私の生涯日誌 その109

2016年  30日 08:09
部長になって機材は兎も角溶材、原料チームの仕事を覚える事を優先した。溶材チームは新日鐵系の日鐵溶接工業㈱と大同特殊鋼㈱の溶接棒と溶接コイルを我社経由で特約店に販売する業務であり、特約店にはNデックス、S光酸商、SK商会、K栄興業、M澤機械商事等があった。

業務であるメーカーとの仕入れ価格や取扱い量の打ち合わせはリーダーに任せており、私はもっぱら特約店の社長や部長とのお付き合いや日溶工のK所長、大同のK課長との付合いに専念した。又日溶工の花菱会、ニッテツ溶友会の会合やゴルフには全て参加していた。

日溶工のK所長は中々ユニークなおじさんで日本酒好き、麻雀好きで結構遊んだが家庭での趣味は菊造り、立派な菊を作り上げては品評会に出していた。私も勧められて苗を貰い手入れ方法を教授されて作った事もある。大同のK課長は一見強面だが話せば判るタイプ、ゴルフ好きでドライバーのヘッドが金ピカのクラブを使っていたが、あれは自社製のチタンだったのかな。

原料チームは本来市中の業者に集めさせたスクラップを中部鋼鈑を主体に販売納入する業務であるが、チーム内に同居する竹内商店と称するブローカーが取り扱う中古鋼材をゼネコンや商社に販売する業務も行っていた。担当の佐藤リーダーはこの業務を長くやっているベテランであり、その面では私自身佐藤君に仕事を任せていた所があった。

中古鋼材の取り扱いについての打ち合わせは、流通の日商、大倉商事、住友商事等が、竹内商店や韓国からの輸入を受け持っていた大洋鋼材工業と我社の会議室で行っており、当初相手方の部長や担当者の紹介は受けたが「部長は中古鋼材は余り判らないでしょうから私に任せて下さい」 と言う佐藤君の言葉で任せていたのは事実であった。後日この中古鋼材が大きな問題を引き起こす事になる。

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花菱会仙台 小生、Nデックス水野常務、S商会榊社長、日溶工K所長。    楠支店長、大同小林課長
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部内旅行、右端竹内社長         私が作った菊の盆栽



私の生涯日誌 その108

2016年  29日 10:52
部長時代は各チームの関係メーカーやお得意さん関係の訪問や付き合いが多く、担当時代の様な逸話も武勇伝も余り無い。その期間の起こった諸々の出来事を列記する事にした。家庭と仕事と混ざり合う事はご容赦戴きたい。

〇 ゴルフ記事の続きで当時良くプレイしたゴルフ場(愛知CC以外)と記録に残って居るスコアのベストグロスを( )に記入する。記録を残しているのはS59年~S62年迄だ。南山CC(85)、三好CC西(94)、スリーレイクスCC(86)、桑名CC(91)、岐阜関CC(91)、東名古屋CC(93)、木曽駒C(86)、犬山CC(92)、名古屋広幡GC(88)、緑ヶ丘CC(87)、葛城GC(90)、富士CC可児(90)、レイクグリーンGC(88)他・・・現在中日クラウンズが開催されている名古屋GC和合も5回位行ったが記録が残っていない。グリーンが難しいコースだったがキャディがお高く止まっているのが不愉快な印象で残っている。メンバーの爺さん共が甘やかせるので、ビジターを見下してた印象があったな。

〇 ゴルフ会員権が投機の材料になって価格が高騰した時期があった。名古屋支店鷲尾支店長時代に、今所有の会員権以外に三好CCを買いたいと申請し9000万円で購入したが瞬く間に1億3000万位に値上がりした。これに味をしめたオッサン、和合の出物があったと中部鋼鈑の子会社シーケー商事から1億4000万位で買う約束したんだ。その頃から値が下がり始めていてね、契約前なのに中部鋼鈑に遠慮して断りきれず、会員権入手時は既に原価割れ。何年か後に手放した時は三好で売却値約2000万円、和合で5000万円位だったそうだ。仕事も出来ない男はこんな事でも会社に迷惑をかけるもんだねぇ。

