私の生涯日誌 その88

2016年  31日 09:34
長男は喜々として修学旅行の東京に行った。私は長女を連れて扶桑中学に行く、僅か1ヶ月遅れだけれど1年生に編入だ。教室の前の方に娘と一緒に入り、先生の紹介があった後、この出しゃばりオジサンは教壇に上がって生徒達に、九州から来た事など色々と話をして是非仲良くしてやって欲しいと頼んだんだ。今頃の子供だったらうざいとか格好悪いとか言うかも知れないが、当時は未だ親の言う事を良く聞いていたんだ。お陰でその日の内に友達が出来て帰りに家に遊びに来てくれたんだよ。

福岡支店の吉川嬢は良く手紙をくれて、福岡支店の出来事を知らせてくれた。その中に春日の私の家の近くに居た山崎君が、私の転勤、家族の転居した後に自律神経失調症になり、まともに出勤出来ていないとの事、彼とは家族ぐるみの付き合いだったから、私の転勤が相当に堪えたらしい。

これはこの症状が治った後に本人から聞いた話だが、電車に乗るのが怖い、電話の音が怖い、人と会話が出来ない等の症状が急に出て、何とかして電車に乗っても途中で降りて休まねばならないとか、会社に着いてもトイレに逃げ込んでじっとしているとか、何とも辛い1ヶ月位が過ぎた頃、突然嘘の様に直ったらしい。さっき迄は一体何だったんだろうと言う様に、少しずつ治って行くのでは無く瞬間に直ったらしいんだ。こんな事もあるんだね。

長男は喜んで帰って来たし、早く親しくなれて修学旅行は正解だったな。
会社では懇親の社内ソフトボール大会もあったし、本山寮で社内の若手を中心にしたクリスマス会には特別ゲストとして招待された。女子社員も沢山参加したし、得意の歌もご披露して女性陣の憧れの的になったんだな、42歳にして危険だね。

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服装もスタイルもプロ歌手並だね。「恋の町札幌、すきま風」を歌って佐橋さん他から花束貰ったね。
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ソフトボール大会、先攻、後攻ジャンケンポン。    まだまだ若いもんには負けないよ。

私の生涯日誌 その87

2016年  30日 09:15
住まいを愛知県丹羽郡扶桑町南山名に決めたので早速子供達の転校打ち合わせに学校に行く。長男と長女の扶桑中学に行くと3年担当の先生から、3年生は1週間後に東京に修学旅行に行くがどうしますかと聞かれた。

長男は春日の元の中学で2年生の終わりに九州一周の修学旅行に行っている、未だ一度も来た事の無い学校なので恐らく嫌がるだろうと思ったけれど、念の為息子に電話で問い合わせたら、「東京なら行くよ」だと。案外度胸があるんだなと見直したよ。

家族が名古屋に着いた日は金曜日、荷物は土曜日に着く事になっていたので栄のテレビ塔の横のホテルで泊まったな。家族の名古屋第一日目だ。翌朝名鉄電車で扶桑駅に着いたがここにはタクシーが居ない、天気が良かったので歩いたが結構遠いと感じたな。塚田君の家は隣が奥さんの両親の実家、挨拶して玄関の鍵を受け取る。

荷物が着いた時には寮生を中心にした会社の若手が自主的に手伝いに来てくれてね。川口君、江口君、砂堀君、大橋君、もっと居たと思うんだが忘れたな申し訳ない。荷物を全部運び入れた後には解体して持って来た物置まで組み立ててくれた、寮で生活した一ヶ月は本当に無駄では無かった。隣で教えてもらった寿司屋から寿司を取って全員で乾杯!家族全員での名古屋生活が始まった。

近所に家は確かに在るけど畑も多いしまあ田舎だよな、窓を開けて美味しい空気を腹いっぱいと思ったら何か嫌な臭い匂いがする、良く調べてみたら離れた場所に豚舎があったんだ。

参ったなぁ塚田君は何も言わなかったなと思ったけれど後の祭り、しょうがあんめぇとそのまま過ごしたんだが不思議なもんだねぇ、半年もしたらその匂いが全く感じなくなったんだ。鼻は匂いに慢性になるんだ、塚田君が悪気で言わなかったのでは無くて、彼は何も感じていなかったんだ。

