私の生涯日誌 その159

2016年  30日 14:22
平成8年の出来事で言い忘れた事がある。若松の家の売却だ。もう誰も帰る事の無いこの家は、このままにしていても反って危険であると売却を不動産屋に依頼していた。兄達は、母をずっと世話してくれていたお礼に「この家はお前が取っておけ」と無条件で譲ってくれていた。不動産屋から買い手が見つかったとの連絡で売却に同意した。約1000万円、田舎でもあり建物も古く、良くこの価格で売却出来たと思うが、私にとってはマンション分割払いも残っており大いに助かった。兄達に改めてお礼を言いたい。

平成9年にはNS東海支店の社内旅行に一緒になって京都に行った事もあった。その時は未だ森支店長だったが、後任となる中島君も赴任して来ていた。この頃は結構綺麗な女子社員も居たが、仕事一途で真面目だった私の目には余り入らず、今写真を見てもっと親しくしておけば良かったと後悔しているよ。

2月に行った伊良湖の恋路が浜には、島崎藤村の有名な「椰子の実」の歌碑がたっている。椰子の木も2本立っていたがその時流れ着いた実なんだろうか。3月4日知奈の2才の誕生日、3月30日優介の3才の誕生日や大江川のお花見と行事があったが4月には妻の亡き母の50回忌法事で九州若松へ行った。50回忌で一応法事は終わりとなるが、考えてみれば50回忌を迎えると言う事は早くに亡くしたと言う事で不幸な事なんだ。妻が10歳の時になる。

若松に行く途中急に思い立って、出雲方面の観光をする事とした。良く旅行では厚生年金会館を利用するので出雲の会館に連絡すると空いていると言う、こう言う時には車は便利だね。

まず松江城別名千鳥城の見学、全国に現存する12天守の一つで山陰で唯一の天守閣である。この地には小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の旧居がありこの地で耳なし芳一や雪女を含む怪談が書かれたのであろうか。縁結びにはもう関係ないけど、出雲大社には一応お参りしたよ。

2016_0630入丸八幡0002 2016_0630入丸八幡0004
 NS東海支店の面々。                 京都への社内旅行便乗
2016_0630入丸八幡0008 2016_0630入丸八幡0011
 知奈2歳誕生日                     優介3歳誕生日
2016_0630入丸八幡0005 2016_0630入丸八幡0009
 椰子の実が流れ着いた恋路が浜           大江川の桜
2016_0630入丸八幡0014 2016_0630入丸八幡0017
 日本海には流刑の地隠岐島が見えるはずだった。  松江城(外観5層内部6階)
2016_0630入丸八幡0019 2016_0630入丸八幡0020
 小泉八雲旧居・私のシャツは裕次郎館で購入したもの。    出雲大社


私の生涯日誌 その158

2016年  29日 13:07
平成8年末には長男の息子尚宏の百日の祝いと娘の長女佳奈の4歳の誕生日があった。孫達が増えて来ると子供達の誕生日も含めてお祝いが多くなる。私達は現在でも子供達夫婦と孫達の誕生日の朝には必ずお祝いのメールを送る事にしている。勿論孫達も大きくなって一番年長が今年24歳だ。

平成9年に入っても仕事は相変わらず東海に勤務しての製鐵所や周辺のユーザー回りに忙しい、このまま何事も無く来年の定年を迎える事が出来たらと願っていた。

1月には妻と京都の旅を楽しんだ。最初に訪れたのは大原にある三千院門跡、天台宗の寺院で本尊は開基最澄が自刻したとされる薬師如来。同じく京都にある最澄が開基の青蓮院、妙法院と共に天台宗の三門跡寺院と言われる。庭園内にある往生極楽院には国宝阿弥陀如来と阿弥陀三尊像が安置されている。

次に訪れた同じく大原にある天台宗寂光院は開基は聖徳太子で本尊は地蔵菩薩。平清盛の娘建礼門院が侍女の阿波内侍と共に平家滅亡後、尼となって隠棲した所で「思いきや深山の奥にすまゐして 雲居の月をよそに見むとは」は建礼門院の歌として知られる。

