幕間記事

2015年  30日 11:49
1.先日テレビで、何人かの医者とゲストで、頻尿の話が中心の医学講座みたいなのをやっていた。頻尿とかは当然老化の話になるよね。一人の健康そうな医師が、老化抑制には性ホルモンの男性では「テストステロン」(女性はエストステロンだったかな)が必要であるとの事、これを体内に作るには食物としては牛肉を毎日食べる、肉の代わりにツナ缶詰か鯖缶詰でも良い、間食にはナッツ類が良く毎日30分位日光浴をするのが良いと言いながら、その医者の朝食に大きなビフテキを食ってるところや、軽装でサイクリングしている所のビデオを流していた。「女性に恋をしたり心をときめかせるのもテストステロンを増やすのにいいですよ」間、髪を入れず横から妻の声「だったらもう貴方は大丈夫よね」「え・・・・・」

2.先日文化庁認定の日本遺産の第一弾18件が発表された。2020年迄に100件を決めるそうだ。18件の内我が家の近いもので、①{「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜}②「祈る皇女斎王のみやこ 斎宮」 とあったが私には具体性が無くて良く理解出来ない。日本遺産は地域の有形、無形の文化財をパッケージで認定し、観光振興などの地域活性化に役立てる新事業とある。文化財そのものでは無く、伝統や風土に根ざした「ストーリー」が認定対象となる。とある。
島根では「津和野今昔〜百景図を歩く〜」、京都では「日本茶800年の歴史散歩」、とあるがこのような事がストーリーなんだろうか。18件位の中身で戸惑っていたら100件になった時どのようになるのだろうか。日本遺産と言うのは訪ねて行けるポイント的場所じゃないのだろうか。
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昔の岐阜城と信長館の想像図

新天地4

2015年  29日 09:13
丁度勤務が3年過ぎた5月頃、当社社長交代の時期が近づいた時にNS本社白神専務より、現在太平工業名古屋支店で副支店長をしている新日鉄名古屋製鉄所出身の石井氏を社長の後任に薦めて来た。新日鉄からの話に否応も無い、結局最初は顧問として着任した。
後になって色々と聞こえて来た話は、太平名古屋では彼に本業の仕事をタッチされると全てがダメになるので、開発名目の新しい部を作ってその責任者として彼に仕事をさせていたとの事、今回MMIに出て行く事が決まった時部員全員でお祝いの乾杯をしたとの噂 、石井氏に対してのお祝いの乾杯じゃないよ、石井氏が出て行く事に対する喜びでだったらしい。結局太平では彼用に作った部を直ぐに解散してしまったそうだ。
そう言えば彼と一緒に名古屋製鉄所に行った時はふんぞり返って、昔の部下を君付けで呼びつける始末、現在の立場を全く理解していない態度に、後でその人から「あんなの二度と連れて来るなよ」と灸を据えられてしまった。・・・と言うところでこの人の事は理解して貰えたかな。
その年の10月頃、製鉄所の緊急な仕事の件で越智取締役と打合せを済ませた後彼に呼ばれた「JO君、君は何故僕に報告しないんだ」本件急を要する為越智取締と先に打合せしただけ、重要な事は毎朝報告しているはず」「君は僕より越智君が大切なのか、君は僕を馬鹿にしているのか」自分の無能さを馬鹿にされたと思ったのか、単なる僻み根性か。
こんな事があったその年の12月、本社勤務になっていた昔のNS時代の部下藤井君(唯一の仲人)からの電話あり「石井氏がNSの白神専務に、越智取締に対する誹謗とNS出身者を全員辞めさせなければ社長は出来ないと報告した様子、気をつけて欲しい」との連絡が入った。
F君の電話のすぐ後、中部鋼鈑で散々お世話になり現在は子会社の明徳産業㈱の社長になっていた宇対瀬氏から「JOさん今晩暇かな、一緒に飲みませんか」との電話の誘い、何か又私の運命が・・・。

