徒然日記  2.26事件

2017年  03日 11:36
2月26日は過ぎたけれど81年前の2.26事件を改めて振り返りたくなった。昭和11年、各隊の陸軍青年将校率いる1404名の軍人が分散して総理大臣官邸、警視庁、内務大臣官邸、陸軍省、参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を襲撃占拠し、高橋蔵相、斎藤内大臣、渡辺教育総監陸軍大将、松尾総理秘書官予備大佐、警察官4名、巡査1名が即死、鈴木侍従長海軍大将他警察官3名負傷、岡田総理大臣と牧野前内大臣は難を免れた事件であるが私も生まれる前の出来事であり、現在の若者は歴史教科書で知るのがせいぜいと思う。

当時の陸軍は皇道派(天皇による親政を希望)と統制派(合法的に政府に圧力をかけ自分達の臨む政治体制を作る)が争っていたが、今回の皇道派が起こした事件はスローガンが何であれ軍部内部の権力闘争の一環であったと思う。今の私にはどちらが是か非か判断しかねるが、蜂起した安藤大尉他の青年将校達は私利私欲は無く純粋に国を憂うる余りの行動であったのは頷ける。

彼らは昭和天皇に昭和維新を訴えたが大切な部下を殺された天皇は激怒し、彼らを反乱軍として武力鎮圧を命じ、皇道派のトップであり密かに支援していた真崎大将も天皇の命に従い投稿を呼びかけ、下士官兵は原隊に復帰し将校は投降、法廷闘争の末事件の首謀者達(尉官16名死刑、無期禁固6名、自決2名)背後関係者思想家北、西田は死刑となって終結した。

この後皇道派は衰退し一員であったマレーの虎で知られる山下奉文少将は中央に戻される事なく前線で過ごし終戦で死刑、勢力を伸ばした統制派から首相となった東条英機が泥沼の戦争へと引っ張って行ったのは周知の通りである。

戒厳司令部で電話盗聴された録音盤を田島大佐が保管していたのが見つかり、NHKが編集した記録をインターネットで見たり聞いたりする事が出来る。興味ある人はヤフーで2.26事件を開き、その中の「2.26事件の動画」を開いたら面白い。

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                                  栗原中尉
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岡田総理          高橋蔵相        斎藤内大臣        真崎大将
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山下奉文少将       安藤大尉          北一輝         田島大佐
平成27年10月24日、孫が通っている国立岐阜高等工業専門学校学園祭に妻と見学に行った。初めての訪問で岐阜の本巣にあり車で自宅から約50分かかる。運動場を駐車場に開放しており、学生が数人整理案内に当たっていた。
校内案内図も無くどこで何をしているかサッパリ判らなかったが、結構広い敷地にコンクリートの建物がずらり並んでいる。後で調べたら教室や専門科等の建物が7棟、体育館2棟、図書館、福利厚生施設、テクノセンター(実習工場)の夫々の棟があり、敷地内には定員298名の学生寮がある。

ぶらぶらしていたらテントが並んでいる中で簡単な食事が出来る所や、野外の舞台上では若者たちがハシャギ回っていたり、体育館に入ってみると演奏会が始まっている。学生中心の若者ばかり、この喧騒の中では我々年寄りは付いて行けない。

結局、別行動中の孫の母親に携帯で問い合わせ、別の体育館内に設置された展示コーナーに向かう。孫は「機械工学科」だが別に「電気情報工学科」「電子制御工学科」「環境都市工学科」「建築学科」のコーナーが設置されていた。

学校は5年制で孫は4年生(大学では1年)だが、5年は就活で忙しく4年生が背広姿で対応。孫は初めてのネクタイが結べず苦労したそうだ。そう言えば私も大学1年から背広を着ていたな。

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不安定地面歩行ロボット運転
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スターリングエンジン原理説明中の孫と聴衆役の母親と妹(さくらになるのかな) 
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からくり人形(小型)
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受付の孫(右) 最も良かった展示コーナーのアンケート用紙に、機械工学科に○を付けて4枚も提出した。
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孫は以前民間テレビでも紹介された「レゴ同好会」に入っており、別の展示教室に彼が作った鉄道模型が飾ってあった。
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平成27年10月3日、昨夜は色々な事があった。夜に限定したのは、昼は天気も良かったけれどいつもの平凡な生活だった。

