大晦日です

2015年  31日 09:00
平成27年12月31日大晦日である。今年一年を振り返っての私の特記事項。
1月1日:雪と強風。3日:箱根駅伝青学優勝。13日:PGAヒュンダイトーナメント松山3位。
2月21日:九州で早苗兄嫁一周忌法事、夜日高君と飲食。27、28日:早苗、佳子、佳奈、知奈、美穂と伊勢神宮、鳥羽水族館他
3月5日:美濃関CCゴルフ。20日:胃カメラ検査問題無し。22日:オカリナロビーコンサート下水道科学館。24日土筆会ゴルフ。30日尚宏自動車運転免許取得。
4月3日:日本酒の会キャッスルホテル星野社長と。9日:リオフジワラCCでゴルフ。12日:吉野山桜見物バスツアー。20日:佳子寄贈ダイハツミラ到着。26日:専務にデミオ売却。
5月6日:小生77歳誕生日。7日:鈴鹿CCでゴルフ。15日:土筆会ゴルフ参加。20日:NS、OB会出席、吉澤会長と懇談。24日:町内会出席。
6月11日:尾西自動車学校で免許証更新。16日:施設ほほえみでオカリナボランティア。23日:岐阜中央CCでゴルフ。29日:土筆会ゴルフ参加。
7月10日:霞GCでゴルフ。11日:若高同窓会中部総会キャッスルプラザホテル。18日:佳子家族法事で来名。23日:土井、石井君と名鉄百貨店屋上ビアガーデン。
8月7日:泡盛祭り名古屋ガーデンパレス星野社長。17日:尚宏北斗星乗車の為札幌へ。20日:夏の甲子園決勝東海大相模優勝。
9月4日:老人ホームサンリバーでオカリナボランティア。8日:ジョイーレオカリナ演奏・福寿会館。11日:藤原GCでゴルフ。15日~17日:尚宏と鹿児島旅行、知覧~鹿屋と孫との旅行も最後かもね。
10月3日:金平先輩と会食、同日篤と佳子来名、早苗めまいで大雄会緊急治療。16日:セ・リーグヤクルト優勝。
11月4日:ワイン会名古屋東急ホテル星野社長。6日:6日の紅葉会カラオケ藤貸切9名。10日:車バック中追突、藤本駐車場。27日:土筆会ゴルフ参加。
12月8日:土井、石井君忘年会、兄入院心臓手術。20日:高校駅伝男女共世羅高校優勝。23日:般若心経円通寺へ焼却持参。24日:オカリナ合同クリスマス発表会。

今年も良い人達と一年楽しく過ごせた。来年も宜しく。
叱らるる 人うらやまし としの暮  一茶

2015_1230正月飾り00112015_1230正月飾り0014
屠蘇の準備と玄関のしめ飾り

徒然なるままに 2

2015年  30日 10:08
○ 友人のブログへのコメントに、知人が書いた色即是空と言う字が気になると言って来た。来年調べてみると言ってたので「欲望を抱くことは空しい(虚しい)」と講釈してやった。欲情では無いよ欲望だよとも言ってやった。色と言う字は何故か色情の方に頭が行ってしまう、まあ彼はもう枯れているので心配無いけれどね。

○ ベランダの鉢のカナンコエが蕾を一杯につけて今にも咲きそうになっている。本来春過ぎの5月位に咲く花だが、数日前からの陽気で花も勘違いしているようだ。花はちゃんと決まった時期に咲いてくれないと困る。鉢植えの梅と桜にはが出ているが大丈夫だろうな、桜は一度、秋に葉が落ちて直ぐ又芽が出て葉が大きくなって次の春には新芽も出ず、中央の幹が枯れて今は根の近くから伸びた新しい幹nなっている。やはり決められた時期に咲かないとダメだと思うね。