次に訪ねた二条城や清水寺は余りにも有名で説明するまでもないだろう。ただ二条城の廊下には「うぐいす張りの廊下」があり、その構造が説明されていたが{床板を踏むと「目かすがい」が上下する。「目かすがい」と「釘」がふれあい音がする}とある。お判りか。

2016_0629入丸八幡0002 2016_0629入丸八幡0004
 私の顔は今と余り変わらないな。        佳奈誕生日、知奈お相伴。
2016_0629入丸八幡0006 2016_0629入丸八幡0007
 平成9年元旦、妻は膝が悪く正座が出来ない。   真清田神社へ新年ご挨拶。
2016_0629入丸八幡0009 2016_0629入丸八幡0011
 三千院門跡正門                庭園は冬枯れながら静寂
2016_0629入丸八幡0014 2016_0629入丸八幡0016
 寂光院は静かな隠棲するに相応しい所にある。
2016_0629入丸八幡0018 2016_0629入丸八幡0020
 二条城
2016_0629入丸八幡00212016_0629入丸八幡0022
 清水寺  遠くから三重塔、清水の舞台を望む。顔が邪魔だけど勘弁して。

私の生涯日誌 その157

2016年  28日 06:00
平成8年9月12日、長男宅に待望の第一子が生まれた、男子である。尚宏と名付けお宮参りも済ませた。これで我が家は後継も出来て安心である。この年は稲沢の萩寺に行ったり養老の滝から養老神社に行ったり谷汲山に行ったり、どうも私は抹香臭い所ばかりに行くようだな。

翌年早々は母の3回忌となるので、早めの今年11月末に兄弟夫婦揃って長崎の菩提寺にお参りする事とした。我が家は長男の運転で車で行く事として、途中見納めとなるかもしれない若松の実家と、多感な中学時代を過ごした修多羅の三井銀行社宅の前で記念写真後、妻の実家のお墓参りをして、高校時代に泳ぎに来た小石海岸から赤岩、黒岩と車を走らせたが、既に埋め立てられて昔の情緒ある風景の面影は全く無い。最後に高塔山に車で登ってから今日の宿泊の長崎厚生年金会館に向かう。全員ここで落ち合ってから明日のお寺参りとなる。

翌日揃って菩提寺の永昌寺の本堂で母の3回忌を済ませお墓も掃除をして、次に母方の菩提寺禅林寺で墓地の掃除、お参りを済ませる。後は諏訪神社の境内にある親戚の松田源五郎氏の胸像前で記念撮影、思案橋から福砂屋に行って土産のカステラを手配。昼食は当然これも親戚筋に当たる茶碗蒸しの「吉宗」に全員で行ったんだ。その頃には未だ吉宗の方々との接点が出来るとは思ってもいなかった、その時判っていたらと残念に思えてならない。

2016_0627入丸八幡0026 2016_0627入丸八幡0028
 真清田神社で宮参り。                  私の赤ん坊時代に生き写し。
2016_0627入丸八幡0031 2016_0627入丸八幡0034
 萩寺                             谷汲山華厳寺
2016_0627入丸八幡0036 2016_0627入丸八幡0038
 若松の実家                         修多羅の社宅
2016_0627入丸八幡00532016_0627入丸八幡0055
 高塔山からの若松市街、若戸大橋、洞海湾。対岸は戸畑から八幡、小倉へ。
2016_0627入丸八幡0039 2016_0627入丸八幡0041
 父方墓所                        母方墓所
2016_0627入丸八幡0043 2016_0627入丸八幡0047
 松田源五郎胸像             諏訪神社、おくんち祭ではこの階段が観客席に。
2016_0627入丸八幡0050 2016_0627入丸八幡0052
 吉宗の前で。                思案橋で兄弟夫婦。元気でしたねぇ。

私の生涯日誌 その156

2016年  27日 10:25
生涯日誌も最近の記事は家庭の事ばかり、だけどいいよな生涯日誌なんだから。会社の仕事があって家庭の生活があって私の生涯は成り立っているのだからね。

4月に長男夫婦と娘とチビちゃん達と1泊の小旅行に出かけた。新穂高に登ったがロープウェイで登ったので雪の中でも軽装、本当に便利になったものだね。高山泊まり、朝市が有名なので朝早くからブラブラ、郡上八幡城から見下ろした遥か下界の町並みは絶景だよ。その後ひるがの高原に出て水芭蕉を見て帰宅した。天気も良くて良い旅だった。