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二男は扶桑町の山名小二年に編入。この地域での区民運動会には直ぐに参加、この地域にもソフトボール同好会があり誘われて直ぐに参加、メンバーのユニホームも作ったよ。どこの地域でも直ぐに同化してしまうんだ。

私の生涯日誌 その86

2016年  29日 11:15
転勤して来たばかりの本山の独身に居たのは記憶している限りで、川口君、豊島君、大橋君、九門君、壺中氏位か。ベットと机のある一人用の狭い部屋だった。確か食堂もあって朝食と夕食の賄いが付いていた。遅く帰るとオカズが食器棚の中に置いてあり、勝手に温めて食べてたな。後になって入居者も減り壁を取り払って、2部屋を1部屋に改装したと思う。

寮は坂を上った少し小高い所にあって、寮から地下鉄のある広小路通りに出る手前にスナッがあり、早速寮にいる若い連中と飲む機会を作ったのが、名古屋支店に早く馴染めた理由でもあった。

名古屋に来る時に、携帯の小さな録音機を買って、営業に出る時は常に背広のポケットに忍ばせていた。当時はメモリーカード等は無く小さなテープに録音するものであったが、録音時間も短いのでテープカセットをいくつかポケットに入れておき、相手の会社に入る前にテープを取り替えるのを忘れないようにしていた。

寮に帰ってそのテープを聞きながら手帳に整理して行く、何しろ中部鋼板辺りで専門的な話になるとちんぷんかんぷんで、テープを聞きながら次に質問する解らない事をメモしておくんだ。

構内の製造所の事務所が主な仕事の場所であったが、新日鐵から来た石崎部長とか年配の技術屋さんも居て「JOさん、あんた機材課長なのに何も知らんのやなぁ」「知らないからこそ聞いてるんじゃないですか」 正直にこう答えると丁寧に教えてくれてた。お年寄りは案外教えるのも好きなんだよ。

日鐵商事は新日鐵の親戚だしそのような人達と結構親しげに話をしていると、それを見ている部下の人達は私を無碍に出来なくなる。ただ一番大切な事は、若い人達にも丁寧に下手に出て話をする事が大切だといつも思って行動していた。だから皆さん本当に良くしてくれたなぁ。

福岡に帰った時に全員で名古屋に移る事を決めた。家は借家にする手続きの時間も無いし、銀行の返済もあるので売却目的で購入した不動産屋に話をしたら、家はもう価値が無いが土地が値上がりしているので、私が購入した時の価格で引き取ると言う。

それで決めたんだ、僅か5年の生活は色々と思い出もあってね、最後に家で家族全員食事をした時に私は小林旭の北へ」を歌ったんだ。歌の中の北へ流れると言う歌詞にホロリときたのを今も良く覚えている。

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転勤して来たその年には硬式のテニス部を作り、ちゃっかり部長に収まった。春日ローンテニスクラブの会員権はもう来る事も無いだろうと買値の30万円でクラブに引きとってもらった。 

私の生涯日誌 その85

2016年  28日 09:27
名古屋支店は栄の繁華街の住吉側丸善ビルの7階にあった。

谷地森課長との引き継ぎで機材課としても大手取引先、厚板の仕入先でもあった電気炉厚板、縞鋼板メーカーの中部鋼鈑に一番に挨拶に行く。圧延の宇対瀬工場長にはこの先公私共に長い付き合いとなりお世話になった。「JOさんは入丸ですか大鋼ですか」「入丸です」「それならOKです}良く話を聞いたら、中部鋼板は元々入丸と大鋼とに取引があったが、会社が少し傾いた時に大鋼はさっさと取引を中止し東海圧延を選んだとの事。その点入丸は変わらず取引を続けてくれたとの事 「だから大鋼は嫌いなんだ」

その後圧延機更新を含めた色々な設備や淀川製鋼所のロール、電気炉用の電極等のコンスタントな資材契約で長い取引を続けさせてもらった。機材課として中部鋼板との取引がベースとなったのは今後他の営業をも楽にさせてもらい有難いことであった。

着任して早々に隣の鋼板部の長崎部長から昼食を近くの中華飯店でご馳走になった。家族で住む予定の家を聞かれたので、塚田君の家だと伝えた所「おみゃぁさん、そりゃぁ遠いがね」「都会だから1時間位は普通でしょ」「そんなことありゃすか、ここは田舎だでよ」と何とも良く判らない方言。

