本日の追加:私の生涯日誌 終了のお知らせ

2016年  29日 10:35
私の生涯日誌で申し訳ない事が起こった。昨日の記事で兄夫婦が妻を心配して連絡をくれたんだ。これは去年の話だと侘びをいれて兄からも良く読まずに早とちりをしたと連絡が入ったが、やはりこれは少しマズイなと気がついた。去年の話はもう遠い話ではない、間違う事も有り得る。

生涯日誌はやはり終わりにしよう。今の記事は平成27年度の後半だが、現実はもうすぐ28年度が終わりになる。平成28年度の記事は新年早々に入院した入院生活の話から既に記事として載せており、来年早々にそれを載せると又誤解をされ兼ねない。

実は私も終わるタイミングを模索していたんだ。終わりの記事は格好よくしたいなどと厚かましい事を考えていたが、丁度良かった。今日、先に載せた記事の271回目で終わりとなるが、私の生涯日誌を長期間ご愛読戴き本当に有難うございました

拙い記事だったけれど自分ながら随分頑張ったなと思っている。最初はもう少し簡単な事を考えていたが、書いて行くにつれ自分で興に乗ってしまった所もある。写真も整理して保管していたお陰で、写真を見ながら当時の事を思い出し書いた記事もある。写真も結構記事に添付したが、写真等は私が亡くなった後には処分されてしまうもの、その数枚でもこの生涯日誌の中に残っていけば心残りは無いと思っている。

ただ記事の中には、記事の内容や添付した写真で、知らぬ間にご迷惑をかけてしまった方もいると思うので、ここで改めてお詫びをしたい。ブログは丁度年度的に区切りも良いので明日の30日から新年3日迄お休みをさせて戴きたい。従って4日からは新たな気持ちで、表題も新しく何かを考え日記形式でぼやきも入れながら書いて行きたいと思っている。

昨年12月の母の法事で長崎に兄弟夫婦揃って旅をし、念願だった親戚の吉宗の方々と挨拶、面談出来た記事やオカリナのクリスマス会の記事は遡って書かして貰おうと思っている。

既に記事に載せた平成27年度残、28年度の主な記は下記の通り(ボヤキ記事は別)。興味のある方はご覧戴きたい。
 2015年11月7日:六日の紅葉会
 11月27日:休日の幕間記事・・・内容:オカリナクリスマス会
 12月31日:大晦日です・・・内容:1年の出来事の纏め
 2016年1月2日:新年ご挨拶
 1月8日~14日:病院生活
 3月6日:休日のボヤキ記事追加・・・内容:稲沢市民会館での音楽三昧
 3月22日:臨時ニュース申し上げます・・・内容:オカリナ春のロビーコンサート
 5月22日:休日の幕間記事・・・内容:ゴルフ星野杯参加
 5月29日:休日の幕間記事・・・内容:28年度鳳陽会名古屋支部総会参加
 7月10日:休日の幕間記事・・・内容:現代日本画名品展見学
 7月31日:休日の幕間記事・・・内容:友人とゴルフ
 8月7日:休日の幕間記事・・・内容:第7回名古屋泡盛愛好会
 8月12日:スポット記事・・・内容:オーシャンドリーム号見学
 8月28日:休日の幕間記事・・・内容:孫の陸上自衛隊富士見演習見学と日本ど真ん中まつり
 9月18日:休日の幕間記事・・・内容:娘と徳川美術館
10月28日~11月1日:風に吹かれて東京の旅
11月2日:ボランティアでオカリナ演奏
11月9日~12日:九州でのクラス会
11月22日~24日:六日会の旅

*平成28年度ゴルフ成績:8回 平均スコア:103.8  111や118があった割にはまあまあだ。 ただ8回は少なかったな。
平成27年10月24日、孫が通っている国立岐阜高等工業専門学校学園祭に妻と見学に行った。初めての訪問で岐阜の本巣にあり車で自宅から約50分かかる。運動場を駐車場に開放しており、学生が数人整理案内に当たっていた。
校内案内図も無くどこで何をしているかサッパリ判らなかったが、結構広い敷地にコンクリートの建物がずらり並んでいる。後で調べたら教室や専門科等の建物が7棟、体育館2棟、図書館、福利厚生施設、テクノセンター(実習工場)の夫々の棟があり、敷地内には定員298名の学生寮がある。