辛い出来事が起こった。二男宅の下の孫康介が5月14日に亡くなった。アトピーが酷く入院手当をさせたが処置が遅かったのか病院で亡くなった。4ヶ月弱の短い命だった。我が家では短い命の不幸としてこれが始めてで最後となった。病院の入院治療に反対していた嫁の里の両親とはその後暫く気まずい関係が続いたのは事実だ。が勿論直ぐに修復は出来たけどね。

気を取り直して6月末に各務原の池に蓮の花を見に行ったが昼過ぎに着いたので萎んでいた、残念。8月初めには妻と伊吹山に登る。車で登れる限り上って残り2km位は徒歩で登った。今度は妻も一緒に登った証拠写真を添付したよ、以前登った時に失敗した社会の窓もきちんと閉めたし、車でスピードを出して下山し妻の耳の障害を起こした経験を活かし今回ゆっくりと下山した。

2016_0627入丸八幡0001 2016_0627入丸八幡0004
 ちゃんと写真屋がいるんだ。
2016_0627入丸八幡0006 2016_0627入丸八幡0009
 平湯大滝                 高山朝市、川沿いの道に並んだテントが朝市
2016_0627入丸八幡0010 2016_0627入丸八幡0015
 郡上八幡城                 ひるがの高原の水芭蕉
2016_0627入丸八幡0017 2016_0627入丸八幡0018
 自宅に祭壇設置                 多治見の蓮の池
2016_0627入丸八幡0021 2016_0627入丸八幡0024
 伊吹山登山                    頂上、登頂記念

休日の幕間記事

2016年  26日 16:32
〇 今日は尾西商工会館で尾西モラロジー事務所主催の講演・勉強会が催され、その昼食中にオカリナを演奏すると言う少し変わった演奏会に出席した。オカリナ広場から4人だけが参加して先生を含めて5人、聴衆は70人以上で難しそうな顔も見える。先生のアメージンググレイスで始まったのが正解でお互いに緊張感もほぐれ、続いて全員での唱歌5曲から九ちゃんの「上を向いて歩こう」「幸せなら手をたたこう」になると皆さんの歌声、手拍子が聞こえて雰囲気も絶好調。

我々の演奏が終わってから最後の先生の独奏「島人ぬ宝」はリズムも良くマラカスでの拍子、そして手拍子、そう言えば座ったままながら手を上で振る、踊っているような仕草の人も居たな。私も頑張って合の手「エイヤサッサー」を3回も叫んだんだよ。最後に九ちゃんの2曲のアンコールも出た上に、お菓子、鉢植えの花、ステージ料迄頂いて、良かったんじゃないかい。

〇 欧州連合(EU)からの離脱残留かをめぐる英国の国民投票で、離脱が決まりキャメロン首相は辞意を表明した。詳細については報道で皆ご存知の通りであり今更繰り返すつもりは無い。これにより英国企業の株価は急落し、日本を含む世界経済にも大きな波紋を広げている。

何故この様になったのか、大英帝国の復活を夢見る老人達が、後の事など構いなしに離脱に走り、お陰で残留希望の若者達は今後どの様になるか判らないこの国を、嫌でも背負って行かざるを得なくなった。前予想での残留組有利予想に惑わされて、俺一人くらい行かなくても大丈夫だろうと思った数が予想以上に多くなったのではないだろうか。

こんな事、日本の選挙でもあるだろう、絶対有利だった候補者がこれと同じ思いでパスされ落選した事があるのを。これを後の祭りと言うんだよ、英国では再投票を望む人達が署名活動をして何百万人の署名をを集めたと言っているがもう無理なんだよ。

一英国の事で世界が動揺するのはどうかと思うが、米国のトランプ支持者とか、世界中で先の事を考えない指導者や国民が増えて来ているのは本当に怖い時代になったと思うよ。

2016_0626入丸八幡0001 2016_0626入丸八幡0016
 先生のアメイジンググレース           オカリナ広場のエース達
2016_0625入丸八幡0010 2016_0625入丸八幡0012
 刈られない様に慌てて咲いた朝顔一輪。    ちぎり絵の様に咲くだろうか。