2015_1230カランコエ0002 カナンコエ
2015_1230カランコエ0006 陽光桜

○ 今日は今から正月飾りをつけて行く。屠蘇の器の飾りつけは昔から私の役目、もう次の世代からはこんな面倒なことはやらなくなるだろう。玄関のお飾りも昔は鶴が羽を広げたような大きな飾りだったけれど、マンションのドアにはそれ相応の大きさじゃないと反って可笑しいよな。これが終わったら住所録でも作り直すか。

徒然なるままに

2015年  29日 10:10
○ 東京に単身赴任の長男から年末ジャンボ宝くじを60枚送って来てくれた。私が勤めを辞めてから毎年送ってくれるようになった。私が買わない事を知っているからだろう。前にも記事にしたが、私はロト7とかロト6とかナンバーズは1枚ずつ買って楽しんでいる。自分で数字を選べるからだ。だけどジャンボは年末だから嬉しいね、長男君、感謝感謝

○ 先日、お盆にお参りに来て戴く北名古屋市の圓通寺に、平成24年から書き溜めた般若心経の写経、平成25年26年を合わせた3年分を持参し焼却をお願いした。閏年もあり1096枚になる。写経写しをどうしたらよいのか困って和尚に相談したら、年末焼いてあげましょうとの事、お経をあげて焼却してくれるそうだ。粗末に出来ないだけに助かったね、勿論少額ながらお布施を副えましたよ。

2015_1229年末ジャンボ00032015_1223般若心経0003
来年には札束をどんと積んで載せるかな、いやオレオレ詐欺に狙われたらいかんので止めとこう。

○ 25日の金曜は星野産商に遊びに行って夜は社長と二人で忘年会をした。この会社を辞めてもう4年になるが、毎月一回は会社を訪ね、偉そうに昔の部下にしっかりやっとるかと声をかける、そして夜は社長と飲む。社長には衣を着せず何でも話をするので、社長も色々と困っている事を含めて相談してくれる。ただ社長の欠点は飲んだら話の内容を忘れる事がある、逆にそれは良いのかもしれないな。。定期的に開催されるワイン会、泡盛祭り、日本酒の会、には来年も呼んでもらえる事を期待しよう。

○ 18日の金曜は定期訪問のカラオケ藤に行く。この日は珍しく途中から爺様の客があったので、歌も交互になり歌の数も減ったが、つい爺様の歌に対抗する様な歌を選ぶのでいつもと少し違っていたな。順序別の歌った歌は。
惜春、風雪流れ旅、吾亦紅、花と龍、博多しぐれ、酒のやど、古都逍遥、川の流れのように、無縁坂、千年の古都、小樽運河、惜別の唄、男の一生、ゆきずり、琵琶の実のなる頃、芭蕉布・・・それでも16曲歌ってるな。

ほんの一言

2015年  28日 12:30
○主要国首脳会議伊勢志摩サミットは日本が議長国となり、三重県志摩市の賢島をメーン会場に来年5月26、27日の両日に開かれる事は周知の通りだ。
三重県としては67億円の予算で道路整備や警備の充実を計っているが、11月のパリの同時多発テロ以来余りにも不安を煽る新聞報道が多くなった。確かに厳重なる警戒は大切な事ではあるが、濫りに不安を煽り過ぎるのは如何なものか。
それこそテロ集団の思うツボ、マッチ一本投げるだけで大混乱が起こりかねない。国民、県民の注意を促す事は必要ながら、不安を煽る事無く警備は万全である事をアッピールする方がいいんじゃないかい。

東芝は扇風機や電気アイロン、電気洗濯機等11種類もの電気製品の国内第1号機を作った会社であり、ノートパソコンやDVDプレーヤーは世界初製造のメーカーである。この伝統ある会社が今経営難で危機に瀕しており、再建の為この年末に1万人にも上るリストラ策を発表した。
世間のどの家庭も新しい年を迎えるに当たり忙しい中にも幸せな営みをしている時に、東芝の社員やその家族はつらい新年を迎える事になりそうだ。東芝に入社した時はこれほどの会社に入社出来た事をどれほど喜んだことか、無能な経営者の為に経営再建のきっかけも失ってしまったようだ。
私は専門商社勤務時代に総合商社の安宅産業が破綻した。まさかと思いたくなる程の会社が倒産したり不振に陥るののは自分本位の無能な経営陣の所為だろう。社員にとっては怒りをどこにも持って行きようのない堪らない話だ。