後で他の人から長崎部長は転勤で行く先々の方言を直ぐに覚えて会話をするので、土地のユーザーとは直ぐに仲良くなるんだそうだ。なるほどその手もあるなぁ、だけど長崎部長の飄々とした風貌で喋るから良いのであって、私が喋るとわざとらしくて反って拙いかも・・・やめとこ

この長崎部長とも長い付き合いとなった。本当に気さくな方で夜の部も良く一緒させて貰ったが、片岡千恵蔵(が経営してると聞いたけどな)の蕎麦屋が好きでね、最後は大抵ここで締めたな。日本酒が好きで酔った時なんか会計するカウンターの前で立ったまま器用に寝てた事もあったよな。

今は武蔵野でね、30年近く過ぎた今でも名古屋に来られると必ず一緒に飲むんだけれど、もう85歳かな少しお酒も弱くなったようだ。長生き頼みまっせ

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機材課課長席 左は砂堀君。 ゴルフは我流の為手打ち、腰が入ってないなぁ。

休日の幕間記事

2016年  27日 09:20
〇 遂に私が言った通りになりつつある。経営再建中のシャープの買収をめぐり、台湾の鴻海精密工業がシャープへの出資額を案の定値切って来て、4890億円から1000億円減らす事になった。途中2000億減らすと言って来たが流石にシャープの反発もあって半額で落ち着いたが、保証金1000億も条件付きにして買収条件にいちゃもんばかりつけている。
最初に私が言っただろう、相手は台湾と言っても中国人だ。大詰めになったら必ず何かやってくるぞと言った通りだろう。中身が最初と違うとか屁理屈を言っているが、そんな事は最初から判っていたはずだ。産業革新機構を下ろしてからゆっくりと始末しようとしてたんだ、中国人のやりそうな事だ。
そもそも主力取引銀行の三菱東京UFJ銀行とみずほ銀行とが自分の所の債権回収ばかりに執着し、シャープの役員を鴻海の支援賛成側になる様暗躍した結果がこれなんだ。だけど最終契約迄どのようになるか未だ安心出来ないよ、相手は海千山千の中国人だ、銀行筋も当てが外れたと後で嘆かないように注意しろよ。

ISに参加を計りトルコ治安当局にトッ捕まった24歳の男、日本人と認めたくないような男だね。今のISがヨーロッパの各国で自爆テロを繰り返して、罪のない国民を殺し回っているのを、この男は何と思っているのだ。日本の生活が嫌になった・・アホ抜かせ、恐らく仕事もせずにブラブラしてた奴がなにを偉そうに言えるのか、こいつはISが滅亡するまで刑務所に拘置しておくべきだろう。
ISに入っていたら何人もの殺人を犯す可能性があったのだから、事前に捉えた以上それなりの罪状で拘置出来るのではないのか。同時にこんな男にタダ飯食わせる訳にはいかないから親に食費代請求したらいいのでは。

〇 昨日一宮市北部の木曽川沿いにある国の名勝天然記念物「木曽川堤」の桜を見に行った。未だ開花したばかりで満開とは言えなかったが、写真を撮り終わって土手の道から下に降りようとして転げていしまってね。大した坂ではないと前向きで下りていたらスピードがついて止まらなくなって下に着いた所で転げるしかなかったんだ。
歳は取りたく無いものだ、格好悪く転んだので近くを歩いていたお年寄りにまで、大丈夫かと気遣われてしまった。平気な顔をしたけれど左の親指の付け根を捻挫したようで、湿布していたが酷くなるばかり、結局明日の今年初のゴルフコンペ欠席せざるを得なくなった。たまたま昨日の新聞のとら年の運勢を見たら「庭の大木が盗られるような思わぬ災難あり易い。気を抜かずして難を避けよ」だと、今日見てどうするんだよ。

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このなだらかな木曽川堤を下りていて下で転んだんだ。 ベランダの桜もいくつか開いたよ。