17時名古屋駅新幹線壁画前待ち合わせで、武蔵野市からN商事時代の金平先輩が来られ、翌4日の法事の前に、後輩のO君と3人で飲む事になっていた。
金平先輩は86歳、足の血管のカテーテル手術をしたばかりだったが、元気に昔の事務所を見に栄辺りをウロウロして来たと言う。この歳で元気だと思うよ。

3人揃って駅地下の鮪料理専門店に入ったのが17時、早速に飲み始め私はビールと熱燗、二人は最初から冷や酒、頼んだ料理も殆ど手を付けずに飲んで話すだけ、店を出た21時迄の4時間に酒を1升以上飲んだと思うよ。3人共70歳以上、ちょっと飲過ぎじやぁないかい。

土産に戴いた花園万頭」のぬれ甘なっと、帰ったら西東京市から来ていた娘が包装紙を見て「あら東急吉祥寺支店ってすぐ近くよ」。
東京の地形は良く判らないけれど、西東京市と武蔵野市が隣同士だったとは知らなかったなぁ。

2015_1004金平さん土産0002 戴いたお土産

22時前に家に帰って間も無く、妻が目まいと激しい頭痛で動けなくなった。以前目まいと激しい吐き気で救急車を読んだ事があったが、今回激しい頭痛だと言う。ひょっとしてくも膜下症かと不安になったが、妻は救急車を嫌がった為、車で大雄会病院に急行。私は酒を飲んでいたので娘が運転してくれて、助かったなぁ。
CT検査までしか出来なかったが脳内出血は無い模様、目まいを抑える点滴を1時間程してもらい落ち着いたところで帰宅、午前一時。
結構お酒も飲んでいたし、くも膜下の心配も無いようなのであっと言う間に寝てしまった。年を取ると何が起こるか判らない、気をつけないといけないな。
指宿スカイラインの知覧ICに入る前にナビを鹿屋航空基地資料館にセット。今回は南九州道から東九州道と全て高速道路で行こうと考えているのに、ナビは高速を途中で降りて鴨池港からフェリーで大隅半島の垂水港に行くルートを提示、高速道路優先の別ルートで探してもやはり途中で高速を降りて鹿児島港から桜島フェリーを使って桜島港に渡るルートを指示、到着見込み時間14時5分。

どんなにしても高速道路だけで行くルートが出て来ない、そらそうだろうナビが選ぶのはエコルートで遠回りするルートは選ばないのだろう。降りろとの指示を無視して通り越せばいいんだ、ただ加治木で東九州道に入る道を間違えなければいいだろうと走りだしたが無駄な時間を費やしてしまったなぁ。

東自動車道の終点が最近伸びていて、降りるのはいいが乗る時にナビは間違えるかもとレンタカーの事務員に言われていたので、降りた所にあった寿司虎の看板とヒマラヤを記憶する。

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14時10分着きましたねぇ、この道は鹿屋航空基地の敷地内なので入って良いのかなと迷ったけれど、写真の左側の広場には自衛隊の中古飛行機やヘリコプターが10数機展示してあったのでその近くに駐車した。
2015_0917鹿児島旅行0071 対潜哨戒機おおわし
2015_0917鹿児島旅行0108 救難飛行艇おおとり。

この写真はほんの一部だが、広い敷地を見渡すと道を隔てた向かいの広場に一機だけ旧海軍の二式大型飛行艇が鎮座している。これだこれだ、これを見るのが第一の目的だったんだと、海上自衛隊鹿屋航空基地の正門前を横切って、見ましたねぇ機体の周りを360度ぐるりと一周して写真を数枚、一番格好良いのを掲載した。
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この二式大型飛行艇12型H8K2は昭和15年初飛行、当時世界一の高性能を持った飛行艇だったそうだ。戦後米軍が本国に持って帰って徹底的に性能を調べたらしいよ。
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外の展示飛行機を見るばかりで未だ資料館には入っていない、少し雨が降ってきたので丁度良かった。資料館の受付はキビキビした女性二人、恐らく自衛官ではないだろうか、最初の説明で、2階の零戦だけは撮して良いが後の写真は遠慮して欲しいとの事、2階が旧日本軍特攻関係、1階が自衛隊関係の展示との説明があった。

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零戦の操縦席は見学者用の昇降階段から見る事が出来る。機体は海中から引き上げた後、本体は三菱重工業、計器類は東京航空計器、7.7m/m機銃は日本製鋼所の夫々が復元作業に携わり写真のように綺麗に仕上げたものである。
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昨日オカリナの3グループの合同クリスマス会があった。本来この記事を書くべきだが、もうすぐ平成28年度に入るので、原稿だけ書いて載せるのはそのタイミングにしようと思う。早く私の生涯日誌を終わらせて、日記式の毎日を載せられる様にLet Go!

