休日の幕間記事

2016年  31日 09:10
○ 一昨日、以前会社でお世話になったMさん、A女史と2度一緒にプレイをしたOさんとの4人で久しぶりのゴルフを四日市の里GCで行った。この3人とゴルフをしたのは2年以上前だったが久振りにお誘いを受けて喜び勇んで参加させて貰った。Mさんには仕事でも本当にお世話になったが、ゴルフも上手いし歌も上手いし性格も良い・・・少し褒めすぎか。仕事でお世話になっていた時も気持ち良い対応をしてもらい、これはゴルフのプレイ中も変わらない。今回は特に暑さ対策として私の為に氷を詰めた氷嚢を用意してくれていたんだ。有難いねぇ。お陰でこの暑い中でも少しも疲れずスコアも今年ベストの94(49・45)だった。それと合わせてフォーム改造中のドライバーの飛距離を伸ばす成果が現れて来つつあり、Mさんからは今更と笑われたが、今回を含めて戦績は私の2勝3敗1分けのままで終わる訳にはいかないんだよMさん。頑張りまっせ、負けるのが恐いから誘わずにおこうなんて考えたら許しませんぜ。 

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 逆光になって美男美女の顔が良く判らんな。

○ その夜は月2回、金曜日の夜と決めているカラオケスナックに行ったんだ。結構疲れていたけれど、ママさんの期待を裏切る訳にいかずと考える所が私の良いところなんだ。相変わらずの貸切状態、ママさんが背景に映る小林旭の若い頃の写真が好きなので、小林旭シリーズ、「北へ、、昔の名前ででています、さすらい、ごめんね、ついて来るかい、もう一度一から出直します、惜別の唄、北帰行、十字路、純子、落日、水たまり、黒い傷痕のブルース、最期にもひとつ、惚れた女が死んだ夜は、泣いた数だけ幸せに」 とここ迄来たら旭の歌が途切れてしまい、帰る時間の9時に未だ間がある為、「黒い海峡、恋、長い夜、枇杷の実のなる頃、芭蕉布」そして最後に現在オカリナ練習中の「糸」を試しに歌ってお開き。合計22曲よくやるねぇ、自分の事ながら感心するよ。

私の生涯日誌 その183

2016年  30日 10:34
平成16年12月に私の紹介の意味でU氏が星野産商の星野社長との会食を企画してくれた。勿論社長とは初対面。星野産商は中部鋼鈑構内でスラグ(電気炉でスクラップを溶かし溶鋼を作る際に不純な物がカスとなって分離される。それをスラグと言う)処理の作業を請け負っており、当然星野社長とU氏は昵懇の間柄であった。

星野社長のイメージは静かな紳士の感じ、ただ眼鏡の奥の眼光は鋭かった。「来年1月末明徳を退社した後お世話になります」「新年は毎年幹部揃って熱田神宮のお参りし、お宮の近くの料亭で役職者全員での新年会を行うので顔見世に出席されたら」とのお誘いを戴いた。

平成17年新年会は社長の訓示で始まった。社長の隣の雛壇に座っていたが、最初にお会いした時とは打って変わっての口調で、叱咤、叱咤、また叱咤、激励無しの叱咤が続いてね。何しろ初めての社長の訓示には度肝を抜かれてしまった、こりゃぁマズイ会社に入ったんじゃないかなとその時正直そう思ったね。

訓示の後に私を紹介され確か挨拶をしたはずだったが、どんな事を喋ったのかの記憶も無く、その後の社長との会話や社員の皆さんとの会話や二次会に行った様な気もするがとんと記憶に残っていない。叱咤、叱咤の口調だけはいつまでも耳に残っていたけどね。その後社長と何でも話が出来る様になった時に「あの時の訓示は大変だったですよ、あのまま席を立って帰ろうかと思いましたからね」と冷やかした事も何度かあった位鮮明な記憶に残ったんだ。