〇 S63年頃中部鋼鈑のS社長(新日鐵出身)と杉山(取)購買部長と我社楠支店長とで接待麻雀した時に、早い段階で私が国士無双をてんばったんだ。リーチをかけずに回していたらS社長が当たり牌を振ったんだ。一瞬ドキッとしたけど見逃したんだよな、接待麻雀だろ。楠支店長から出たら上がろうと待ち構えていたけれど結局その場は流れてね、私はノーテンとして牌を崩したんだ。だけど不思議なんだねぇ、それからツキが逃げちゃって全く上がれなくなった。結果は私の大負け、馬鹿だったかなぁ。

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溶材チーム関係の会合、日鉄溶接工業の花菱会に出席。 

私の生涯日誌 その107

2016年  28日 09:58
当時の会社のゴルフ会員権は愛知カントリー2(支店長、原料機材部長)、南山カントリー2(支店長、条鋼建材部長)、岡崎カントリー(鋼板部長)だったと思う。従って愛知カントリーでは楠支店長とも良くプレイした。部長時代あらゆるゴルフ場も含めて年間最高で90回位プレイした事がある。

愛知カントリーの公式競技では月齢杯は当然の事新年杯、成人の日杯、建国記念日杯、春分の日杯、桜花杯、みどりの日杯、葉月杯、長月杯やスクラッチ競技等があったが、残念ながら平成元年4月29日のみどりの日杯(HDCP17)の一度しか優勝した事が無かった。2位とか3位には結構入賞していた為、S63年7月の19から始まった公式ハンディキャップが、平成2年迄の2年間で13迄になり、以来優勝には縁遠くなってしまった。

みどりの日杯のスコアはOUT44、IN39のグロス83(PAR74)だった。このコースでのベストグロスは日鐵商事の社内コンペ優勝時のOUT40、IN40のグロス80、結局70台は出なかったがパー74だけに2打引いたら70台で良いのじゃないかな。

このコースでは新日鐵、中部鋼鈑等接待に使ったがある時一緒にプレイした中部鋼鈑の杉山常務部長から「JOさん、私がメンバーのセントクリークGCはこんなに易しくないよ、一度回ってみようか」との挑戦を受けた。セントクリークはジャックニクラウスの設計の東、西、南の27ホール、東⇒西のコースレートはレギュラーで72.2、特に東コースが難しいらしい。

杉山常務、原課長と回った結果は、最初の東コースでなんとパープレイの36、嘘つきJOと言われた時と違うけれど、何となくリラックスして回ったらこの結果に杉山常務は何も言わなかったな。西は簡単だから70台間違いないと言われたけれど結果は45でトータルグロス81、まあこれで杉山常務の顔も立てたけどね。

ただこれ以降にプレイした時のスコアは、東コースで50前後ばかり、あの時は一体何だったんだ。

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愛知CC ハンディキャップ通知表     左のカップ:みどりの日杯Aマーク入。中は社内コンペ優勝カップ、右は副賞で新日鐵マーク入の七宝焼き。

私の生涯日誌 その106

2016年  27日 08:47
部長となって一番嬉しかった事は愛知カントリークラブ東山コースのゴルフ会員権を貸与された事だ。この時期が私の最もゴルフに打ち込んだ時期になる。

今は変わったかもしれないが、当時は土日のスタート取りにはメンバー本人が、一ヶ月前の金曜日にゴルフ場に行って取らねばならない規則だった。良いスタート時間を取る為には前日の夜にクラブハウスに行き入口のガラス戸に貼り付けてある紙に名前を記入する。後は朝の6時迄自由にしても良いが、私は家が遠いので駐車場の車の中で寝たりして待機していた。

駐車場には同じように何台かの車が停まっていたが、紙に記名された人数より車の台数が少ないのは、家の比較的近い人の場合早めに名前を記入した後、家に一旦帰って定刻に又来ていたようだ。片道一時間位かかる自分には到底帰る気にならず、車に毛布を持ち込んで寝ていたんだが結構辛かったな。エコノミークラス症候群にならずに良かったと思うよ。