ぶらぶらしていたらテントが並んでいる中で簡単な食事が出来る所や、野外の舞台上では若者たちがハシャギ回っていたり、体育館に入ってみると演奏会が始まっている。学生中心の若者ばかり、この喧騒の中では我々年寄りは付いて行けない。

結局、別行動中の孫の母親に携帯で問い合わせ、別の体育館内に設置された展示コーナーに向かう。孫は「機械工学科」だが別に「電気情報工学科」「電子制御工学科」「環境都市工学科」「建築学科」のコーナーが設置されていた。

学校は5年制で孫は4年生(大学では1年)だが、5年は就活で忙しく4年生が背広姿で対応。孫は初めてのネクタイが結べず苦労したそうだ。そう言えば私も大学1年から背広を着ていたな。

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不安定地面歩行ロボット運転
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スターリングエンジン原理説明中の孫と聴衆役の母親と妹(さくらになるのかな) 
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からくり人形(小型)
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受付の孫(右) 最も良かった展示コーナーのアンケート用紙に、機械工学科に○を付けて4枚も提出した。
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孫は以前民間テレビでも紹介された「レゴ同好会」に入っており、別の展示教室に彼が作った鉄道模型が飾ってあった。
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平成27年10月3日、昨夜は色々な事があった。夜に限定したのは、昼は天気も良かったけれどいつもの平凡な生活だった。

17時名古屋駅新幹線壁画前待ち合わせで、武蔵野市からN商事時代の金平先輩が来られ、翌4日の法事の前に、後輩のO君と3人で飲む事になっていた。
金平先輩は86歳、足の血管のカテーテル手術をしたばかりだったが、元気に昔の事務所を見に栄辺りをウロウロして来たと言う。この歳で元気だと思うよ。

3人揃って駅地下の鮪料理専門店に入ったのが17時、早速に飲み始め私はビールと熱燗、二人は最初から冷や酒、頼んだ料理も殆ど手を付けずに飲んで話すだけ、店を出た21時迄の4時間に酒を1升以上飲んだと思うよ。3人共70歳以上、ちょっと飲過ぎじやぁないかい。

土産に戴いた花園万頭」のぬれ甘なっと、帰ったら西東京市から来ていた娘が包装紙を見て「あら東急吉祥寺支店ってすぐ近くよ」。
東京の地形は良く判らないけれど、西東京市と武蔵野市が隣同士だったとは知らなかったなぁ。

2015_1004金平さん土産0002 戴いたお土産

22時前に家に帰って間も無く、妻が目まいと激しい頭痛で動けなくなった。以前目まいと激しい吐き気で救急車を読んだ事があったが、今回激しい頭痛だと言う。ひょっとしてくも膜下症かと不安になったが、妻は救急車を嫌がった為、車で大雄会病院に急行。私は酒を飲んでいたので娘が運転してくれて、助かったなぁ。
CT検査までしか出来なかったが脳内出血は無い模様、目まいを抑える点滴を1時間程してもらい落ち着いたところで帰宅、午前一時。
結構お酒も飲んでいたし、くも膜下の心配も無いようなのであっと言う間に寝てしまった。年を取ると何が起こるか判らない、気をつけないといけないな。

たまにはぼやきを

2016年  27日 10:16
 公務員たる福岡県飯塚市の斎藤市長と田中副市長が勤務時間中に再々賭け麻雀をして、発覚した後の記者会見でへらへらしながら謝りもせず、麻雀を賭けずにやってる人は全国で何%か調べてほしいと記者に開き直った。法律で禁じられている賭け麻雀を勤務中に行って平然としている。過去に確か賭け麻雀で捕まったサラリーマンがいたニュースを新聞で見た事がある。今度はどう対処するのか、公然と国民の前で自白した犯罪者に何も罰則無しでいいのかい。

今日のテレビで二人並んでいつもの形式的な謝罪している姿が映っていた。350人位の抗議電話やメールが入ったので恐らく仕方なく謝罪をしているとしか受け取れない顔だったね。本人達は市長、副市長を辞める意思等全く無いようだ。税金を払ってこんな連中に給与を払っている飯塚市民は黙っていていいのかい。犯罪者だよ。引きずり下ろすのが当然と思うがね。