新天地3

2015年  28日 10:52
MMIでは本社営業グループリーダーの肩書きで新日鉄名古屋製鉄所専門の営業活動を行った。当時名古屋製鉄所のクレーンはメーカー西電工機が小型クレーンで結構実績を上げていたが、購買から引き合いが出ない限り見積の競争も出来ない。当社クレーンの製鉄所窓口商社は日鐵商事(NS)である。製鉄所の機器設備購入形式は大きな金額物件は全て本社契約となり、クレーンでも大型になると億単位、メーカーも住友重機とかIHI等が競争相手となる。
まず現場での設備計画の段階での情報取得、クレーンの設計協力を行い、現場サイドから購買へ行った段階で本社契約か現地購入かが決まるが、いずれにしても当社が見積参画出来るようにする営業が第一となる。
MMI在籍の3年9ヶ月の間にかなりの台数のクレーンを納めたが、西電工機を蹴落とす手段として購買はもとより各現場サイドにも、丁度起こっていた西電の経営不安の情報を利用させて貰う位のことはやらせて貰いましたよ。
MMIのクレーンとしての技術評価は元々高く、西電のクレーン技術が劣る事は周知の事で、それだけに価格勝負していた会社であったが、そこに悪い噂が流れると効果は覿面となって、引き合いも減り当然当社=NSが有利に展開出来てきた事は事実だ、誰だ敵の弱みに付け込むのは卑怯だと言う奴は・・・。だけど間違ったらいけない、本来の営業は正々堂々と勝負していたんだよ。
越智取締役とは公私共にすばらしい付き合いをした。昭和6年生まれだが元気な人でね、仕事の時はいつも資料の入った大きなカバンを持ち歩いていた。ゴルフは下手の横好き、だけど熱心だった。飲んだ時の歌はまあまあだったかな、安曇野を良く歌っていた。最初はピアノが置いてある店に行きたがったが、あれはピアノだったら調子を合わせてくれるからだったに違いない。
だけど幸せな日は急に崩れるものだ、しかもいつものように程度は低いが権力を持った上司が来るとこれまた覿面だね。

新天地2

2015年  27日 09:45
NS東海支店には新日鉄名古屋製鉄所から出向して来ていた平野部長がいた。私の事だから直ぐに仲良くなった。少し癖のある人だったが製鉄所内にも知人が多く、多くの人を紹介してくれた、本当に助かったね。
製鉄所の中もながら関連会社、構内業者、東海市の業者や大手の支店営業所と全てが新日鉄と関係している業者が多く、そこでも彼の顔は結構売れていた。勿論自分で開拓して行ったところもあったよ。
ENICOM、日鉄ライフ、太平工業、NBP東海、スガテック、日鐵物流、上組、産業振興、吉川工業、黒崎播磨、山九、丸太運輸、東海興業、大洋興業、東海テクノリサーチ、東海プラントエンジニアリング、三和実業、三和テクノ、北都電機、岡島パイプ製作所、住友重機械工業、東海鋼材工業、河野電子、トキワエンジニアリング、三朋産業、愛知防錆、三井物産金属原料等々色々な業種の会社を営業して回った。OA機器及びコンピューターソフト(これは本社に応援依頼)、OA機器関連の資材と名古屋製鉄所を中心にNSBAC退社の平成11年迄業績も充分だったと自負している。
関連企業への出向は5年間となっており丁度5年目に本社鎌刈社長より嘱託として継続して欲しいとの依頼があり承諾した。嘱託勤務もあと2ヶ月で1年目との段階で業績も上がっており後任の伊藤君も出向で来ていたので、各所にはそれとなく挨拶をしていた時、その情報で訪ねて来たのがMMIの越智取締役、同社昔は結構名古屋製鉄所に実績があったが最近は全く引き合いが無くなった為、改めて天井クレーン営業を復活したいので協力して欲しいとの入社お誘いであった。
MMIで再度花を咲かせるかと早速NISBAC本社に行き鎌刈社長に中途退社のお詫びをした所「越智さんうまいことやったな」と社長の一言。これは私を認めてくれていたと考えていいのかな。いずれにしてもこの一言で私としては気持ちの良い退社となった。(H11.4.30付)⇒MMI入社(H11.5.1)
MMIはNSの子会社であり、社長は新日鉄からNS本社に出向の常務渡辺氏が兼務。既にNSからの出向者も居たが私はNSからの出向ではない立場の入社となった。私を引き抜いた越智取締役は電力会社を皮切りに最終旧宮地鐵工所に入った電気の技術屋で営業のベテラン、私がNS機材リーダー時代は宮地の常務で旧知の中であった。