平成17年2月1日からの出勤を1週間遅らせて貰い入丸入社以来続いた連続勤務がここで途絶えたが、長い勤務人生の中でホッとした一週間が過ごせたのは何よりだった。

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 美穂7歳、七五三。             平成16年クリスマス 優介・彰人
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 平成16年大晦日 佳奈・知奈、一人酔ってます。    平成17年元旦 石刀神社

私の生涯日誌 その182

2016年  29日 05:43
U社長は私が明徳産業勤務の2年目になる前に退職され、その時に「JOさん、今度辞めたら次は自分も務める星野産商と言う会社に来て下さい。今度社長を紹介しましょう」と言われもう次が決まっていた。明徳の次の社長は、中部鋼鈑でU氏の部下ながら、片腕とも言うべき占部氏が社長を継いだ。占部社長は中部鋼鈑時代から私にも良くしてくれており、交代しても何ら支障はなかった。

明徳産業時代の2年間は本当に仕事もプライベイトも良いことが凝縮されたような時代であり、豊橋事業所の全ての人、本社の全ての人に良くして頂いた。多くの仕事関係の人ととの接点は僅か2年間と思えない程のものであったと思う。丁度2年目終了間近に占部社長から後も継続して宜しくお願いしたいと言われたが、U氏との約束を話すと気持ち良く承諾してくれた。

平成17年1月21日伊良湖ガーデンホテルに泊まり込みで、盛大な送別会を開いてくれた。本社からは占部社長始め古谷部長、竹本部長に美女二人、豊橋事業所は全員参加、ご馳走責めに歌ありダンスありで天にも昇る気持ちだった。「僕の時にもこれと同じ様な送別会を開いてよ」と豊橋担当の古谷部長はみんなに頼んでいたけど、恐らく無理だったのじゃないかな。翌日は伊良湖シーサイドゴルフ倶楽部でプレイ。至れり尽くせりの送別会、僅か2年勤務の私に申し訳ない程のご好意、本当に有難う、皆さんの事忘れないよ。

そう言えば豊橋事業所の鬼頭氏の家は奥さんが田原市で旅館を経営しており、一度希望者で一泊泊まりの焼肉パーティをして、翌日は岸壁で小アジの釣り三昧と言う日もあった。U社長から誘われ無ければ豊橋や田原など来ることも無かっただろうに、考えたら色々楽しい事が沢山あったな。

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 本社から伊良湖迄5人、後は豊橋事業所の全員です。
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 これはヤラセではありません。私が如何に女性にモテモテであったかお判りでしょう。この中の女性の一人からお別れに心のこもった感謝の手紙も戴きました。
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 事業所全景

私の生涯日誌 その181

2016年  28日 11:19
平成16年8月に若松二中のクラス会を九州にいる連中が企画してくれた。卒業して50年を記念してだった。幹事は日高君を中心に先日亡くなった柴田君、坂村君、新庄君、3年前に亡くなった村田君、女子は勝浦さん田中さんが住所等色々調べて最終的に男子14名、女子11名の25名が出席となった。

恩師はクラス担任の新崎先生と数学担任の安倍先生のお二人であった。我が家は妻と二人出席、何しろ同級生だから費用がかかっても仕方が無い。50年経っていても殆どの顔は識別出来たが、折尾駅の集合場所に集まった時安倍先生が一瞬分からなかった。小さいおばあさんが居るなと思ったら先生だった。

会場のかんぽの宿に着く迄に、もう完全に昔に戻っていたね。これが同窓会では無くクラス会なんだ。3年間同じクラスで過ごした同じ年の連中は言葉遣いも何もかも昔のままなんだ。
私はクラス会用にアローナイツの「流氷」のメロディを使って替え歌を作って歌った「ふるさと同窓会」の歌だ。歌詞は拙くても気持ちは伝わるだろう