 ブログに、人物の映った写真を掲載するには十分に注意をした方が良いと親切に教えてくれた方がいた。確かに本人の承諾もなく勝手に掲載する事は問題があるだろう事は理解している。人には色々な事情があるだろうから、写真が載った位と思う事が間違いである事は判っている。

だけど記事の内容から、悪い事の記事でも無く、全体の雰囲気を伝える為に写真があった方が読者に伝わりやすいと考えてしまうんだ。確かに本人以外の人の顔をぼかしたり、黒塗りしたり、写真に何かを貼り付けたような写真を見るが、私には全体の雰囲気が伝わって来ないんだ。楽しい写真であれば全員がにこやかに笑っている雰囲気がよいのであってその表情が必要なんだ。

だけど確かに難しい世の中だから何があるか判らない。前にも書いたが世話になった人を褒めたつもりで、記事に実名を使ったら、迷惑だと言われた事がある。その人の立場は私ではないのだから、何のことであれ善し悪し関係なく、知られたく無い人だっている事を知っておかねばならないんだ。

解るんだけれど何か寂しくなるんだ。それは記事の内容や写真を悪事に使おうと思う人がいるから注意しなければならないと言う事なのだが、それを常に考えておかねばならないのはやはり寂しい事だねぇ。
3日目(17日)
目を覚ますとカーテンの隙間からが射している、今日は天気だ。隣のベットで孫は未だ白河夜船、そう言えば夜中にふと目が覚めたら孫が起きている「えらい早く起きたな」と言ったら「未だ寝てないんだ」と言う、時計を見たら午前一時だった。

朝食後、孫は市内電車とバスの撮影に一人で出かけたが本当に乗り物が好きなんだ。帰って来てから直ぐに今日の計画消化に車を走らせて行く、知覧・鹿屋と孫の希望は無事済ませたので、後は時間のある限りの名所巡りだ。

駅前の本通りを走ってバスの多さには本当に驚いた、市電もあるのに4社のバスが道を占領し、途轍もなく走りにくい。ホテルのフロントで貰った地図を頼りに広いT字路に来た所で、信号待ちの道路の向かいに西郷さんの銅像があった。降りるのが無理なようなので車のフロントガラス越しに写真を撮った。
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これで1ヶ所終了、この街の中には坂本龍馬とおりょうを始め小松帯刀等の銅像があると地図には記載されているが、車を停めるのに苦労しそうなので省略、道に迷いながらも何とか城山展望台に到着。天気ながら桜島は雲で覆われ頂上の凸凹が微かに見える位だ。帰りの道の途中で西郷隆盛が自刃する前に留まった洞窟を覗いたが、中は案外狭い。
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時間も心配になったので予定の島津家の別邸仙巌園に向かう。一車線の狭い道の国道沿いに入口があったのに気付かず通過したら、渋滞に巻き込まれてしまい戻って駐車場に停めるまでに30分位ロスしてしまった。
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奥に見える赤い中門前の庭、全てがこの様に手入れが行き届いている。
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御殿、敷地の広さに比較して割とこじんまりとした建家に見える。
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写真の左側にある御殿から見る景色、正面の桜島を築山に錦江湾を池に見立てた壮大な庭園。

庭園内にあった売店で妻への土産「かるかん饅頭」と「きんつば」を購入、この庭園の入口のすぐ傍にある「尚古集成館本館」(現存する日本最古の機械工場、現在島津家博物館)や薩摩切子工場の見学もせず、空港の日産レンタカーに向け最後のドライブ。
鹿児島での三日間もこれで終わる、もう少しゆとりが欲しかったが事故も無く無事帰れそうだ。
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帰りの飛行機もプロペラ機、中部地区が大雨の様で到着が遅れ、30分位出発が遅れたが今回の旅行を祝福するように飛行機の窓から微かにが見えたんだ。下の写真の左側から斜めに右に向かって虹が。
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これで楽しかった旅も終わった。三日間鹿児島で雨に降られる事も無く、晴れ男の力を孫に伝えられて本当に良かった。到着した一宮駅から自宅迄は雨の為タクシーを使ったが、念力は鹿児島で使い切ってしまっていたんだな。 結局今回の旅行で私が撮した146枚の写真の内、ブログに使用したのが37枚だった、勿体無いけど後は没だな。