休養日はドローンでドロン

2015年  26日 12:10
最近話題のドローンが何であるかを恥ずかしながら私は最近迄知らなかった。無線操縦無人機で既に1950年代の始めには偵察機や爆撃機として使おうとのアイデアが出されていたそうだ。無線操縦と言えばラジコン、ミニカーとか模型飛行機とか子供より大人の遊びのように思っていたし、いつもゴルフの練習に行く木曽川の川沿いにも模型飛行機の飛行場があり、車で模型飛行機を飛ばしに来ているのは大人ばかりである。
近くの畑では薬を散布するドローンが飛んでいたが、便利なものだなと思うくらいで危険なものとは考えた事が無かった。
ところがデジタル技術、人口知能、ロボット操作の開発が、遥か彼方の操縦室から偵察や爆撃が出来る、安い費用の戦争兵器となってきているそうだ。パイロットの命は保証される代わりに簡単に攻撃に行けるだけに、攻撃される側は大きな犠牲を背負う事になるだろう。
日本においては現在ドローンの登録も、免許もいらず操作は簡単、安価となれば首相官邸に落下させたような事が日常茶飯に起こり得る。小型でも強力な爆弾やサリン等殺傷能力の高い危険物を積んで飛ばす事が出来る事を何故早く気づかなかったのか、何か起こってからしか真剣に考えない日本政府の体質がここにもある。
米英等は目視範囲内以外は既に飛行禁止になっているし今後も更に厳しくなるだろう。今国会で法規制を検討することは当然だと思うが、本当に危険なものに成りうる物だけに規制の内容は一度で決めてしまうのでは無く、追加規制出来るようにしておく必要があるだろう。
ただ「羹に懲りて膾を吹く」ことだけは避けないと、折角の娯楽を取り上げてしまいかねない事には十分に配慮して欲しいと思うね。

新天地へ

2015年  25日 08:53
平成5年に31年間勤めた本体からNSBAC名古屋支店支店長として新しい勤務に就く。部下は野崎君一人、OA機器関連の仕事は初めてで知識は皆無、暫くは野崎君に任せ休養を取ろう。本体との借上げ社宅も無くなったので一宮市に新築のマンション購入、田舎だけれどここでも又新しい生活が始まった。同時に長男と次男が結婚し長男の方が同じマンションを購入、家族が近くに居るので一安心、夫婦二人の生活が始まった。
在任中妙な電話が入った「支店長さん、手袋を買ってくれませんか、同じビルの新日鉄は買ってくれました。もし栄のクラブ等で変なのに絡まれたらうちが処理してあげますよ」価格は1ダース10万円。ヤクザ屋さんだね、電話口で丁寧にお断りするのに約30分かかったね。脅されても屈っしなかったら「もういい」ガチャンで終わり、暫くは何かあるんじゃないかと心配したが何も無し。支店長としての初めての仕事らしい仕事
本来の仕事の方は余り無くのんびりし過ぎて売上も上がらず、到頭名古屋支店閉鎖。新しく新日鉄名古屋製鉄所対応目的で東海に新しい営業所を作って移転する事となったが、名古屋支店在任1年位の間に体重が55kgから70kg近くに増えてしまった。30年以上変化の無かった体重でもう肥える事は無いと思っていたが怠惰は敵だね。