ホタル館富屋食堂の近くの駐車場に車を置いて徒歩で富屋食堂へ。
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食堂の前の表通りは広いコンクリート道路、駐車場からこの道路に掛かったコンクリートの橋を通って50m位の所に食堂は在る。写真の手前は脇道ながらかなり広い道で、近くには裁判所や検察庁のコンクリート製建物も在り、ホタル館と言う勝手にイメージした周囲の鄙びた面影は無い。

建物は老朽化した為、柱一本の寸法に至るまで昔のままに復元したと聞いているが、確かに建物にはそれなりの雰囲気はあるものの、周囲の景色から何か特攻隊員が集まった時代的背景が感じられず浮き上がった観光建造物と私には感じられた。結局食堂の中には入らなかった、入場料400円が惜しい訳では無く、これ以上はもういいやと思う自分がいたんだ。

2015_0917鹿児島旅行0060 通りに入って直ぐ。
富屋食堂から70m位戻った検察庁の裏の通りが知覧武家屋敷群だ。表通りからこの通りに曲がった途端に雰囲気が変わる。ここは昔の武家屋敷で今も子孫が居住している所もあるようで、アスファルト道路は勿論昔は土の道路であったと思う。
左右の石垣は整然と積まれており垣根の手入れも周囲とのバランスを合わせ、長い年月の間にこれを保つにはそれなりの努力が必要であったと思われる。

2015_0917鹿児島旅行0063 通りの終わりに近い所、造りは略同じ。
この地域は国の重要伝統的建造物群保存地域」に選定されているが、100m強の道路の左右に10数軒の屋敷がある。各屋敷の庭が有名で枯山水が多いと聞いていたが、通しの入場券が必要で門の中にあるのかと思ったらどこにも無く、帰りに調べたらこの通りに入る前の道路の反対側で売っていた、意外に商売気が無いな。

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結局、孫も余り興味の無い事もあって表を歩いただけとなった。各屋敷の門の正面はどの家も全て石積の壁があり中が見えないようになっている。武家屋敷も城と同じ考えで真っ直ぐに攻められねいような造りとなっているのだろう。

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門の奥に見える藁屋根がこれだ、説明は下の写真書いてある知覧独特の造りだ。
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今日の記事は歴史の紹介記事になったが、遠い所だから行く機会も少なく勉強になったのではないかな。さてこれから指宿スカイラインの知覧ICから高速道路で鹿屋航空基地資料館に向かう、現在11時45分だ。
指宿フェニックスホテルに着いたら掲示板に団体の名前が書いてあり「春日市立春日中学校」とある。あれ!福岡県の とフロントで聞いたら「そうです修学旅行には毎年来てくれます」との事、41年前この春日市に新居を建て、名古屋に転勤になる6年間住んでいた所でもあるし、春日中学は私の息子と娘が通った学校だ、懐かしいし先生とでも会ったらお話をと思ったが結局会えなかった。

ホテルではまず砂むし温泉に入る。サウナには良く入っていたので大した事はあるまいとタカをくくっていたが、結構蒸されるねぇ。10分が目安と書いてあったが確かに汗だくになった。
夜の海老黒豚会席(10品)はまずまず、風呂上りにビールと2合の焼酎で酔いましたねぇ疲れていたんです。

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2日目(16日)
孫が寝ている間にパターゴルフ場からホテルの全貌を撮り、フロアの土産物売り場の女性にオリビンが浜辺で採れなかった話をした処、ホテルの支配人を呼んで来てくれて彼の紹介で、最終的には観光案内のボランティア活動している今村氏から彼が持っていたオリビンが混ざっている砂を貰ったんだ。