私の生涯日誌 その84

2016年  26日 08:45
昭和54年の3月某日、事前打ち合わせに名古屋支店に行き、関係者に挨拶と総務山本課長に4月からの本山の独身寮の入居を依頼し、同時に家族が移って来る場合に備えて、星ヶ丘の社宅の間取りを確認したが5人暮らしには狭すぎると判断した。

本山寮に必要最小限の荷物を送り、みんなに見送られるのを嫌って朝早い飛行機で名古屋に向かう事とした。見送りに来てくれたのは吉岡支店長と山崎君夫妻と部下の吉川嬢と家族だけ、柱の陰で涙している女性は残念ながら居なかったな。

着任した時の名古屋支店の組織は、橋詰取締役支店長(入丸)、加野副支店長(大鋼)、機材特殊鋼部木村部長(大鋼)、鋼板部長崎部長(入丸)、条鋼建材部川上部長(大鋼)、総務部加藤部長(入丸)

私の所属となる機材特殊鋼部は木村部長の下に大井次長(入丸)、機材課:課長小生(入丸)、砂堀君(大鋼)、大橋君(大鋼)、特殊鋼課:岡崎課長(大鋼)、藤井君(大鋼)、柳井君(大鋼)、佐治嬢、溶材課:荒川課長(大鋼)、寺儀君(大鋼)、飯田夫人、原料課:佐藤課長(大鋼)、片出君(入丸)、溝口君(大鋼)。

合併した時の入丸と大鋼の規模は人員も、業績も大鋼がかなり大きくその為部課での課員の配属にはかなりの差が出ていたのは事実である。役員構成は対等にしていたが、その下の人員に差が出来たのは仕方がないだろう。

着任して直ぐの記憶では、腰にコルセットを巻いた片出君がずんぐりした体で挨拶に来た事、佐治嬢と話をした時に生粋の名古屋弁で喋られた言葉に驚いた事が印象に残っている。直ぐ隣は鋼板部で田島課長(入丸)と塚田君(入丸)、大野君(入丸)もいたと思ったが、長崎部長にご馳走になった話は来週にして、塚田君は丁度大阪転勤になったばかりだった。

彼は扶桑町に住んでおり、家族全員一緒に大阪に行くと言う。間取りも丁度良いし社宅として借りてくれると助かるとの話、我が家族も恐らく名古屋に来ると言うだろうし、総務の山本課長も勧めるので取り敢えずその気になったが、入居してから交通の便の悪さに泣かされる事になる。

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春日の家、裏山と手作りの庭、これで見納めになる。後ろに新居祝いに貰った桃の古木。  福岡空港には吉岡支店長が見送りに来てくれたんだ。

私の生涯日誌 その83

2016年  25日 05:45
昭和54年2月末に松尾副支店長から応接間に呼ばれて、名古屋支店機材特殊鋼部機材チームの課長としての転勤を告げられた。顔を真っ赤にして声も上ずって指が小刻みに震えていたな。彼が悪い訳でも無いと思うが、転勤を決めるに当たって彼に何かの意図があったんだ。そうか八尋君と私の二人の候補に対し、彼は姪が好んだ八尋君を残し、私の転勤を選んだのだろう。

名古屋機材の前任者は逗子の寮で一緒だった谷地森課長でその後任との事、彼が東京に転勤になったので、機械の経験もある小生を推薦してくれた事もあったようだ。

日程は4月1日より名古屋支店勤務となる。考えて見ると余りゆとりが無い、家族の問題、家の問題、こちらの引き継ぎの問題、名古屋での引き継ぎもあるし名古屋での住まいの問題もある。名古屋は入社試験の帰りに姉の家に泊まった事が一度あるだけで、馴染みの少ない土地柄であるし、その姉も今は大阪だ。

福岡で聞いた名古屋支店の印象は、入丸と大鋼との軋轢が多少あるようで仲は余り良くないらしい。なるほど、福岡支店条鋼課での私の評判は入丸でありながら大鋼との人間関係は誠に良く、立花君を含む4人の大鋼の部下は全員私を悪く言う者は無いし、鋼板部の小郷課長や北村君、福田君達とも仲良く接している。それが名古屋支店にも聞こえて入丸と大鋼の手を結ばせる為の救世主に選ばれたのではないかな。最初は本当にそう思ったんだよ。