私の生涯日誌 その155

2016年  25日 11:09
1月24日に二男に二男康介が生まれた。そのお宮参りを国府宮で済ませた後、今度は長男の嫁が身ごもり、嫁の両親も来て貰って真清田神社で帯祝いを行った。これで全ての家族に子供が出来た事になる。

2016_0623入丸八幡0010 2016_0623入丸八幡0012
 国府宮お宮参り                長男の嫁の帯祝いの帰路花見
2016_0623入丸八幡0022 2016_0623入丸八幡0024
 マンション近くの名鉄踏切で孫の優介と散歩。   孫娘知奈一歳誕生日

一息ついた4月に妻と彦根城から安土城址を回るドライブに出た、この時期雪は無いので心配無い。琵琶湖に近い彦根城、丁度梅の花の綺麗な季節で、流石この美しさには我が妻も勝てなかったな。

琵琶湖と彦根城と言うと母が良く口ずさんでいた「琵琶湖哀歌」の歌を思い出す。確か京都大学のボート部の遭難事故で作られた歌だと聞いていた。「遠く霞むは彦根城 波に暮れゆく竹生島 三井の晩鐘音絶えて なにすすり泣く浜千鳥」これを歌える人は殆ど居ないよ、歌える私は貴重品だ。

そこから真っ直ぐ安土に向かい、安土城の天守閣があった山の頂上まで徒歩で階段を登る。安土城址には確かに巨石の石垣が残っていたが、登り口周辺の風景も余りにも鄙びており、本当にここに信長の栄華に輝く城があったのかと不思議な気持ちになったのも事実である。

織田信忠、豊臣秀吉、前田利家、森蘭丸等の屋敷跡も道沿いながら何か辺鄙な不便な所にあった様に思え、他の城下町で感じられる歴史的背景が、ここでは何も感じられなかった。

ただ安土城天守の5・6階部分は、スペイン・セビリア万博の日本館のメイン展示物として実物に忠実に原寸大で復元されたものを、万博終了後に安土町が譲り受け「信長の館」に保存・展示されている。周辺の鄙びた雰囲気と余りにも格差があるが見事なものである。

2016_0623入丸八幡0013 2016_0623入丸八幡0017
 彦根城 お城を写して無い。              彦根城石垣
2016_0625入丸八幡0003 2016_0623入丸八幡0019
 彦根城梅林                        安土城登り口
2016_0623入丸八幡0021 2016_0625入丸八幡0002
 安土城二の丸跡                     天守石垣

私の生涯日誌 その154

2016年  24日 05:08
昨年1月母が亡くなているので平成8年の新年は喪に服さねばならないが、まあ新年なんだからしめやかながら屠蘇は飲ませて貰った。そして母の一周忌は我が家の家族だけでお参りをした。曾孫も参列したからこれで良かったよな。

木曽駒高原にドライブに行こうと急に思い立ち、日頃ゴルフに行く木曽駒高原CCに来たのは良かったが、妻の御嶽山の近く迄行こうとの誘いに乗って、トンネルを出たら川端康成の小説雪国じゃ無いけれど外は雪が結構積もってたんだ。入口の方は天気も良くて雪は全く無かったのにね。出て直ぐ雪道の坂、タイミングが悪かったのは1週間程前にタイヤを替えていてね。ノーマルだったけどタイヤ屋のおばさんがこのタイヤは雪に強いとの言葉が耳に残っていてそのまま走ったんだ。

丁度坂の真ん中辺りだったと思うがブレーキを踏んだんだろうな、だろうなと言うのはタイヤが滑り始めてからの対応に記憶が殆ど無いんだ。慌ててアクセルを踏んだかブレーキ踏んだか良く判らないままに車はかなりのスピードで滑って行き、平らな道になっても滑っていくだけでハンドル操作は効かず、次第に道の左側に寄って来たので何とか左の雪が積もった土手に乗り上げたんだ。田舎の道だったから対向車も無く助かったよ。

車は45度の状態で止まったけれど二人共暫く放心状態でね、何とかドアを開けて外に出たけれどこのままでは車はどうしようも無い。丁度50m位手前にあったガソリンスタンドに助けを求めて給油車で車を引きずり下ろして貰った。スタンドでチェーンを装着して帰ったけれど大変だったんだ。雪道で滑った時の操作方法誰か教えて!