東海営業所は東海市の商社センターの中にいた日鐵商事(NS)東海支店の事務所内に設置された。NSの仕事は名古屋製鉄所からの鋼材受渡し業務と設備機器の販売で管轄は本社だった。
NSBACとしての主な仕事は新日鉄名古屋製鐵所及び構内業者と周辺の企業に対するOA機器、資材の販売である。所長一人部下は女子事務員1名、さあいよいよ一匹狼になって頑張る以外にない。相手は大手だし不足は無い、1年間の休養で十分に充電された営業力をぶっつけて行こうと本当に思ったね。一旦動き出したら止まらない私のチャレンジがこの時から始まった。

連続サラリーマン生活物語(その10ー3)

2015年  24日 09:22
本件終了後私は管理監督不行届として訓戒の処分を受け、NISBAC㈱への出向時には役員待遇では無く単なる名古屋支店長としての出向となった。佐藤君は大洋鋼材からゴルフ会員権購入資金借入の事実が判明し懲戒免職の話もあったらしいが、鷲尾支店長の計らいもあり依願退職処分となった。支店長も心苦しく思っていた事の侘びの気持があったのだろう。
当時私の部は他の部が羨む程纏まりもあり、旅行も含め色々な催し事にも全員参加の和気藹々の雰囲気を持った部であった。本件が起こる前から私自身は、鋼板部の様に特約店からの接待等を、鷲尾支店長に設営する事もせず部下第一の考え方を通して来たが、サラリーマンとしては部下の為にも、上司に好まれる存在で居るべきだったのかもしれない。
そのような訳で私は中部鋼鈑を始め取引先からの評価の方が高かった。
当社では昇格条件として資格に見合った通信教育を受けておく必要があったが、機材チームの大野リーダーの副理事昇格の申請を提出した所、支店長より「君は部下の事を把握してないのか」と叱責され調べた結果、通信教育を全く受けていない事が判明。
本人曰く「私は高卒、部長にはなれるはずが無いので資格はとってない」との回答、「バカ野郎、資格さえあれば絶対通してやる」と約束し翌年無事昇格、彼は鋼板部より機材に変わってきていたが、当時の鋼板部にはそう思わせる何かがあったのかも知れない。旧入丸ながら何となくよそよそしかった彼もその後自然に打ち解けて来た。
彼はその後、機材チームより佐藤リーダー退社後の原料チームに移り、55歳迄原料機材部の部長を勤めた後出向を辞退して望まれた某スクラップ業者に入社、現在も活躍している。
これはNISBACに行って間がない話であるが、NS総務の岩本部長経由で私がリストラの対象になっているとの話が来た。冗談じゃない馬鹿にするなと所属NISBACの小野社長に、リストラされる理由が無い事を詳細に記述した手紙を送ったが、その後その話は沙汰止みとなった。恐らくこれも鷲尾支店長の差金だったかも知れないとは思っていた。

今回、(その10)の話はNI商事の締めくくりの話としては苦労話ばかりで重苦しく、小説と言えども果たしてブログに載せる記事としてはどうかなと思ったが、もう20年以上も昔の出来事を参考とした話でもあるし、日鉄I商事時代の最後の1ページとして、この話を書かないと尻切れトンボになると、思い切った次第。
全てが今思えば夢の中の話のように思うが、私の人を見る目は尚一層磨かれたと思っている。もうこの世にいない方も多いと思うが関係した方々には素直な気持で「有難う」と言いたいね。