それより何よりまず家族の事だ、帰って直ぐ妻と話し合ったがどうするかについて簡単に結論は出ない。子供達は長男が中学2年生でその年に3年に進学予定、長女は小学6年生で中学進学予定、二男はこの年に小学2年になる。
以前父の転勤拒否の話をした事があったが私の姉と兄が神戸より若松に転校した時に苛められ、それが基で父が転勤拒否した為私には転校の経験が無いし、気持ちの上では転校させるのは可哀相だとの気持ちがある。

それにしても余りにも時間が無い、私の性格では日程を伸ばす事など考えられない。結局取り敢えず私が先に名古屋に行き、子供達は現状の学校に進学、入学する、考えている間に私が名古屋の状況を調べる事とした。花見どころでは無い

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 ベランダの桜 3輪開いた、蕾は結構あるので楽しみだ。 梅は枝を落としたら新芽が出てきた。

私の生涯日誌 その82

2016年  24日 10:10
後になってしまったが日鐵商事㈱発足時の役員構成は。
中野孝太郎社長(新日鐵)常務取締役:飯島(入丸)飯村(大鋼)河相(大鋼)諸井(新日鐵)高西(入丸/三菱BK)向山(入丸/三和BK)加藤(大鋼/東海BK) 取締役:入丸:溝口、高城、草野、橋詰。 大鋼:関谷、今井、谷村、金井。 監査役:各社1名づつ。

丸喜産業の問題を抱えつつも新しい福岡支店は順調に推移した。家庭の話としては。

会社への通勤は山崎君の近くに住む新日鐵の上西氏との3人で通勤するようになったし、帰りは一人で自宅近くにある1Fが生バンドが入っているジャズバーウェスタン、2Fが1Fのマスターの奥さん経営のカラオケスナックに良く行った、もうその頃から歌が好きだった。ウェスタンの店では「夕日に赤い帆」頼むよとかキザっぽくリクエストしたりしてね。

春日の家には部屋にゆとりがあったので日生ビルの地下にあった電気屋で当時の私にしては大きな買い物、ソニー製のステレオコンポを3万円で買った、当時の給与の半分位だったと思う。幅1m20cmm高さ70cmm奥行30cmmの木製で左右にスピーカー、上段プレーヤー中央ボックスにはチューナー、アンプ、Wカセットデッキプレーヤーの当時最高のコンポだったがマイクも付いており、自宅でのカラオケを楽しむ為カラオケ用のレコードも揃えて、自分が歌っては録音したテープが今もかなり残っている。

遊んでばかりいる様に思うだろうが、子供達の授業参観、運動会には全て出席した。家の帰りが遅くても妻は子供達には全て仕事で頑張っているのだと教え込んでくれており、名誉挽回の為にも行事にはきちんと出席していたんだ。お陰で子供達は皆いい子に育ってくれたし、これは妻のお陰だと感謝しているんだ。

良妻賢母の嫁さんも怒る事もあるんだ。ある時浮気を疑い昼過ぎに怒って家を出て行った事があったが、夕方になっても帰らないし子供3人の夕食に困って近くの寿司屋に電話したら、「スミマセン直ぐ持って行きます」との返事、 あれ!今から頼むのにと思ったら外から頼んでたんだ。暫くしたら「他に行く所が無いのでごめんなさい」と帰って来た。家庭円満の秘訣はこれなんだよ、ノロケかな。

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 家族5人で柳川の川下り。川岸の看板には昭和52年4月と書いてあるね。

私の生涯日誌 その81

2016年  23日 10:36
随分気を持たせたが、丸喜産業の寺岡専務との話し合いは割に早く決着した。与信管理上の問題、本社からの指示を全て正直に話をして、協力をお願いする形をとった。まず最初の6ヶ月間の取引量を現状の半分にする、手形は120日手形だから半年で略債権は約半分になる。そして6ヶ月以降は更に契約量をその半分にすると当初の4分の1の量となり、この流れで進むと10ヶ月後には債権も約2億5千万になる。後は限度内に収める事は簡単となる。

この条件を専務は素直に受けてくれた。「信用ありませんか、JOさんの言う事だし仕方ないね」 正直もういいよ止めようと言われるかと思ったが、専務としても完全に取引を中止すると、状況的には他の取引先に不安情報が流れる事の不利を考えたのだと思う。ただやはりいくら親しくしていたとは言え、この交渉は私にとって辛い事だった。

