テレビでこの管長の「末期癌の中での生き方」と言う話が放映された事、親父さんが九州の禅寺の立派な和尚であった事、本人が昔新聞記者であった事等から「きよしさん」にまず間違いない。
昔我が家に遊びに来て、従軍記者時代南京攻略時の日本軍将校が、敵兵を軍刀で「でーちゃあ切り、でーちゃあ切り」と意味は良く判らなかったが身振りも可笑しく話してくれたと、私の記憶にも残っていた話を兄も覚えていた。
すぐにインターネットで調べて臨済宗方広寺派管長、荒金天倫さんが間違い無くあの「きよしさん」(戸籍:喜義)である事が明白となったが、従軍記者から帰って新聞記者として20年勤めた後、福井放送の役員で3年過ごし、49歳で天龍寺管長に再参(記録によると従軍記者になる前の17歳の時に天龍寺に入門し、一度この管長に参禅していた為今回再参となる)している。どうしてこのような回り道をしたのか、またどのような技を使って僅か14年で管長まで上り詰めたのか、聞くチャンスを失った事を今になって急に勿体無かったなと思ったんだ。
若松時代に親しく我が家に出入りしていたのなら懐かしく面談する機会をくれたに違いない。色々と著作をしたり、流行歌の作詞をしたり、あの「きよしさん」がどのような人生を過ごしたか、過ごしたかったのか、法話が面白かったのは昔からの話上手な性格通りだったのか、何よりも短期間で管長に上り詰めた手腕を、直に感じ取りたかったと残念に思っている。
子供の時の僅かな印象が、このような思いを沸き立たせてくれるのは何故なんだろう、何でもが懐かしく思い出させる歳になったのかな。きよしさんは私とは18歳違いだったんだ。いずれにしても私が昨年60数年振りに、小学校時代の先生にお会いして心が安らいだように、懐かしい方には早くお会いしておかないと、後悔先に立たずになってしまうよ。
(注) 参禅:ある特定の師の指導の下に禅の修行をする事。 再参:再度参禅する事。

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-  2015, 06. 05 [Fri] 10:14

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