2015_1228猿年0002 来年は申年です。

休日の幕間記事

2015年  27日 10:06
12月24日岩田先生が指導しているオカリナの3グループ、ドレミのさんぽオカリナひろばシルバーふじ(実力順)の合同クリスマス会が、一宮市富士公民館2階大会議室で開催された。

最初に先生の次回課題曲「365日の紙飛行機」の模範演奏があり、更に会場の雰囲気を盛り上げる為にクリスマス曲メドレー9曲を演奏(もろびとこぞりて、マジカルサンタクロース、サンタが町にやってくる、あら野のはてに、もみの木、ジングルベル他)

後はプログラム通りに全員演奏(埴生の宿、野に咲く花のように、麦の唄、広い河の岸辺、花は咲く) 引き続きグループ単位で、シルバーふじ(上を向いて歩こう、見上げてごらん夜の星を)、オカリナひろば(雨のち晴レルヤ、手紙~拝啓十五の君へ~)ドレミのさんぽと一緒に(りんごの唄)、ドレミのさんぽ単独(となりのトトロ2重奏、となりのトトロ「さんぽ」2重奏、鉄腕アトム、ドナウ川のさざなみ、山の音楽会)

その後先生の難しい演奏2曲(下に写真と曲目)が披露された。やはり上手いもんだ、指が良く動く、これが若さだろうな。その後に再び全員演奏で「いつくしみ深き、ジングルベル、お正月」 本会の締めはドレミのさんぽとオカリナひろばで「今日の日はさようなら」を演奏し今年も無事に終了。

私個人的には練習の時から問題だった2曲がやはりクエスチョンだったね。曲の入りに自信が無く、隣に影響されてしまい果たして上手く出来たのかも判らなかったね。全て終わった後に奈良輪さんから「○○さんのオカリナ良く聞こえましたよ」と言われたけれど、演奏じゃなくてオカリナ本体が良かったと言われたんじゃないかな。

演奏終了後、茶話会になり飛び入り演奏が始まったがシルバーふじは今枝さんを中心に積極的だねぇ、負けてるよと中村さんを焚きつけてオカリナ独奏をして貰ったが、今度はオカリナひろばだとお鉢が回って来て到頭引っ張り出されてしまった。
歌を歌う以外能がないんでね、歌ったけれどこれは録音して無かったのでどうだったか不明、そう言えば声量があるねと言われたけれど上手だったとは言われなかったな。まあこれで今年の吹き納めも無事終わった。
良い年を迎えたいものだ。来年も宜しく

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我々のオカリナひろば、本来8人のグループながら本日は5人。
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ドレミのさんぽの皆さん、悔しいけれど実力は数段上だ。 特に中央の男性中村さんは上手いね。私も頑張ろう。
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先生の独奏(情熱大陸、リベルタンゴ)、私は余興で急にオカリナひろば代表となり、「里の秋」を歌った。急な事で動揺して伴奏の先生や中村さんに迷惑かけたかな。

*明日からいよいよ年末、何かと用事もあるので「私の生涯日誌」は来年1月3日までお休みする。その間に何か書きたい事があったら記事にするかもしれないが。自分はお休みでも皆さんの記事には訪問させて貰うつもりだ。


私の生涯日誌 その26

2015年  26日 12:00
高校時代は何しろ青春真っ只中、写真も二人での写真が多く申し訳無い。

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山村先生 私が最初クレオパトラと間違ったのは、最前列の一番左。
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最上段を拡大、私の左が上野朗。私の前の白シャツの右の田中、キザな男だったが、社名は忘れたけれど結構大手会社の社長になったのを新聞で知った。。

テストで名前も覚えられた所為か、早苗も多少目立っていた事もあってか、「菊川は○○の彼女らしい、手を出さない方がいいぞ」と言う噂が聞こえて来る様になった。その噂は上級生にも何故か聞こえていたようで、あいつは生意気だと言う噂が私にも聞こえて来る様になった。