この後、昭和54年4月に私が名古屋に転勤になる時には、本社指示通りの与信額2億内に収める事が出来ていた。西九州製鋼も製造量を抑えたり他商社との取引を増やす努力はしたが、次第に山西専務自身仕事の熱意を失って行き結局1年位して退職、会社も数年後に経営母体が変わったはずだ。

日鐵商事福岡支店はそのまま日生ビルの7Fの広いフロアに入ったが、天神町の福ビルに居た新日鐵の九州営業所が日生ビルの6Fに変わって来たので、仕事もやり易くなったが何かと付き合いも多くなった。ラグビーで有名だった土屋課長は、私が名古屋支店に転勤になったと同じ時期に名古屋営業所に転勤になっており、福岡時代は余り話をしてなかったが名古屋で会った時には妙に親しくなってしまった。

駅前の全日空ビルにバーがあり、このバーも丸喜の専務に最初に連れて行って貰った所だ。ボトルキープが壁際の蜂の巣みたいな棚に入る数の30人しか出来ない様になっており、キープする事が一種のステータスとなっていた。空きが中々出来なくて、寺岡専務の口利きもあってやっとボトルキープ出来た時は嬉しかったね。同じ電車で通勤する新日鐵の古賀嬢や黒木嬢を連れて行って自慢した事があったな。

丸喜産業は昭和55年末だったか56年始めだったかに倒産した。会社の規則には前任者から後の担当が引き継いで6ヶ月経過すると、前担当者の責任は全く無しとなる。私の場合は既に1年以上経過していた為、この件に関しての問い合わせすら一度も来なかった。私はその時点での債権がどの位あったかを知りたいとも思わなかったが、結局本社の判断は正しかったんだ。冷たいと思われるかもしれないが、その後の専務の消息を調べた事はない。

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ベランダの桜が未だ咲かない。 妻のちぎり絵を代わりに。

臨時ニュース申し上げます

2016年  22日 11:25
昨日、愛知県下水道科学館で毎年行われる「春のロビーコンサート」にオカリナひろばとして出演した。午後の2番目13時半からだったが、最初の女性3人組のバンド演奏の開始が少し遅れたんだ。一人打楽器担当の女の子、見ていてイライラする位のんびりと準備してね、時間過ぎてるのに気にもしない平気なんだな、この子は良いお嫁さんになれないな・・・あれ皆結婚してる位の年齢か、だけどこの子は無理だったろうね・・・。

さて我がメンバーはドレミのさんぽの4人、オカリナひろばの4人、シルバーふじの13人の3サークル総勢21人+1人(先生)、これだけの人数でも準備は早かったよ。昨年は3人の子供が振ってくれたトトロのプラカード、適当な子が居なかったら客席のトリオのおば様が気持ち良く引き受けてくれた。「いつ振るか教えてね」と言われていたので、曲の紹介の時ウィンクして知らせようとしたら顔が引きつって失敗。

最初に準備曲「あがりめさがりめ、きらきら星変奏曲、ロンドン橋」でオカリナを湿らせ、「春の小川」「浜千鳥」「上を向いて歩こう」「野に咲く花のように」「さんぽ2重奏」「麦の唄」「365日の紙飛行機」「広い河の岸辺」「花は咲く」の9曲を一気に演奏。

アンコールの拍手が少なく、科学館の司会者が終了案内を始めたので先生は大慌て、準備していた「幸せなら手をたたこう」を急に演奏し始めたので、こちらも慌ててしまいこれは上手くリズムに乗れなかったな。

私は一番前に居たので客席を見ると、結構お年寄りの方が嬉しそうにリズムを取ってくれていたし、終わった後にトトロを振ってくれてたおば様が「良かったぁ」と感激してくれてホットしたんだ。実は途中随分間違えたので心配してたけど、先生も今年は揃っていて良かったと喜んでいたので良しとするか。

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先生の挨拶、後はピアノで見えなくなった。    オカリナひろばチーム
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シルバーふじチーム           ドレミのさんぽチームは右の4人
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曲の紹介は各サークルから一人ずつ。先生と2人だけ黒のシャツお揃い。女性は顔を写されるのが嫌いなんだ。