大抵一番に記入していたのは我が社の溶材チームの特約店である名古屋電元社(現ナ・デックス)の水野常務の名前、恐らく家が近かったか社員を使って名前だけ書かせていたのに違いない。だけど夏場は未だ良いが冬場は結構辛かったね

定刻になるとクラブの人が順番に書かれた名前を元に、スタート表の希望の時間の欄に名前を書き込んで行く。4人分全て書き入れる必要は無く、一人だけを書いておけば良い。ただ本人では無く代理人が来ている場合は順番が早くても後回しにされる。クラブの担当者はメンバーの顔を覚えている為誤魔化す事は出来ないんだ。

私の場合はプレイするメンバーを決める前に良い時間のスタートを取り、これを接待ゴルフに使うも良し、個人使用として後で一緒にプレイする人を探すも良しでキャンセルする事は一度も無かった。社内でプライベイトゴルフのメンバーを揃えた時はプレイ費はトータル金額を4等分する事にしており、名門コースを少しでも安い金額でプレイする事で皆に喜ばれたものだった。

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当時はスチールシャフトにパーシモンヘッド。デカヘッドなんか誰も持って居なかった。 連続写真で未だましな前半写真だけ。

私の生涯日誌 その105

2016年  26日 10:55
昭和61年4月より課はチームとなり課長はチームリーダーとなる。62年2月には機材特殊鋼部の井上副部長がサンスポーツに出向となり東京へ戻る。会社は同年3月に栄の丸善ビルより笹島交差点角の新築三井ビル本館に移転し、親会社の新日鐵名古屋営業所を中心に系列企業がこのビルに集まった。

同時に機材特殊鋼部の4チームの中から特殊鋼チームが鋼板部に移った為、部の名称は原料機材部となり、4月より私は部席副部長となって機材チームより離れ、機材チームには条鋼建材部より渡辺君がチームリーダーとして着任した。
新築の新しいビルであり、新日鐵標建が建築を受注した為自社を含めて関連会社がテナントとして入居した訳であるが、栄の繁華街からは離れたものの名古屋駅から歩いて通える場所にあり私にとっては有難い事であった。

副部長時代の出来事に余り記憶は少ないが、営業的には新規事業として充電式の携帯のアンマ器(1台6万円)(メーカー忘却)を拡販する為の販売店を作ろうと東朋テクノロジーやプリンセスガーデンホテルの営業部で説明会を開いたりしていたな。どこに依頼されて取り扱ったのかいつ止めたのかの記憶も薄いが、最終60台位販売して100万円位の利益を上げた記憶がある。

1年間の部席副部長を経験して63年4月に原料機材部の部長となった。49歳である。前任の野村部長は特殊鋼チームの代理店で旧大阪鋼材時代から面倒を見ていた藤川鋼材の常務として転出した。改めてこの時点での原料機材部の陣容は機材チーム:渡辺TL、原料チーム:佐藤TL、溶材チーム:寺儀TL(荒川TLは61年東京のオートリースに転出)であった。

この時点でも旧会社(入丸、大鋼)同士の人事争いは激しく役員人事はかなり旧大鋼が優勢な状態を推移しており、地方の部長席の数にまで影響が出ていたのが現実である。
私が転勤して来た時点は、支店長:入丸、総務部長:入丸、鋼板部部長:入丸、条鋼建材部部長:大鋼、機材特殊鋼部部長:大鋼であったものが、私の部長就任時は支店長:大鋼、総務部長:大鋼、鋼板部部長:大鋼、条鋼建材部長:大鋼、原料機材部長:入丸となっていた。

私が原料機材部長になる前は鋼板部部長席は入丸であったが、私が原料機材部部長に就任した為に、鋼板部部長席が大鋼に取られてしまった事になる。同時に私を部長に上げないようにする理由が無かったとも言える。