所が何て事は無い!この砂が昨日浜で見た黒い砂と一緒なんだ。今村さんに言われたね「大きな石を考えていたでしょう、今は砂粒と一緒位です、中に混ざったオリビンを取り出す為に、黒い砂の様に見える鉄鉱石の磁気を利用して磁石で鉄鉱石を取り除き、残った中からオリビンを選別するのです」との説明。

家に帰ってこの方法で選別したのが下の写真、右側がオリビン、後は目視で更に選別の要あり。暇な時にやろうかね、だけどこんな事なら袋いっぱい持って帰って、のんびり老後の楽しみにすれば良かった・・・待てよ搭乗前の手荷物検査で磁気が反応し、黒色火薬と間違われる可能性もあったかもね。

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2015_0918鹿児島0004 オリビンは飴色だ
真ん中の貝は「目八葵貝」と言い大きさの同じ貝を二枚合わせるとハート形になるのと、反対から見ると二羽のオウムが向かい合って愛を語っているように見える縁起の良い貝で、I/G氏が目を入れたんだそうだ。これも頂きました!

さて今日は目標の知覧だ。8時半出発、雨は降らないし一般道のドライブも渋滞は無く快適。知覧特攻平和会館入口の横の木立の中に、特攻隊員が居住していた、目立たぬ様に屋根だけが地表にある三角兵舎があった。飛び立つ前にはどんな夢を見ていたのだろうか、手を合わせたい厳粛な気持ちになった。
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平和会館の入口を入って直ぐ右に、表からガラス越しに見えていた零戦の無残な姿、海中から引き上げたものだとの事で翼から後ろは消滅している。胴体も翼も傷みが激しいがプロペラだけは無傷だ、重要な所だけにそれなりの金属を使用しているのだろう。撮影禁止を無断で撮ったので慌てていて全体が上手く写っていない。
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室内に入ると壁一面に貼られた特攻隊員の写真が目に飛び込んで来る、夥しい数の写真だ。右側から写真を見ながら手前のケースに展示してある遺書を眺める、眺めると言うのは申し訳無いが一枚一枚読んで行くには余りにも数が多く、時間に追われては到底ゆっくりと読む事は出来ない。

ただ言えるのは皆素晴らしい文字だ、恐らく二十歳から三十歳位だろうが、このような文章と文字が書けるのはそれなりの教育を受けていた人達だと頭が下がる。

写真の下には名前と階級が書いてあるが少尉、中尉、大尉ばかりで下士官の階級が一人も居ない、恐らく亡くなられてから階級を特進させたのであろう。この方々が生きていたとしても年齢は90歳以上、ご両親はもう全ての方は亡くなられ、兄弟親族と言えどもここを訪ねる人はもう居ないのではないだろうか。

写真で眼鏡を掛けている人は一人も居ない程の健康な体は、皆無駄死にだったのだろうか。昨日安全保障関連法案が成立した。

私は今、良いとも悪いとも言わないがここに飾られている人達の様に、その時点では正当であるかの信念で結局は無駄死になる様な事だけは何としても阻止しなければならないのではないだろうか。帽子を被ったままで見ていた自分は、形では無くて心の中で色々な事にお詫びしていたんだ。
2015_0917鹿児島旅行0053 疾風(キー84甲)の隠撮り

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先月迄ここに展示していた飛燕は今日のテレビニュースにもあった通り、日本に唯一残っている機体であり制作した川崎重工が現在持ち帰り補修中、修理完了後は各務原で展示する予定との事。

降旗監督が制作したドラマ「ホタル」(高倉健、田中裕子)の記念碑もあった。これから舞台でもあった富屋旅館から知覧武家屋敷を回って鹿屋に向かい走る事とした。






9月15日から17日迄の2泊3日の孫との鹿児島旅行を終え昨日無事帰宅した。まず最初に述べたいのはこの3日間一度も傘をささなかった事だ、晴れ男の私が孫の為に大自然の流れを打ち破ったとも言える。
3日間で撮した写真は146枚、孫に聞いたら206枚、負けたなぁ。この146枚の中で人物が入っているのは6枚だけ、孫は写真を撮られるのが嫌いで後ろ姿を入れたのが3枚、私を撮して貰ったのが3枚、妻に土産話をするにも寂しい限りだ。
今回は孫との気楽な旅だし雨の心配もあってラフな服装、手荷物を無くしてリュック一個。