二階には知覧の平和会館と同じように多くの特攻隊員の写真と遺書、遺品が展示されていた。写真の下の氏名の前に書かれた階級の字が小さくて目の悪い私には見え難かったが、知覧と違って下士官の階級も見受けられた。そしてたった一人眼鏡をかけた人がいたんだ。
珍しい人も居た、二代目水戸黄門の俳優西村晃だ、勿論彼は特攻に行く事なく役者人生を全うして大往生を遂げたが、特攻隊員として鹿屋で生活し遺書も残し展示されていた。流石に亡くなった人と一緒に写真は飾られて無かったが、遺書の横に飛行服姿のスナップ写真が残されていた。

知覧よりも展示品が多くビデオ迄見たので、16時過ぎ迄2階で過ごし1階の自衛隊関係の展示品は申し訳ないが通りながら眺めた程度になってしまった。車に戻る前に、雨で見ていなかった魚雷と艦上攻撃機天山の曲がったプロペラを撮したが、撮影禁止の室内では隠撮りも出来ず写真はこの二枚。

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出口の横のショップで孫は二式大型飛行艇が描かれたバスタオル、私は航空基地inかのやと鍔に書かれた帽子を記念に購入したが、部屋が暗かったので黒に見えたが、青い帽子は合わせる服が無いなぁ。2015_09220001.jpg

鹿児島市内のホテルに向かい高速道路に入った途端、先も見えない程の豪雨、今迄貯め込まれた雨が一挙に吹き出した感じだ。そろそろ私の神通力も終わったかと思われたが、ホテルに着いた1時間後には雨はポツリポツリ。鹿児島中央駅前のホテルB&Bパークホテル鹿児島の手続きを済ませ、事前に孫がグルメ雑誌で調べたかごしま黒豚専門店・六白亭」に直行、ホテルに近くこじんまりした庶民的な店で二人共とんかつ定食を頼み、私はお決まりのビールと焼酎、孫は19歳で飲めないからちょっぴり寂しいね。
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このとんかつ、美味いのは美味かったが@1,360円は少し高いかな。孫もいることだし真っ直ぐホテルに帰ったが、部屋にいても孫はスマホに夢中、仕方がないのでホテルのとなりの居酒屋でもとロビーに降りたら、ロビーの片隅のカウンターに並んだ焼酎の焼物樽、蛇口も付いていてグラスと氷に小さな袋の豆が置いてある。

これは何だと思ったら「どの焼酎も50/50で割ってます。一杯100円で豆はサービス」・・・結構結構、別に女の子が居なくてもホテルの受付の娘を冷やかしておればいいんだ。結局3杯も頂戴して気持ち良く寝ちゃったね。天文館は夢の中にも出て来なかったなぁ。

指宿スカイラインの知覧ICに入る前にナビを鹿屋航空基地資料館にセット。今回は南九州道から東九州道と全て高速道路で行こうと考えているのに、ナビは高速を途中で降りて鴨池港からフェリーで大隅半島の垂水港に行くルートを提示、高速道路優先の別ルートで探してもやはり途中で高速を降りて鹿児島港から桜島フェリーを使って桜島港に渡るルートを指示、到着見込み時間14時5分。

どんなにしても高速道路だけで行くルートが出て来ない、そらそうだろうナビが選ぶのはエコルートで遠回りするルートは選ばないのだろう。降りろとの指示を無視して通り越せばいいんだ、ただ加治木で東九州道に入る道を間違えなければいいだろうと走りだしたが無駄な時間を費やしてしまったなぁ。

東自動車道の終点が最近伸びていて、降りるのはいいが乗る時にナビは間違えるかもとレンタカーの事務員に言われていたので、降りた所にあった寿司虎の看板とヒマラヤを記憶する。

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14時10分着きましたねぇ、この道は鹿屋航空基地の敷地内なので入って良いのかなと迷ったけれど、写真の左側の広場には自衛隊の中古飛行機やヘリコプターが10数機展示してあったのでその近くに駐車した。
2015_0917鹿児島旅行0071 対潜哨戒機おおわし
2015_0917鹿児島旅行0108 救難飛行艇おおとり。