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野村部長送別会、誰や喜んで後ろでピースしてる奴は!  部席での初仕事、「藤井君接待費こんなに使ったらあかんやろ」

私の生涯日誌 その104

2016年  25日 10:10
昭和62年3月名古屋女子短期大学卒業の長女は松下電器産業に就職した。確かに我社は松下電器の特約店であり、部長寸前の私が担当でもあったし、松下の所長と課長にちょっとお願いしたのは事実だけれど、試験はちゃんと受けたしね。娘の名誉の為に言っておくけど、成績が悪かったら入れなかったと思うよ。ただこの学校から松下電器に入社出来たのは初めてだったらしい。

お陰で勤めていた5年間でしっかり貯金をしてくれていて、結婚資金を余り出さずに済んだのは本当に助かったね。そう言えば長男も私立の大阪工大に入学したが、奨学金も貰っていたし、3年までしか入っておれない寮に、学力優秀であれば出なくても良い条件を適合させて4年間ずっと寮生活をしてくれたんだ。従って仕送りも少なくて済んだけれど、一度卒業前に訪ねたら汚い寮でね、かわいそうな事をしたなと思ったんだ。長男は卒業して自分が捜して来た千歳電気工事㈱(現二部上場日本リーテック)に就職した、本当に手の掛からない子だった。

この親父は昔から仕事は出来ても金銭面ではルーズな所があって、みんなに苦労をかけていたのかもしれないな。それにしても二人共親孝行してくれたと思っているよ。

仕事面での思い出と言えば、また中部鋼鈑の購買と大喧嘩した事があった。当時購買は杉山部長に原部長代理の時代でね。ある時工場設備でクレーンの引き合いがあった。クレーンは中部鋼鈑の子会社明徳産業も作っており、どうせ当社経由の宮地クレーンは当て馬だろうと見積りを辞退したんだ。見積りだって時間もかかれば労力もいるのでね。

所が原部長代理曰く「明徳は系列と思って甘えている、今回はきちんと競争させて安い方に必ず発注する」と来たので絶対だなと念を押した上で、こちらも真剣に検討しこれなら大丈夫と言う価格を提示した。こちらは従来の明徳の価格を充分過ぎる程検討した上で出したので負けるはずがなかった。

所が結果は僅か20万の差で明徳に決まったと言う。私は怒ったね「この価格は明徳が最初から出せる価格ではない、一発勝負と言ったから今回参加したのに、当社の価格を示して値引きさせたに違いない、汚いな卑怯じゃないか。」

二人で大声でやりあっていたらその声を聞きつけた杉山部長が仲裁に入ってこの場は一応治まった。お得意様に対しては少し言い過ぎたかとは思ったが、嘘はいけない、今後の為にもこれは厳しく言っておく必要はあったんだ。

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昭和63年の新年は西春で母と一緒に迎える事が出来た。父譲りの袴も履いて。

休日の幕間記事

2016年  24日 11:05
〇 「三菱自動車よお前もか」、フォルクスワーゲンの不正に続き、またもや三菱自動車のデータ改ざん不正が発覚した。同社は2002年に同社製大型トレーラーのタイヤが外れて死者を出す欠陥隠しより以降、さまざまなリコール隠しが明らかになり会社の危機を迎えたがグループの主力企業の強力な支援で危機を乗り越えていた。その教訓も生かせず法令を守らない企業体質、三菱グループと言う日本最大の企業集団の中での甘えが今回も不正を招いたと言える。10%株主の三菱商事も今季創業以来初の赤字決算見通しであり、13%の大株主の三菱重工も業績悪化で今回支援可能か疑問である。消費者が引導を渡す前に、自浄作用が働かない三菱自動車は車を作る資格無しとして、自ら退場すべきではないのか。