2016_0623入丸八幡0002 2016_0623入丸八幡0004
                               母一周忌に曾孫のお参り
2016_0623入丸八幡0006 2016_0623入丸八幡0008
 背景の山は御嶽山、事故の前で未だ爽やかな顔。    木曽駒高原CC

私の生涯日誌 その153

2016年  23日 10:00
東京へ行く少し前に長男夫婦、二男、娘家族で伊勢へ1泊泊りの小旅行に出かけた。亀山にはゴルフのショートコースがあるので長男夫婦と二男の4人でラウンド、ショートコースでも結構面白かった。宿に入る前に夫婦岩で記念撮影、ここでは6月何日かに日の出に合わせて信者が海に入って禊をする。

翌日は生憎の雨だったが予定通り伊勢神宮へお参りをする。先日テレビの「ぶっちゃげ寺」と言う番組で伊勢神宮を詳しく解説していたが、ここで全てを講釈するつもりは無い。私が載せた写真に関係したものでは、内宮に行く宇治橋は右側通行外宮に行く火除橋は左側通行・・・何故か?内宮の正殿は道の左側に、外宮の正殿は右側に有る為、近道はいけないんだそうで少しでも遠回り。どこのお宮でも参拝する時は参道の端を歩いてお宮に行く、真ん中を歩いてはいけないのは知ってるよね。

鳥居もここは天照皇大神を祀ってある即ち女の神様だから、笠木の下の貫は横の柱から突き出ていない。笠木も一本で5角形をしており額束も無い。聞いたはなしの受け売りで申し訳無いが、20年に一度の式年遷宮では正殿はもとより、全ての建物や橋迄も掛け替えるんだと、知らなんだなぁ。雨が降っているので鳥羽水族館に行って帰った。書く事が無いので伊勢神宮の話でごめん。

べつの日木曽川堤防で孫の佳奈にゴルフレッスンをしたが、何故この写真かと言うと、佳奈が走って来る写真の笑顔が良かったのでスナップ写真コンテストにジジ馬鹿で応募したら見事落選したと言う話をしたかったのでね。

多度大社は「上げ馬神事」でも有名で天照大神の第3子を主祭神とする為別名北伊勢大神宮と称される。書き漏らしていたがエムエムアイ(旧宮地鐵工所)に出向していた砂堀君が昨年11月に癌で亡くなり、その一周忌のお参りをした帰りである。

2016_0622入丸八幡0001 2016_0622入丸八幡0004
 変なフォームだがこれしか無かった。             夫婦岩
2016_0622入丸八幡0006 2016_0622入丸八幡0007
 宇治橋
2016_0622入丸八幡0011 2016_0622入丸八幡0012
 鳥羽水族館、水槽越しの写真               佳奈にレッスン
2016_0622入丸八幡0015 2016_0622入丸八幡0018
 応募して落選のスナップ写真              七五三、 国府宮
2016_0622入丸八幡0019 2016_0622入丸八幡0023
 おませに見えたな                多度大社

私の生涯日誌 その152

2016年  22日 08:42
翌14日、千曲川を散策、小諸城址に行って記念撮影。跡地のひと隅が懐古園として整備され島崎藤村の「小諸なる古城のほとり」(小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も藉くによしなし しろがねの衾の岡辺 日に溶けて淡雪流る)と「千曲川旅情の歌」(昨日またかくてありけり 今日もまたかくてありなむ この命なにを齷齪 明日をのみ思ひわづらふ)の歌碑が建立されている。写真を撮ったが黒い石の表面が見えるだけで詩は見えない。

善光寺にお参りに行く前に言い伝え通りに向かい側の北向山に参拝したが、面白い事にここに童謡「夕焼けこやけ」の歌碑がある。夕焼けこやけと言えば中村雨紅の詩に草川信が曲をつけた有名な童謡であるが、雨紅が故郷の当時の東京府南多摩郡恩方村(現在の東京都八王子市)を思い浮かべ作ったと言われている。