ある体操の時間に上級生と一緒に柔道をする事になり嫌な予感がしたが、来た来た柔道部のごっつい上級生からご指名がかかり、乱取りで結構投げられたな。当然だろ私は剣道部、柔道なんかした事もないんだ。だが上手に投げられていたら相手も満足したんだろう絞められはしなかったし、素直だと言う事だったのか彼女との事は何も言われなくなった。

ただこれをきっかけに私は個人的に空手を始めたんだ。龍介兄の友達に副田さんと言う空手の黒帯の人がいたので紹介して貰い個人入門、週に何回か先生の家を訪問し家の前の道で修行するんだ。自宅の庭には拳を鍛える為の麦わらを立てて正拳突きで毎日鍛える。麦わらに巻いた白い布が血で真っ赤に染まるまでね。流派は松濤館、実戦には剛柔流が有名だが松濤館は形が綺麗だ。

元々私の拳は指の関節の骨が高く、指と指との間の肉盛りが少ない為多少苦労したが最後は瓦を7枚位まで割れるようになっていた。勿論誰にもこの事は話さなかったけどね。だけど白状すると、昔の食べ物の好き嫌いがたたって基本的に骨が華奢で脆かった為、組手に弱く大成出来なかった。

早苗の父は国鉄の機関区勤務だったので、足を鍛える為に頼んで鉄の高下駄を作って貰った。ある日それを履いて通学したんだ。流石に10km以上鉄下駄で歩く自信は無く、町に出て丸柏デパートの前からバスに乗ってね。だけどガランガランと町のど真ん中を歩くとは若い頃は思い切った事をしたもんだ。

授業は移動教室で何の授業だったか運動場を隔てた旧女学校の校舎まで運動場と礫陵園との間のコンクリートの道を歩いて行く。天気の日はいいけど雨の強い時は堪らなかったな、冬は特にね。

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映画のワンシーンの様だな。  早苗は何故か目を閉じた写真が多い。
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3月21日の「遥かな日々」の記事に書いたように、白秋等の詩を読み自分も詩を作った、思い出の鐘つき堂。
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この黒帯は写真用で眉唾だな。ただもう実力的には白帯じゃないよ。

私の生涯日誌 その25

2015年  25日 08:45
学校が始まって間もなく抜き打ちのテストがあった。確か英、数、国の3科目だったと思う。それから1週間位たったクラスの朝礼の時に山村先生から「今日は嬉しい報告がある、先日のテストの結果が出て、このクラスから1番が出た」、少し間を置いて「○○君だ」と私の名前が呼ばれた。やはり嬉しかったね。

当時は成績の順位を廊下に張り出す仕組みになっており、早速見に行ったら見上げる所に褌のように紙が貼ってある。気持ちの良いもんだよ、名前の下に合計点数が書いてあって何点だったかもう忘れたけれど、2中から来た連中と私のクラス以外には私を知るはずも無く、ただこの事によって私の名前を知って貰ったのは事実だ。2番が誰だったかも忘れたが、早苗が5番に居たのは覚えている。

その後の授業も余り覚えていないが、最初の国語の時間が女性の岡野先生で教科書の1ページに載っていたのが三好達治の「甃のうへ」だった。
「あはれ 花びらながれ をみなごに 花びらながれ をみなごしめやかに 語らいひあゆみ うららかの跫音 空にながれ をりふしに 瞳をあげて  翳りなき み寺の春をすぎゆくなり み寺の甍 みどりにうるほい 廂々に 風鐸のすがた しづかなれば ひとりなる わが身の影を あゆまする甃(いし)の上」

先生の朗読のゆったりとした旋律は強く私の心を振るわせ耳に残り、情景が流れるように浮かんで来たんだ。平成7年に名古屋で若松高校の同窓会中部支部会が催された時、当時の先生をゲストとして何人か来て戴いた事がある。その中に岡野先生が来られる事を事前に知ったので、この「甃のうへ」の詩をワードで打ち出し当日先生に朗読をお願いしたところ快く引き受けて下さり、40年振りの授業が再開されたのである。