幕間記事3

2015年  23日 10:00
最近のニュースで、全く知らない人の幸せそうな様子を妬み、歩道まで車を乗り上げて子供2人を含む3人を車で引いて大怪我をさせたとんでもない男がいた。そうなんだ訳の判らない理由で相手を傷つける、まともな人にとっては防ぎようもない出来事が日常茶飯事に起こる今日この頃である。
私は去る4月15日に兄弟3人夫婦で父母の法事に合わせた旅行をしている記事をブログに載せたが、昨日長兄より「父母を敬い兄弟仲の良い事は当事者同士が幸せに思えば良い事で人に話す事では無いのではないかな、住居地区、年齢迄書いていると妬む人がいる可能性もあり不安を感じる、今少し配慮が欲しかった」とのメールが入ったので早速に記事を消去した。
ブログの記事は自分に対しての影響があれば覚悟もあって対応出来るし我慢も出来るが、確かに他の人を巻き込む事は避けねばならないだろう。この記事によって少しでも不安を与えたとなれば、言い訳は兎も角不安を取り除く対応を直ぐにやるべきと思ったんだ。
幸せな兄弟を誇示した気持では無いつもりだったけれど、読み方によってはそうだよね、自慢していたよね。今後気をつけねばならない事だね。
それにしても自分の日常や、周囲の善良な人達だけを視野にいれての考え方が、誤っていると言うか配慮が足らないと思わざるを得ない今の世の中は本当に不幸だね。確かに赤の他人が自分の得手勝手な思いだけで無関係な人を傷つける事が起こっており、本当に怖いと思うし、その事を考えながら日常生活を送らねばならないのは何か嫌だね。本当に「たまらんぜ・やっとられんぜ」
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連続サラリーマン生活物語(その10ー2)

2015年  22日 09:30
当然本件の全ての交渉事には鷲尾支店長も参加同席して貰った。交渉の詳細は省くが結果としては担当者同士にどのような了解事項があろうと最終的にはこの取引の販売先、仕入先との売買契約書の有無が全てであった。
各社共、自社と関係する相手との個別話し合いとなったが、日商との交渉過程では当事者では無く渉外部長と弁護士が訪ねて来た。その部長は組合出身なのか、時にはテーブルを激しく叩いて大声を発する等威圧的な姿勢で、誠に商社とは思えぬ柄の悪さ、それに比べて住友商事の総務系の部長は流石大手と思わせる理に叶った静かな対応で、書類が完備された物件は全て決済する事を了解してくれた。寄せ集めの商社(我社も同様か)歴史ある商社との違いをこの時程強く感じた事は無かった。
当社にも契約書の入手に不備があり最終的にはかなりの金額を負担せざるを得なかったのが最終結論である。その間に起こった諸問題や交渉過程は全て省略するが、大坂への出張等かなりの頻度、日時を要したのは事実であり、次のエピソードは私の心に強く残った事柄である。
.未だ本件解決前に機材チームの大野リーダーと溶材チーム寺儀リーダーとの3人で飲んだ席での二人の話は「部長が本件の解決に向けて懸命に努力しているのは、やはり架空取引に部長も加担していたからだと他の部で噂している者が多い」との情けない話、担当部長として解決に向けて最大限の努力するのは当前の事ではないのか、これが当然で無い所が残念ながらこの会社が未だまともでは無いと言えるのだろう。現実に加担していたとしたら、自分の保身の為にもSA君が黙っているはずが無いだろう。
.佐藤君と二人で行った某社との交渉の帰りに、彼が急に「実はJO部長と部長職を争っていた時、自分が早く部長になりたくて、知人に依頼してJO部長が業者と癒着している等の誹謗文を支店長(当時は加野支店長)宛に送らせた」と白状。恐らく自分の失敗を解決する為に懸命に努力している私に申し訳ないと思い白状する気になったのだと思う。これが先に述べた部長昇進遅れの理由だった。
.同時に彼の話では鷲尾支店長から売上増の相談があった時、支店長には今回の取引の仕組みを暗に話したとの事だったが、今更支店長を問い詰めた所で立場上否定されればどうしようもない事だと糾弾はしなかった。
.大鋼出身者の伝統的なやり方なのか鷲尾支店長は総務部の岩本部長に命じて、日商の社長宛に日商名古屋支店の善意の一員と言う匿名を使い、社内で色々問題が起こっているが対応の仕方が社員として恥ずかしい云々と言うような告発文を作らせ送ったと聞いた。内容に悩んだ岩本部長が愚痴った話である。岩本部長が行きつけの店で変死したのは支店長との接点が多いこの様な気苦労も原因の一つだったかも。
.大阪に本件の交渉に行く電車の中で、支店長より暗に自分のグループに入れば悪いようにはしないとの誘いを受けたが、丁重にお断りした事もその後の私の評価に悪影響を及ぼしたのは事実である。(続く)