この歌碑の地との関係が判らないな・・・ひょっとしたら戦時中は疎開して来た子供が沢山居て、家の事を想って歌っていたのかな。そんな事はどうでもよろし、続いて善光寺のお参りを済ませた。牛に引かれた訳では無いが、母の初盆の前に良かったかもしれない。

埼玉の長兄宅に行くのに渋滞に巻き込まれた上に、当時はナビも無いので迷ってね。交番で訪ね訪ねてやっと到着、この日は長兄宅に泊まり翌日お寺さんが来てお参り、その日も泊まって16日は次兄のホームコース湘南CCで兄弟対決のゴルフ、確かスコアは1人(次兄嫁)を除いて3人共良かったと記憶している。

その日は次兄宅に泊まり、兄同士烏鷺を交わす中で一人良い加減に飲んだ記憶がある。翌日は名古屋に直行、初盆のお参りにかこつけての楽しい旅とゴルフだった。

2016_0621入丸八幡0002 2016_0621入丸八幡0007
 千曲川                          小諸城址
2016_0621入丸八幡0005 2016_0621入丸八幡0010
 小諸城址                      懐古園 島崎藤村の歌碑
2016_0621入丸八幡0011 2016_0621入丸八幡0013
 島崎藤村の歌碑                    北向山
2016_0621入丸八幡0016 2016_0621入丸八幡0017
 善光寺                          母の初盆
2016_0621入丸八幡0020 2016_0621入丸八幡0021
 湘南CCでの兄弟初対決               次兄宅にてご機嫌

今日も割込み記事

2016年  21日 05:35
〇 昨日友人に誘われて今年3度目のゴルフに行った。岐阜県可児のサンクラシックゴルフクラブでスコアは47+51=98。実は多少雲もある天気ながら気温は32度迄上がり、日頃の運動不足も祟り後半は完全にバテてしまった。

従って昨日帰ってブログをと思ったが夕食も殆ど口に入らずビールばかり。今朝早起きしたが、準備不足で生涯日誌は書けなかったと言う言い訳を書いたんだ。ただこのゴルフ場でこのスコアは満足出来ない。170ヤードのショートホールをドライバーでやっと1オン、流石に飛距離を何とかしなければと痛感した一日だった。

そうだゴルフ場近くの信号の無い交差点で左折した時、車の後ろドアに高校生の自転車がぶつかって来てね。右に停車中の車の間から急に飛び出したようだ。勿論こちらに非はないが、怪我も無いようで転んだ自転車を立て直して走って行ってしまった。こちらの車に傷は残ったが、まあ怪我も無く良かった。

〇 116回全米オープンでD・ジョンソンがー4アンダーで優勝、スコアがアンダーは僅かに4人、いかに難しいコースだったかはこれで判る。松山は予選落ちしたが1、2ラウンド一緒にプレイしたD/ジョンソンが優勝し、同じくS・ガルシアが5Tだったのも皮肉なものだ。

実は松山は前回も予選落ちしている、しかもスコアはどちらも非常に悪い。その時解説者が「彼はフォームの改造しているようだ」との発言、真偽の程は判らないがこのスコアから考えると本当かもしれない。では今更改造とは何故なのだ・・・彼は現状に満足出来なかったのではないだろうか。世界ランク1位のジェイソン・デイや2位のジョーダン・スピースを見る機会が多くなっただけに、真面目で研究熱心な彼は今のままではある程度は上位に行けてもそれ以上になる為に何かが必要と思ったに違いない。

これはあく迄解説者の一言と現状最悪のスコアをみて私が考えた想像であり、真実は判らない。果たしてその行為は正しかったのか、石川と違った彼の探究心の強さと努力家である事からの想像である。

今日現在の世界ランクは一つ落ちて16位、未だ慌てる必要は無いがフォームの改造と言うなら、今回23Tとなった宮里優作のような柔らかいフォームを習得した方が良いのではないだろうか。「柔よく剛を制す」とは多少意味が違うかも知れないが、現在の松山のフォームは、身体付きからも仁王さまの様で柔軟さに欠ける気がするんだ。素人の下手くそだからこそ判る事もあるんだぞ。

2016_0620入丸八幡0003 2016_0620入丸八幡0004
 サンクラシックゴルフクラブ  10番 ティグランドから。