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表情は固いし田舎のオッサンだね。リュックが見えないけど結構膨らんでいて重いんだ。晴れ男も自信が無くて、雨具や着替えを結構詰め込んでいたんだ。
空港迄は計画通り順調、ネットで予約した券で搭乗券手続きを済ませ、孫に引っ張られて屋上の送迎デッキへ行くと今日乗る予定のDHC8-Q400が丁度到着した所、プロペラ機なんて50年位前に五島列島に石鯛を釣りに行った時以来だ。だけどプロペラって6枚もあったかなぁ、少ないより多い方が安心だろう。

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12時半には鹿児島空港に降り立って、予約済の日産レンタカーの迎えの車に乗り込み事務所で手続き、軽自動車のモコに乗って鹿児島中央駅に直行だ。電車好きの孫の為にJR観光列車「指宿のタマテ箱5号」を予約していたので、高速をぶっ飛ばして無事到着。

ほっとする間も無く私は車で、指宿枕崎線海岸道路を待ち合わせの指宿駅へとひた走る。列車は午後3時に着く予定なので途中のファミリーマートで買ったサンドイッチを食べながらの運転、お陰様で雨は降って無かったが、折角見えるはずの対岸の桜島は雲に覆われて全く見えない。

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指宿駅に着いたのが3時15分、鄙びた田舎の駅で龍宮伝説に因んだ竜宮城の模型が尚一層侘しげに見える。孫はもう待っていた、観光列車は面白かったと、聞いたら答えただけで感動を余り表さないが、いつもこの調子なので満足していると思うよ。

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そのまま直ぐにJR日本最南端の駅「西大山駅」(北緯31度11分)に行って記念写真、後方に見えるのが薩摩富士と呼ばれる開聞岳、日本本土の最南端に来たなとの感慨あり。この近くに川尻海岸(通称オリビンビーチ)があり8月の誕生石である飴色のオリビンが、砂を掬ったら幾らでも採れるとテレビの観光案内で聞いていた。

某保養施設の前からすぐに海岸に降りられたが、真っ黒な砂浜(昔開聞岳が噴火して大量の溶岩、岩石が海岸を覆い、長い年月で波が岩を砕き黒い砂となった)、その中に含まれていた橄欖石系のオリビン(宝石名:ベリドット)が砂に混ざっていると言う。大粒のものは殆ど拾われてしまったようだが小粒のものは未だ大量にあるとの話・・・・。

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所が全く無いんだ、手のひらに掬って指で探したけれど何にも無い、ただ黒い砂があるだけ。何だ何だ、インチキな話だ、そう言えばこの広い海岸には私達二人の他には誰一人居ない。石言葉が「幸福」「友情」「夫婦の愛」とくれば何とか一粒でもと思ったのが大間違い・・・

最南端の長崎鼻は駐車場からかなり歩かねばならないのでやーめた。今日の宿泊先指宿フェニックスホテルへ向かったんだ。
オリビンに関する参考になる話は次回のお楽しみ。





9月8日、岐阜の「ふれあい福寿会館」2階のロビーでオカリナアンサンブルの">「Gioire」(ジョイーレ)のライブが行われ一人で聞きに行った。

この「ふれあい福寿会館」は初めてで何も知らなかったが、中々立派な建物なので帰宅後に調べたら、岐阜県の公共施設であり県民のふれあいと交流を図り文化の発展に寄与する目的で平成23年に建てられたもの、福寿会館は愛称で正式名は「岐阜県県民ふれあい会館」と言う。

第一棟、第二棟には会議室や研修施設、行政窓口や展望レストラン等があり、今回のオカリナライブはホール棟の中のサラマンカホール(収容708人の本格的中規模音楽ホール)の前にあるロビーで開かれた。
50脚位の椅子は満席、少し早目に着いたらオカリナの直子先生と先生のお友達とも一緒になり一番前の特等席に座ったんだ。

ジョイーレは世界的オカリナ奏者大沢聡の直弟子9人の女性で構成され、私の先生も大沢先生の弟子だから彼女達とは兄弟弟子になるのかな。

演奏は「AIDA、 Under The Sea、 ジブリ・メドレー、 ふるさとの四季、 Espana Cani」と5曲の様に見えるがジブリ・メドレー、ふるさとの四季は中は4曲づつの構成で結構満足出来たね、しかも何故か無料だったんだ。メンバーには綺麗な人もそれなりの人も居たけど、皆さん揃いの紺色のドレス、美しくスマートに見えたしやはり衣装ってのは本当に大切だね。