連続:サラリーマン生活物語(その10ー1)

2015年  21日 11:57
何故かその老人は小説を書こうと思い立った。過ごして来た年月の中のふと夢か現か判らない出来事をそうだ小説にしよう。タイトルは? 「老人と○」・・「老人と海」ってあったよな。イメージが少し違うな。そうだタイトルは兎も角ひとりの善良な男がある出来事を機に荒波に翻弄されながら力強く立ち向かって行く・・・そして最後は幸せな人生だったと振り返る、うんこれで行こう。主人公は「私」で行こう。これからの話は小説だからね

ある朝突然大洋鋼材の社長が喫茶店に来ているので会って欲しいと原料チームの佐藤リーダーから依頼があった。大洋鋼材は竹内商店も絡んだ中古材の仕入先である。「何で事務所に来ないんだ、何の話か知ってるのか」「私も判りません」の会話から始まった一連の不祥事。
社長から聞いた話を要約すると、当社と大洋鋼材(大坂)、大倉商事(名古屋)、日商(名古屋)、住友商事(大坂)が行っていた中古材の架空取引が行き詰ってしまい手の打ち様が無くなった為相談に来たとの事、寝耳に水の話に佐藤君に「君は架空取引と知っていたのか」「私も知りませんでした」 社長に言わせれば佐藤は当然知っており部長も了解済みの事と理解していたようだ。冗談じゃない。
取り敢えず内容の確認の為関係者に集まって貰い、色々と聴取した中で判明した事を纏めると下記の通りとなる。
.中古材の取引は4〜5年位前から当社も行っていたが、実際には竹内商店がGCと交渉して当社が窓口で契約するシステムであり流通の中にそのGCに強い別の商社が絡むことは多々あっていた。この流れは当然私にも判っていたが、要は実際の営業は全て竹内社長が行い(流通には絡まずマージン制)マージンは当社が支払う為、全ての取引は当社経由となっていた。
.今回の架空取引は1年程前から物件契約減少に伴い、景気が好転する迄の繋ぎとして中古材現物は大坂の倉庫に保管したままで伝票だけを売上として回して行こうと、関係した全員が承知していた。
.日商は部長、他社は副部長課長クラスで良く会議をしていたが、私が会議に参加する事は「中古材の事は判らないでしょう、任せて下さい」と佐藤君に言われ強硬に参加するまでになっていなかった。(言い訳になるが佐藤君は私が名古屋に赴任して来た以前から原料課の課長でありベテランでもあった為任せた所があったのは事実)
.結果的に中々景気好転せず、取引を継続している間に手に負えない金額になってしまったのが事実で、品物も無い全くの架空取引も同時進行していたようだ。
.当社内部の話としても支店全体の売上が不足すると、鷲尾支店長自らが佐藤君に直接売上が上がるものは無いのかと督促する事もあったようで、当社の依頼が基で取引量が増えた事もあったらしい。
.確かに余りにも売上が上がる時は佐藤君に幾度となく、こんなに中古材の需要はあるのかと確認はしていたが、疑う余地のない回答と支店長の了解を得ている点を暗に匂わせており、相手が住友商事とか日商でもあり変な取引とは全く考えなかったのも事実である。(担当女子事務員へこっそり確認した事もあったが、ベテランであったにも関わらず何故か(今は判明している)「良く判りません」との回答であった)
.佐藤君は最後迄知らなかったとの発言を続けていた、但し私の推測では当然知っていたと思う、しかし相手との交渉においては知らなかった事で通す方が有利と判断していた。私の落ち度として部長印(契約書に使用可)を常に机の上に置いていた事と部下を信用していた事もあって不在時押印する事に暗黙の了解を出していたのも事実である。(続く)