1.懐かしふるさと福岡の  ここは若松かんぽ宿  昔変わらぬ恩師と友が  集い語らい酒を酌む  月日は戻りて中学時代
2.それぞれ苦労はあるけれど  友の笑顔で忘れよう  触れた肩には若さはないが  光る瞳は少年時代  も一度会おうぜ3年5組
3.先生お二人お達者で  仲間のみんなも頑張ろう  離れ離れに暮らしていても  まとまる心の源は  若松二中の3年5組

妻以外に淡い恋心を抱いて「雪の降る町を」を聞くと心が揺れたと以前書いたクラスメイトは出席しなかった。聞く所によると私に会うのが怖いんだとか・・・。何でや何も無いのに・・判ったぞ、歳をとり衰えた顔を見られたく無かったのだろう。女心はいくつになっても微妙だね。

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 妻と私                       かんぽの宿
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 妻の実家のお墓参り。            翌日は長崎の永昌寺に行き我が家の墓参り。
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 我が母方のお寺禅林寺にもお参り。  食事は親戚の「吉宗」で。

私の生涯日誌 その180

2016年  27日 06:42
明徳産業㈱古谷部長は私の釣り好きの心を思い出させてくれた。一緒の仕事をする間に彼が釣り好きであるのを知った。彼がいつも行ってる釣り場が三川公園を流れる揖斐川がポイントだ。彼に教えて貰って振込竿、リール等を含めた道具を全て揃えて早速釣り場に集合、途中の釣具屋で青虫を買って早速振込、所が何回振り込んでも糸が前に飛んで行かない。

そうだ考えたら九州での釣りは全て船からの手釣り、一度行った石鯛の時は瀬の岩場から数メートル投げるだけ、振込竿は使った事が無かったんだ。古谷師匠に聞いたら竿を振り上げた時のリールの位置が上下反対になっていた。飛ばないはずだ。それからは順調、手にビリりと来る当たりに合わせて竿を上げるとビリビリと来る感触、長い間忘れていた醍醐味を思い出したんだ。釣れたのはセイゴ、大きくは無いけれど十分に楽しめた。

古谷氏にはその後三重県鈴鹿市の白子本町の漁港でのハゼ釣りを教えてもらい、ここには別の日に孫の尚宏と美穂を連れて行き今度は私がお師匠さん、孫にも魚釣りの面白みを教えてやったんだ。豊橋も海に近い所だから釣り場は沢山ある、車に小さい竿を乗せていて、古谷さんとハゼ釣りを何度かやったね。仕事の合間にこれくらいの楽しみがあっても罰は当たらないよ。豊橋に勤めた2年間の間のこの釣りは本当に楽しかったと今も思っている。

が何故か次の勤めに変わってから行かなくなった。忙しくなったのも原因だが次の会社の鶴山専務に揖斐川での釣りの話をしたら「ああ あのウンコ川ですか」と言う「あの川はし尿船が行き来するのでそう呼ばれてますよエッヘッヘヘ」と変な笑い、結局それから行かなくなった気がする。別に流してる訳ではないから影響は無いと判っているけれどあの笑いが気に入らなかったんだな。

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                 白子漁港のはぜ釣り 隣は美穂だな。
豊橋の祇園祭りで行われる手筒花火、戦国時代から伝わるもので花火を抱える揚げ役が自分で竹に縄を巻き火薬を自分で詰めて作る。両手で抱えた手筒花火から火の粉が勢いよく舞い上がり火柱は10m位になる。最後は筒の底が抜ける「ボン」と言う音が響く勇壮な花火で次々と300発以上が打ち上がる。そう言えばトピー工業の入口の奥に手筒が飾ってあったな。

私の生涯日誌 その179

2016年  26日 08:00
通勤の思い出は、帰りに一宮駅に降りた時、プラットフォームにお酒が飲める立ち飲み屋台があってね、石刀駅に行く普通電車に乗り換えるわずか5分の間に、熱燗の酒コップ一杯とホルモンの串を一本、これで500円、これが本当に美味くてね、時間に急かされながら飲む酒の味はまた格別だった。