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H27年9月4日の朝10時頃かなり強い雨が降ったが午後はカラット良い天気になった。やはり私は晴れ男だな。
午後から木曽川町の介護老人福祉施設「サンリバー」でボランティアのオカリナ演奏を行った。今回のメンバーも先生の愛弟子「ドレミの散歩」がフル4人「シルバー富士」は盛り上げ役の1人「オカリナひろば」は私を入れて5人だ。

ボランティア演奏の第一回は一宮の「ほほえみ」だったが、二回目だから馴れたかと言われたらそうでもなかったなぁ。今回も先生の竹製オカリナでの「アメイジング・グレイス」でほっと一息。

お客さんは男女合わせて25名位か、最初はお年寄りだけに少し表情も硬かったけれど、今回も仰せつかった司会の挨拶で「司会役の綾小路きみまろです」と言ったら皆さんの顔がほころんだので少し落ち着いたかな。

浜千鳥、どんぐりころころ、夕焼け小焼け、里の秋、旅愁と童謡、唱歌を続ける内に、オカリナに合わせてかなり広い範囲の客席から歌声が聞こえてきたんだ、今回は女性の声も多いし、いいねぇ。
続いて懐かしい流行歌分野、高原列車は行く、瀬戸の花嫁、北国の春、埴生の宿、野に咲く花のように、りんごの唄と、どの歌も皆さん大きな声で歌ってくれてねぇ嬉しかったな、もっと長く続けても良かったなと思ったね。

最後は私達メンバーも一緒に直子先生の伴奏で故郷」の合唱、これがとても良かったたんだろう、アンコールのリクエストも「故郷」の希望が多くて結局二度歌ったんだ。この様な歌がお年寄りにとっては命を支える歌かもしれないね。

「また来てね」との嬉しい声を背に受け、「司会はとてもよかった」「そうね前より慣れた感じだったね」とのメンバーのお褒めの言葉、持ち上げるの上手なんだよなぁ、だけどボランティアってのはやっぱりいい気持ちにさせるものなんだねぇ。

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こんな歓迎の立札を作ってくれてた、感激したなぁ。

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会場に整列、いちみんのTシャツがトレードマークになったけれど黒い色は目立たないようで目立つんだよ、一人だしね。

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今度も頑張ってリードしてくれた直子先生に焦点、案外若く見えるねぇ。

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誰だ!折角のサンリバーの看板の前に立って見えなくした奴はぁ。だけど黒を着こなす人はおしゃれだねぇ。
2015年8月7日 ホテル名古屋ガーデンパレスで名古屋泡盛愛好会が開催された。150名位の愛好者が集まり沖縄県酒造組合玉那覇美佐子会長の乾杯の音頭で会が始まった。

18のブースに21の酒造所が48銘柄の泡盛を展示、客の希望に応じて自慢の泡盛のロックや水割りを作ってくれる。又古酒、秘蔵酒のブースもあって3枚のチケットを自由に使ってストレートを味わう事も出来る。

料理は沖縄のソーキソバから郷土料理と、同行したクラブSの綺麗どころお二人さん(写真も撮ったのでブログに載せたいのは山々なれど結婚の申込が殺到しそうなのでヤーメタ)が代わる代わるに運んでくれるので何もする必要なく、自分の好きな泡盛をただ飲むだけ、私は「まさひろ酒造」の30度の泡盛島唄が飲み易すかったな。

と言っても全部の銘柄を飲める程酒豪でも無く、何となく立ち寄ったブースが3ヶ所、そこで飲んだロックの中ではと言う事になる。途中アトラクションで沖縄の踊りが披露され暑い名古屋の夜は沖縄一色となった。

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2015_0807泡盛の会0006 左右が太鼓の3人だからね
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帰りに沖縄特設コーナー物産ショップで沖縄県特産品のかりゆしウエアを一緒に参加したH社長からお土産に貰った。笹蟹の花びらが咲き乱れる様をボーダー柄でシンプルに表現された沖縄独特のウエア、格好いいね。 ただサイズがLLしか無かったんだ。

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