この写真はほんの一部だが、広い敷地を見渡すと道を隔てた向かいの広場に一機だけ旧海軍の二式大型飛行艇が鎮座している。これだこれだ、これを見るのが第一の目的だったんだと、海上自衛隊鹿屋航空基地の正門前を横切って、見ましたねぇ機体の周りを360度ぐるりと一周して写真を数枚、一番格好良いのを掲載した。
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この二式大型飛行艇12型H8K2は昭和15年初飛行、当時世界一の高性能を持った飛行艇だったそうだ。戦後米軍が本国に持って帰って徹底的に性能を調べたらしいよ。
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外の展示飛行機を見るばかりで未だ資料館には入っていない、少し雨が降ってきたので丁度良かった。資料館の受付はキビキビした女性二人、恐らく自衛官ではないだろうか、最初の説明で、2階の零戦だけは撮して良いが後の写真は遠慮して欲しいとの事、2階が旧日本軍特攻関係、1階が自衛隊関係の展示との説明があった。

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零戦の操縦席は見学者用の昇降階段から見る事が出来る。機体は海中から引き上げた後、本体は三菱重工業、計器類は東京航空計器、7.7m/m機銃は日本製鋼所の夫々が復元作業に携わり写真のように綺麗に仕上げたものである。
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昨日オカリナの3グループの合同クリスマス会があった。本来この記事を書くべきだが、もうすぐ平成28年度に入るので、原稿だけ書いて載せるのはそのタイミングにしようと思う。早く私の生涯日誌を終わらせて、日記式の毎日を載せられる様にLet Go!

ホタル館富屋食堂の近くの駐車場に車を置いて徒歩で富屋食堂へ。
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食堂の前の表通りは広いコンクリート道路、駐車場からこの道路に掛かったコンクリートの橋を通って50m位の所に食堂は在る。写真の手前は脇道ながらかなり広い道で、近くには裁判所や検察庁のコンクリート製建物も在り、ホタル館と言う勝手にイメージした周囲の鄙びた面影は無い。

建物は老朽化した為、柱一本の寸法に至るまで昔のままに復元したと聞いているが、確かに建物にはそれなりの雰囲気はあるものの、周囲の景色から何か特攻隊員が集まった時代的背景が感じられず浮き上がった観光建造物と私には感じられた。結局食堂の中には入らなかった、入場料400円が惜しい訳では無く、これ以上はもういいやと思う自分がいたんだ。

2015_0917鹿児島旅行0060 通りに入って直ぐ。
富屋食堂から70m位戻った検察庁の裏の通りが知覧武家屋敷群だ。表通りからこの通りに曲がった途端に雰囲気が変わる。ここは昔の武家屋敷で今も子孫が居住している所もあるようで、アスファルト道路は勿論昔は土の道路であったと思う。
左右の石垣は整然と積まれており垣根の手入れも周囲とのバランスを合わせ、長い年月の間にこれを保つにはそれなりの努力が必要であったと思われる。

2015_0917鹿児島旅行0063 通りの終わりに近い所、造りは略同じ。
この地域は国の重要伝統的建造物群保存地域」に選定されているが、100m強の道路の左右に10数軒の屋敷がある。各屋敷の庭が有名で枯山水が多いと聞いていたが、通しの入場券が必要で門の中にあるのかと思ったらどこにも無く、帰りに調べたらこの通りに入る前の道路の反対側で売っていた、意外に商売気が無いな。

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結局、孫も余り興味の無い事もあって表を歩いただけとなった。各屋敷の門の正面はどの家も全て石積の壁があり中が見えないようになっている。武家屋敷も城と同じ考えで真っ直ぐに攻められねいような造りとなっているのだろう。

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門の奥に見える藁屋根がこれだ、説明は下の写真書いてある知覧独特の造りだ。
2015_0917鹿児島旅行0062

今日の記事は歴史の紹介記事になったが、遠い所だから行く機会も少なく勉強になったのではないかな。さてこれから指宿スカイラインの知覧ICから高速道路で鹿屋航空基地資料館に向かう、現在11時45分だ。
指宿フェニックスホテルに着いたら掲示板に団体の名前が書いてあり「春日市立春日中学校」とある。あれ!福岡県の とフロントで聞いたら「そうです修学旅行には毎年来てくれます」との事、41年前この春日市に新居を建て、名古屋に転勤になる6年間住んでいた所でもあるし、春日中学は私の息子と娘が通った学校だ、懐かしいし先生とでも会ったらお話をと思ったが結局会えなかった。