普通電車が着いて停るぎりぎりまでコップを握っていてね、口をもぐもぐさせながら電車に飛び乗る事もあった。降りる時は時間が無いから丁度屋台の前に止まる車両を決めて乗っておく必要があった。車両を降りて店に飛び込むと店のおばさんも手慣れたもの、顔を見たらサッとお酒を出してくれる、もうツーカーだったね。

所が毎日の事だし急いで飲んでいた所為でか急激に糖尿の数値が上がり始め、暫くお酒を止めざるを得なくなった。そうなると今度は店の前を通り難くなってね、店の場所が階段のすぐ傍なもんで少し離れた車両から店の裏を抜けて行くなど苦労したんだ。「5分間のいい話」では無いけれどこの5分間の思い出は酒の味と共に心に今も残っているんだ。あのおばさんにははっきりとお別れしておくべきだったと思っているが今はこの屋台は無くなっている。

そう言えばこの普通電車には30台後半の少し魅力的な女性が一宮駅から乗って来て私と同じ石刀駅で降りる。歩き出すと私と同じ方向で、後をつけている様になる。ストーカーって言うのはこんな気持ちなのかな。人妻ではないな、独身の様にも見えるが年齢から考えると不倫相手がいる様な感じに見える、そんな影も感じられるんだ。私のマンションから直線距離で50m位のマンションに入って行った。何もないのだけれど通勤にはこんな楽しみもある。

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渥美半島伊良湖 島崎藤村「やしの実」

ぼやきの続き

2016年  25日 10:10
○ IOCが大国に屈した、情けない話だ。既に国際競技連盟が除外を決めている陸上を除く27の競技に条件付きで各競技の競技連盟の採択に任せたと言うより逃げてしまった。バッハ会長は尤もらしい言い訳を言っていたが、相手が小さな国だったらどうしたんだ。国自体が先頭に立っての不正だろ。こんな明白な事に対してすら、出場させない強い姿勢も出せないIOCだったら潰してしまえ。やり得を許すな、東京では独自な検査機関で水際で防御するのがクリーン日本の使命だぞ。

○ 大相撲で稀勢の里は又横綱昇進のチャンスを逃した。誰も言わないけれど、この相撲界の為に、恩義ある日本人が喜ぶ為に何とか優勝させてやろうと白鵬は自分が負ける事でチャンスを与えようとした。精神的に弱い稀勢の里は反ってもたついて折角のチャンスを生かせなかった。漁夫の利を得たのは日馬富士、最初もたついたのにこのチャンスを自分が生かしてしまった。日馬富士には相撲界を考える程のゆとりは無い。来場所にチャンスが残る様な決定を理事会はしてくれたが、私はもう無理だろうと思うよ。天下の大横綱双葉山の様に、稽古より滝に打たれる精神修養をした方が良いかもしれない。このままでは万一横綱になっても吉葉山とか栃ノ海、三代目若乃花のような短命横綱で終わるよ。私は魁皇の様に大関のままでいた方が相撲界に長くおれると思うがね。

○ 大相撲で遠藤は最初から駄目だと私は言っていたが、顔が良いとかで人気が先行する力士は余程しっかりした力士でないとダメだね。贔屓の引き倒しになるんだ。御嶽海はまだ期待出来るし正代と言う力士もこのまま順調に行けば大関、横綱と期待出来る力士だ。ただ相撲協会にもの申したいのは、アマチュア相撲じゃないのだから関取になったらちゃんとした四股名を付けさせろよ。輪島が悪い例を残したから言えないのかもしれないな。ただこのまま全員が苗字のままで相撲を取ったら髷が有るか無いかだけでアマチュア相撲と一緒だよ。関取になる条件は四股名らしい四股名を付ける事を義務づけろよ。最も基本的な事だぞ。正代も早く横綱になりたければ立派な四股名をつけろよ。