昔と変わらぬあの美しい旋律が流れ始めると、一瞬の内に私は昔の私に戻り、古ぼけた校舎のガラス越しに穏やかな日差しを浴びた礫陵園が浮かび、何と目の前には昔のままの可愛い妻がいる・・・。 

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こんな写真ばかりで申し訳ないですね。青春の1ページとして我慢して下さい。若高の礫陵園にて長兄撮影。
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私の生涯日誌 その24

2015年  24日 10:04
高校生活が始まった。修多羅の自宅から学校迄結構遠かったが、学校の正門は両脇が桜並木の30m位の坂道になっており、2006年に若松がNHKの「フルスイング」と言う、高橋克実が高校の先生になるドラマの舞台となって、若松高校のこの正門が映し出された時は感激したな。

所が又もや入学式の時の、恐らく桜の花びらが散っていたであろう感激の場の記憶が無い、もしかして近道の裏門{昔の女学校の門:女学校が無くなり昔の中学(今の高校)と隣り合わせだった為、校舎も高校で使用した}から入ったのかも知れないな。小学生じゃないんだから、感激なんか必要ないんだ。

1年は7組まであり私は7組、担任は通称ドンキーの山村先生。早苗は1組で赤司先生、後のクラス担任は、高校になると持ち上がりでは無く、クラスも担任も変わってしまう為記憶がぼやけてしまうが、他に岡野先生、森元先生、向井先生がどのクラスかの担任だったと思う。

クラスは男女半々位だったが、入って直ぐの思い出として、修多羅から2中に通う時に隣の3中に通う生意気そうな奴が居たが、良く見るとそいつが居たんだ。名前は上野朗、家が私の家から少し登ったお寺さんの近くに住んでいた。だから良く会ってたんだ。中々のハンサムで直ぐに友達になり、現在も賀状のやり取りは行っている。

今一つ、席に着いた時に横を向くと数列向こうの席に物凄い美人が居る。勿論2中出身では無い。所が教壇に上がった時に捜したら居ないんだ、目の錯覚だったかと席に戻るとちゃんと居るんだ。結論は横顔美人だったんだな、正面から見るとエラが張ったような大きな顔で本当に判らなかった。

失礼に当たるから名前は言わないが美人で無くて良かったかも、中学の時の繰り返しに為らなくて済んだからね。何しろ少し浮気性の所があるから気をつけよう。

2015_1224高校1年写真0003
母と記念撮影            私はセーラー服が好きだったので学校以外はセーラー服で。

私の生涯日誌 その23

2015年  23日 11:25
いよいよ昭和29年3月若松市立第二中学校を卒業する。自宅は山手通りから修多羅に変り遠くなったが、充実した3年間だった。

2015_1223卒業写真0009
中学時代はクラス単位では無く全体写真だった。5組は右サイドだった。

2015_1218中学0003 抜粋男子右上段。
2015_1218中学0004 抜粋女子右中断。

ここで家族の状況と最初は康介兄を主体に述べて行きたい。昭和29年末の年齢は父53歳、母48歳、姉27歳、長兄23歳、次兄19歳、私は16歳である。父は三井銀行に在職中、姉は結婚後村上姓長男1人、長兄は福岡商科大学3年、次兄は九州大学経済1年、私は若松高校1年である。長兄の事は既述の如く高校卒業後一旦銀行に就職するも一念発起退職して大学に進んだものである。

次兄の康介は兄弟3人の中で血液型が一人だけ父と同じB型、性格は本人も自覚しているが他人の事は余り意識しない自己中心タイプである。
1例として子供の時に食べ物が少ない中、各人に分けてないひと皿に盛った食べ物を悪気は無く、数に関係なく自分の好きなだけ食べる、中学時代に先生に怒られて数人が廊下に座らされている時でもその時間が勿体無いと勉強道具を持って来て平気で勉強し、先生も呆れてしまうと言う次第。