ホテルではまず砂むし温泉に入る。サウナには良く入っていたので大した事はあるまいとタカをくくっていたが、結構蒸されるねぇ。10分が目安と書いてあったが確かに汗だくになった。
夜の海老黒豚会席(10品)はまずまず、風呂上りにビールと2合の焼酎で酔いましたねぇ疲れていたんです。

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2日目(16日)
孫が寝ている間にパターゴルフ場からホテルの全貌を撮り、フロアの土産物売り場の女性にオリビンが浜辺で採れなかった話をした処、ホテルの支配人を呼んで来てくれて彼の紹介で、最終的には観光案内のボランティア活動している今村氏から彼が持っていたオリビンが混ざっている砂を貰ったんだ。

所が何て事は無い!この砂が昨日浜で見た黒い砂と一緒なんだ。今村さんに言われたね「大きな石を考えていたでしょう、今は砂粒と一緒位です、中に混ざったオリビンを取り出す為に、黒い砂の様に見える鉄鉱石の磁気を利用して磁石で鉄鉱石を取り除き、残った中からオリビンを選別するのです」との説明。

家に帰ってこの方法で選別したのが下の写真、右側がオリビン、後は目視で更に選別の要あり。暇な時にやろうかね、だけどこんな事なら袋いっぱい持って帰って、のんびり老後の楽しみにすれば良かった・・・待てよ搭乗前の手荷物検査で磁気が反応し、黒色火薬と間違われる可能性もあったかもね。

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2015_0918鹿児島0004 オリビンは飴色だ
真ん中の貝は「目八葵貝」と言い大きさの同じ貝を二枚合わせるとハート形になるのと、反対から見ると二羽のオウムが向かい合って愛を語っているように見える縁起の良い貝で、I/G氏が目を入れたんだそうだ。これも頂きました!

さて今日は目標の知覧だ。8時半出発、雨は降らないし一般道のドライブも渋滞は無く快適。知覧特攻平和会館入口の横の木立の中に、特攻隊員が居住していた、目立たぬ様に屋根だけが地表にある三角兵舎があった。飛び立つ前にはどんな夢を見ていたのだろうか、手を合わせたい厳粛な気持ちになった。
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平和会館の入口を入って直ぐ右に、表からガラス越しに見えていた零戦の無残な姿、海中から引き上げたものだとの事で翼から後ろは消滅している。胴体も翼も傷みが激しいがプロペラだけは無傷だ、重要な所だけにそれなりの金属を使用しているのだろう。撮影禁止を無断で撮ったので慌てていて全体が上手く写っていない。
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室内に入ると壁一面に貼られた特攻隊員の写真が目に飛び込んで来る、夥しい数の写真だ。右側から写真を見ながら手前のケースに展示してある遺書を眺める、眺めると言うのは申し訳無いが一枚一枚読んで行くには余りにも数が多く、時間に追われては到底ゆっくりと読む事は出来ない。

ただ言えるのは皆素晴らしい文字だ、恐らく二十歳から三十歳位だろうが、このような文章と文字が書けるのはそれなりの教育を受けていた人達だと頭が下がる。

写真の下には名前と階級が書いてあるが少尉、中尉、大尉ばかりで下士官の階級が一人も居ない、恐らく亡くなられてから階級を特進させたのであろう。この方々が生きていたとしても年齢は90歳以上、ご両親はもう全ての方は亡くなられ、兄弟親族と言えどもここを訪ねる人はもう居ないのではないだろうか。

写真で眼鏡を掛けている人は一人も居ない程の健康な体は、皆無駄死にだったのだろうか。昨日安全保障関連法案が成立した。

私は今、良いとも悪いとも言わないがここに飾られている人達の様に、その時点では正当であるかの信念で結局は無駄死になる様な事だけは何としても阻止しなければならないのではないだろうか。帽子を被ったままで見ていた自分は、形では無くて心の中で色々な事にお詫びしていたんだ。
2015_0917鹿児島旅行0053 疾風(キー84甲)の隠撮り