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 稀勢の里に敢えて大鵬のこの言葉を伝えたい。大鵬が色紙に常に書いていた「忍」と言う文字に秘めていた気持ちだ「心の上に刃を載せて生きていく 必死に生きてきた私の人生をこの一文字が表している」

休日の幕間記事

2016年  24日 08:57
○ 国をあげての組織的隠蔽工作をやっていたロシアのドーピング問題で国際オリンピック委員会(IOC)はスポーツ仲裁裁判所(CAS)の判断を基に8月5日にロシアのリオデジャネイロ五輪の出場可否を協議すると言っているが、これほど明白なドーピング違反は協議する迄もない。

ロシアと言う国がいかに卑劣な事をする国であり国民であるかは、スポーツに限らぬ政治的問題でも明白である。日本人は北方領土を騙し取ったロシアをいかなる事があろうとも信じる事は出来ない。平和条約締結交渉を進めてるが、こんな国と結んでも破られる為にある様なものであり、真面目な国ほど馬鹿をみる。この国は世界で1、2(もう一つは中国)を争うほどの不信国である。

オリンピックは今回絶対に参加させるべきではなく、クリーンであるべきスポーツを土足で踏みにじっても何とも思わない、反省も口先だけの国に誠意を見せてやるほど馬鹿げたことはない。ドーピングに関係した選手の記録は全て抹消し、競技会の順位は全て繰り上げて記録を作り直すべきである。どうせメタルは返さないような人種だから返さなくてもいいだろう。残る記録が全てだ。個人の事を考える必要は無い、国を上げての違反は全国民の責任と考えろ。

日本の高校野球なんか部員一人の不祥事で試合に出られなくなる程厳しい。一人の責任は全体の責任である事をこの頃から教育されている。国をあげての不正に政府迄覆い隠そうとする国と同じ土俵で戦えないのは当然だ。パラ五輪もロシア排除、当然だろう、絶対に腰砕けにならないよう願っている。

○ 中国が勝手に引いた南シナ海の境界線は国連海洋法条約に基づく仲裁裁判所が無効と判定した事に対して中国は全く受け入れる姿勢は無い。

この国、この国の国民ほど物欲が病的に強い国は無く、今回もゴリ押しをして岩礁を島にしたて周辺に埋蔵される天然資源を我が物にしようと躍起になっている訳だ。この国はあれだけの領土を持ちながら未だ不足を感じる国民だ。この貪欲の塊のような国は例え国際法の決定であろうと何であろうと恐らく従う意思など微塵もないだろう。

裁定で勝利宣言をしたフィリピンも喜んでばかりいても足を掬われるだけだよ。中国をまともな国と思うだけ損な話、同時にこの国に軍事力を増大させる事は、気違いに刃物を持たせる様なもので、今の所使いこなす腕はお粗末でも下手な鉄砲も数撃てば当たると言う様に誠に危険な事だ。

早く内乱でも起こさせて、外に向いている眼を内に向けさせる手段を考えないと、昔の支那とはちょっと違うかもしれないよ。要するに何を言っても聞くような国ではなく国民では無いので昔の三国志時代みたいに国内を分裂させる手段が必要と思うがどうだろう。

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一日2~3輪が精一杯の朝顔が昨日今日と9輪づつ咲いた。小さい花で一色だけ、前にも話したけれどどうなっているのだろうか。土も新しく、鉢も新しくして栄養も十分にまいてこれだから、どうもこのベランダは朝顔にむいていないのかも。来年はヘチマかゴーヤに切り替えるか。

私の生涯日誌 その178

2016年  23日 10:00
どの会社にも良く通ったから、先方のトップから担当課長、担当者等の顔は今でも良く覚えている。本当にみんな良い人で気持ち良く面談してくれた。