頭脳的には閃き型では無く典型的な努力型である。私の知っている勉強方法は、歩きながら英単語の辞書を繰りながら覚えて行き覚えたら破り捨てる、従って常に成績はトップである。小学校時代の記事にも書いたけれど運動神経は抜群で走るのも早かったな。私が偉そうに通告表とか表彰状とかひけらかすと、みっともないから止めろと言う謙虚な所もある。勿論兄も市長賞は貰っている。

こんな事もあった。父は囲碁が好きで長兄とは既に父と対局していたが、ある日康介兄と私が同時に父より教えを受けた。暫くして二人で対局したが、私が勝ったんだ。私は閃めき型だったので最初の取り付きが早かったんだ。兄は悔しがってそれから相当に努力した。
様子を見ていると結構強くなっているのが判る頃、私に挑戦して来たんだ。その頃私は負けず嫌いが努力に向かわず、囲碁を放棄していたのだ。勝ったままにしておきたかったから当然受けて立ちませんねぇ。
かなりしつこく挑戦してきたけれど、結局勝負をしたのはかなり年を取ってからだったと思う。当然花を持たせましたよ。長兄も康介兄もそれから結構強くなり素人何段かの腕前ながら、努力型の康介兄も閃めき型の長兄には分が悪いようながら、現在も時々烏鷺を楽しんでいるようだ。

このように家族の事も時々書き添えて行きたいと考えている。

2015_1223家族写真0006
恒例の家族写真。昭和29年私が高校1年の秋だったと思う。



私の生涯日誌 その22

2015年  22日 12:20
そろそろ卒業が近づいた。ある日担当の新崎先生に職員室に呼ばれ個別の話があった。
「○○君、卒業に当たって市長からの市長賞をクラスから1名選出する事になっている。私は君を指名したいと思っているが、一つ気になっている事がある。菊川さんとの関係だけど、どうなっているの}「結婚するつもりです」「えっ!もうそんな関係なの」「いえ今は何もありませんが、将来は結婚するつもりです」「ふぅ~ん」

結果として市長賞は私が貰った。勉強で競り合っていた藤君はこれで発奮して先の事ながら東京大学に現役合格し日本IBMに入社した。私は格下の山口大学経済、そして新日鉄系の日鐵商事に勤めたが、最終的にはどちらがどうだったとは言えないけれど、彼は平成22年に亡くなり、長寿ランキングでも私が勝ったな。

その後のクラス会で先生にお会いする度「あの時は冗談位にしか思っていなかったけれど、本当だったんだねぇ」と早苗と結婚には驚いていたが「素晴らしい事、○○君を今一度見直したね」とも言って貰えたんだ。

優等賞はクラスで私以外に藤、日高、大庭、菊川、勝浦の6名。小学時の彼女林克子は宣言通り4組で市長賞を獲得した。卒業前に当然高校入試があり、ほぼ全員が若松で唯一の若松高校を受験したが、予想に反して親友の椿田が不合格となり、私立の西南高校に去っていった。

早苗とは迫田の家まで訪問する間柄になっていた。親父さんは国鉄若松機関区勤務、戦時中は華北交通に勤め中国に住んでいたが終戦の20年12月に引き上げ、親戚の居る折尾に暫く居て勤めの関係で若松に移住した。
兄一人、姉一人で二人は私の長兄と次兄と同じ年なのも変なめぐり合わせだ。母親はS22年逝去、以降姉と二人で炊事洗濯を受持つ暮らし、兄は2年早く帰国し折尾で東筑に入学していたが中退して若松市役所に勤務するも、結核にかかり門司で療養。
私が訪問した頃は右肺摘出手術後の自宅療養2年目位だった。 家庭は片親だったが家族は円満で彼女も素直に育っており私は無口な親父さんに気持ちよく受け入れられたんだ。

2015_1222賞状0002  通告表1、2、3学期と学年
2015_1222賞状0009 市長賞
2015_1222迫田0011 早苗宅姉と。