〇 囲碁界にすごい棋士が現れた。囲碁界史上初の全七冠同時制覇を達成した井山裕太七冠(棋聖、名人、本因坊、王座、天元、碁聖、十段)である。小学6年生でプロに入段、名人、天元、九段昇段等囲碁界の最年少記録を次々と塗り替えた。将棋界では羽生氏が1996年に七冠を達成し話題となったが、今回は囲碁界初の快挙だ。今後中国や韓国のトップ棋士を破り、本人も念願する世界一を極めて欲しいものだ。

〇 何故か今年は妻とカラオケボックスに一度も行って無かったが、珍しく妻から誘われて22日に行って来たんだ。久しぶりに3時間かけて歌った歌の曲目をいつもの通り列挙するが、最初の32曲は二人で歌った歌だよ。
「夏の思い出、朧月夜、かあさんの歌、里の秋、この道、蛙の笛、花かげ、月の砂漠、小さい秋みつけた、浜千鳥、なごり雪、七里ガ浜哀歌、荒城の月、雨ふりお月、叱られて、花嫁人形、浜辺の歌、みかんの花咲く丘、早春賦、中国地方の子守唄、椰子の実、惜別の唄、青葉の笛、琵琶湖周航の歌、冬景色、紅葉、四季の歌、しおさいの詩、さくら貝の歌、砂山、旅愁、誰もいない海」の32曲。妻が歌った歌「花挽歌、流恋草、風の盆恋唄、夕月」の4曲、私が歌った歌「さくら、秋止符、木戸を開けて、わかって下さい、もうひとつの土曜日、夕笛、白いブランコ」の7曲。 二人で43曲・・・好きだねぇ。

〇 この夜がいつものカラオケ喫茶に行く日、少し疲れていたけどママさん待ってるだろうと出かけたんだ。ここが性格の優しさかお人好しか、やはり帰るまで客は私一人だった。流石に喉は疲れきったけどね。
「雨酒場、雨の永東橋、愛のふれあい、命のブルース、おもいやり、霧にむせぶ夜、小樽の人よ、最后にもひとつ、時代おくれ、酒と涙と男と女、わかって下さい、もうひとつの土曜日(前2曲はママのリクエスト)夢一夜、精霊流し、故郷未だ忘れ難く、昔の名前で出ています、琵琶の実のなるころ、芭蕉布」以上18曲。 本日の全曲=61曲・・・馬鹿としか言いようがない。

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妻のちぎり絵最新作 

私の生涯日誌特別編 父を偲ぶ 写真集 3

2016年  23日 08:25
孫達も大きくなって老いた父母は、ひっそりと助け合いながら暮らしていた。

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長兄の長男と長女。孫に囲まれ嬉しそうな父母。  高塔山の河童地蔵に我が家の二男と。
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若松の実家の居間。          母の後ろは博多人形の羽衣。
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初盆。兄弟夫婦全員揃う。 戒名:徳全院覚峰浄哲居士。
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父七回忌(平成5年)に全員揃う。 親父さん、我が家系は親父一人だったのにこれだけ増えたよ。有難うゆっくり休んでね。

私の生涯日誌特別編 父を偲ぶ 写真集 2

2016年  22日 08:35
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佳子                        若松実家の広縁で
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白山神社にて新年。
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                                 友泉団地に両親が姉と。
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春日市の新居に両親。S49年 父72歳母67歳。       博多に出て西公園へ。

私の生涯日誌特別編 父を偲ぶ 写真集 1

2016年  21日 09:44
先日父の葬儀の写真を載せたが、私の生涯に於いてはやはり父の存在は大きく、子供達にも残す生涯日誌として、子供達も記憶する祖父の写真を数日間連載したい。仕事の話からは脇道に逸れるけれど、家庭も含めた生涯日誌として宜しくご理解戴きたい。本当に優しい父であったし、私が道を外さず今日あるは両親のお陰と言っても過言では無い。

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若松の実家の庭で私の長男と。    実家の玄関で長男と長女と。
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実家の広縁のソファにて。      若松の高塔山の河童地蔵の前。
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若松白山神社新年お参り。   福岡友泉団地の自宅前。
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友泉団地で誕生祝い(誰だったか)     長兄の長男、長女と若松実家で。