ヤマサちくわ㈱の花田社長は中々面白い人で、工場設備を気楽に見せてくれたり、応接間では昔の販売の苦労話、未だ名が売れて無い設立時期には乗用車に製品を積んで九州辺りまで行商、宣伝に走った話等を話してくれた。今でもスーパーで同社の製品を見ると社長の顔を思い出すんだ。

水澤機械商事㈱は蒲郡に会社があって元々NS時代には溶材商として取引があったので水澤会長は良く知っていた。会社はヤマハのボートの取り扱い店にもなっており会長はこの地の名士でもあったので紹介もして貰ったね。メタルテクノ神戸㈱はNSの鋼材特約店でもあり、社長は学者肌、風貌も含めて特約店の親父って感じでは無かった。同社では野外製品置き場のクレーンを受注したな。

愛知海運産業㈱の山田社長とはどういうきっかけで知り合ったのか思い出せないが事務所敷地無いではガソリンスタンドも経営しており、市内数箇所に同社直営のスタンドがあった。社長には一度豊橋名産のメロンハウスに連れて行かれ、食べ放題食べた後に何個かを箱詰めして自宅迄送ってくれた事もあった。

どの会社にも何らかの受注物件があって、何度も通った思い出、工場内の設備や稼働している状態など断片的に頭に浮かんで来るが、物件が何であったかがとんと浮かんで来ない、近い時代になるに従って記憶が薄れてくるのは何故だろう。

豊橋で飲む事は少なかった、帰りの電車が気になるし通い詰めた店は無い。豊橋駅前から電車道に沿って500m位歩いた、そうだ市内電車で2駅の大手町に大手と言う小料理屋があって、ここは本社からU社長が来た時には使ったな、感じの良いママさんがいたいい店だった。ママさんと浮いた話でもあれば良かったけれど、何しろ堅物なものでごめん。

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電車好きの孫を連れて行った田原市の公園に展示してあった昔の電車

私の生涯日誌 その177

2016年  22日 08:37
私は新しい会社に入ったら、まず最初に自分用の参考手帳を作成する事から始める。薄っぺらい長細い手帳に、会社の内容から始まって会社の業務内容、納入実績、業績等々書き込んで、反対側のページからは訪問した先の担当者名から会社の内容、設備関係での今後の可能性等特記事項を記録して行く。

私の仕事は新規開拓なのでまずは豊橋市内から近隣の会社や事業所、工場を知る事が先決だ。その為に豊橋市の商工会議所(当時の会頭はヤマサちくわの花田社長)に行き企業年鑑を借りて必要な会社をコピーして行く。会議所内には書類の閲覧室も整備され有料ながらコピー機も備わっている。コピーした企業名リストを作成したら、その中から最初は大手企業を選択訪問の対象とする。

会議所の会頭とか事務長とかに会って、殆どが商工会議所の会員である会社なので紹介して貰うケースもあった。飛び込み訪問よりも何らかのがある方が相手も会ってくれる。商工会議所も会員の依頼とあれば無下にはせずこの点では大いに活用させて貰った。

豊橋市の隣の田原市にも田原市に会社がある愛知海運産業㈱の山田社長を通じて当時の白井市長のも面識を得て排水処理問題とか市として何に困っているか等の諸情報を知る事が出来た。何事も全くの飛び込み営業で無駄な労力を使うより、知っている人の伝を活用するのが営業の基本である。

当然明海団地内の企業は全て対象となり同じ団地内だけに訪問し易い。所長が既に担当していた豊橋造船を除いて吉野石膏、フォルクスワーゲン、伊勢湾海運、花王、豊橋資料、丸ト運輸、トステム豊橋、上組、デンソー、トヨタ紡織等々、団地外ではフタバ産業、日新総合建材、神鋼電機、トピー海運、トピー工業豊川、日本車両製造、やまさちくわ、メタルテクノ神戸、水沢機械商事等々。個々の会社のエピソード等は次回に。