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先月迄ここに展示していた飛燕は今日のテレビニュースにもあった通り、日本に唯一残っている機体であり制作した川崎重工が現在持ち帰り補修中、修理完了後は各務原で展示する予定との事。

降旗監督が制作したドラマ「ホタル」(高倉健、田中裕子)の記念碑もあった。これから舞台でもあった富屋旅館から知覧武家屋敷を回って鹿屋に向かい走る事とした。






9月15日から17日迄の2泊3日の孫との鹿児島旅行を終え昨日無事帰宅した。まず最初に述べたいのはこの3日間一度も傘をささなかった事だ、晴れ男の私が孫の為に大自然の流れを打ち破ったとも言える。
3日間で撮した写真は146枚、孫に聞いたら206枚、負けたなぁ。この146枚の中で人物が入っているのは6枚だけ、孫は写真を撮られるのが嫌いで後ろ姿を入れたのが3枚、私を撮して貰ったのが3枚、妻に土産話をするにも寂しい限りだ。
今回は孫との気楽な旅だし雨の心配もあってラフな服装、手荷物を無くしてリュック一個。

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表情は固いし田舎のオッサンだね。リュックが見えないけど結構膨らんでいて重いんだ。晴れ男も自信が無くて、雨具や着替えを結構詰め込んでいたんだ。
空港迄は計画通り順調、ネットで予約した券で搭乗券手続きを済ませ、孫に引っ張られて屋上の送迎デッキへ行くと今日乗る予定のDHC8-Q400が丁度到着した所、プロペラ機なんて50年位前に五島列島に石鯛を釣りに行った時以来だ。だけどプロペラって6枚もあったかなぁ、少ないより多い方が安心だろう。

2015_0917鹿児島旅行0017
12時半には鹿児島空港に降り立って、予約済の日産レンタカーの迎えの車に乗り込み事務所で手続き、軽自動車のモコに乗って鹿児島中央駅に直行だ。電車好きの孫の為にJR観光列車「指宿のタマテ箱5号」を予約していたので、高速をぶっ飛ばして無事到着。

ほっとする間も無く私は車で、指宿枕崎線海岸道路を待ち合わせの指宿駅へとひた走る。列車は午後3時に着く予定なので途中のファミリーマートで買ったサンドイッチを食べながらの運転、お陰様で雨は降って無かったが、折角見えるはずの対岸の桜島は雲に覆われて全く見えない。

2015_0917鹿児島旅行0027
指宿駅に着いたのが3時15分、鄙びた田舎の駅で龍宮伝説に因んだ竜宮城の模型が尚一層侘しげに見える。孫はもう待っていた、観光列車は面白かったと、聞いたら答えただけで感動を余り表さないが、いつもこの調子なので満足していると思うよ。

2015_0917鹿児島旅行0031
そのまま直ぐにJR日本最南端の駅「西大山駅」(北緯31度11分)に行って記念写真、後方に見えるのが薩摩富士と呼ばれる開聞岳、日本本土の最南端に来たなとの感慨あり。この近くに川尻海岸(通称オリビンビーチ)があり8月の誕生石である飴色のオリビンが、砂を掬ったら幾らでも採れるとテレビの観光案内で聞いていた。

某保養施設の前からすぐに海岸に降りられたが、真っ黒な砂浜(昔開聞岳が噴火して大量の溶岩、岩石が海岸を覆い、長い年月で波が岩を砕き黒い砂となった)、その中に含まれていた橄欖石系のオリビン(宝石名:ベリドット)が砂に混ざっていると言う。大粒のものは殆ど拾われてしまったようだが小粒のものは未だ大量にあるとの話・・・・。

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所が全く無いんだ、手のひらに掬って指で探したけれど何にも無い、ただ黒い砂があるだけ。何だ何だ、インチキな話だ、そう言えばこの広い海岸には私達二人の他には誰一人居ない。石言葉が「幸福」「友情」「夫婦の愛」とくれば何とか一粒でもと思ったのが大間違い・・・

最南端の長崎鼻は駐車場からかなり歩かねばならないのでやーめた。今日の宿泊先指宿フェニックスホテルへ向かったんだ。
オリビンに関する参考になる話は次回のお楽しみ。