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私の生涯日誌 その44

2019年  22日 08:35
2016.2.08の記事を転載


 竹田さん宅に同居していた長女夫婦が、別居して家を出た事で下の部屋が空いたので、同期の田原君を紹介し下宿させて貰った。彼は顔に似合わず音楽好きで、ある時スチールギターを買って来た。ヒュ~ンヒュ~ンと変な音を出していたが、折角だからバンドでも結成しようかと私が電気ギター勿論アンプ付きだよ、大森君がウクレレと何となく様になってはきたが、3人とも楽器には全くの素人。

 コードを一所懸命覚えてまず演奏したのはハワイアン。ヒュ~ンヒュ~ンジャカジャカポコポコ~ン、恐らく人が聞いたら逃げ出したくなるようなリズムながら本人達は真剣だったね。だけど結局いつ迄続いたか余り記憶も無いし、私のギターは質屋の蔵の中にいつの間にか入ってしまってたな。

 質屋と言えば確かに良く通っていた。あれだけ早苗からの収入もあったのに、足らなくなるとラジオとか時計を持って質屋の暖簾をくぐるんだ。学生は信用あったからね、気持ちよく貸してくれるのが有難いけれど、それがいけなかったなぁ。父が2度程下宿を訪ねて来た時には部屋に何も無いもんで、質屋さんに案内したのは良く覚えているよ。

 そうそう私は自動車部に在籍していてね。部にはポンコツの外車ボルボが一台、ガタガタ大きな音を立てながらも走るのは走ったし、ちゃんと車検も通っていたから一度は部員4人全員で下関迄行った事があった。免許を持っていたのは2人、勿論私は持っていなかったね。

 当時弘介兄貴にも悪いことをして、車の免許を取るから教習所に入るお金を出して欲しいと騙した事があったな。確かM銀行小倉支店からの派遣でM社の工場内に勤務していた時だったと思う。わざわざ黒崎の工場迄訪ねて行ったんだ。そのお金も免許取得費用にはならず、家に帰った時に車の話から「お前は免許持ってるよな」と兄に言われ慌てた事があった。一つ追記すると、兄と工場に補助で一緒に行っていた銀行の女子事務員さんが、その後兄のお嫁さんになったんだ。

 この時のこのような交渉技術が、後後になっての私の営業折衝技術の礎となって、手腕を発揮出来るようになったのだと感謝している。変な言い訳だね、だが今更ながら兄貴さんご勘弁を。

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大森君 田原君 有田君 私の雀荘で
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文理学部方面から今は移転した経済学部校舎と旧ザビエル教会

                    

〇 安倍首相がトランプ大統領のノーベル平和賞推薦を「日本を代表して敬意を込めて・・・」と言って実行したと言う。ノーベル賞委員会は、推薦者も被推薦者も50年間公表しない事になっているから、安倍さんも国民に知られはしまいと安心してたのだろうが、トランプが公表してしまったのは大誤算だっただろう。

 安倍さんとしては、最近全てに後れをとっている不安感もあり、外交上の損得勘定からトランプの機嫌を取る目的だったのだろうが、多くの日本人がトランプの人権意識の欠如や排外主義の政治姿勢に批判的である中で、何が平和賞じゃい。日本を代表しての言葉は取り消せよ、お前一人なのに全国民と思われるのは恥だぜ。

 それにしても又、二階派の田畑議員が女性問題で自民党を離党した。二階派には勉強不足の大臣とか、つまらぬ議員が多く、掃き溜めの感がある、数さえ増やせばの方針で、敵対していた野党からの細野議員まで入党させたり、二階氏の信念が全く判らない。

 安倍さんも、頭の上がらぬ麻生副総理や二階幹事長を自由気ままにさせている様だし、それでなくても人気下降の中、総理を続けていられるのも他に人材が居ないからだと思えるし、国会での答弁に野次ばかり気にしている姿勢が、全てを物語っていると思うよ。

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新聞の一コマ漫画拝借。      ベランダに咲いた梅一輪、一輪ほどの暖かさ

〇 お口直しに17日に稲沢市国府宮で行われた国府宮はだか祭」の写真を数枚。世の災厄を一身に背負う神男(しんおとこ:三日三晩身を清め、全身の毛を剃り落して素裸)を中心に、神男に触れて厄を託そうとする9000人の下帯姿の裸男が渦巻く奇祭だ。

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私の生涯日誌 その43

2019年  18日 08:50
2016.2.05の記事を転載

実は私の次兄からブログの記事にコメントでこんな意見を貰った。「ブログには面白くする為に、遊んでばかりいる様に書いているのか、だけどそれが事実だったとしたら折角良い先生が居ただろうにもったいなかったね」

九大トップ卒業の努力家の兄貴らしいご意見、ごもっとも。遊んでばかり居たのじゃないけれど、確かに記事を見る限り勉強している姿が思い浮かばないね。少しは書いた方が良いかなと思うけど、今日何々の勉強をして、これこれの知識を得たと書いても面白く無いしさ。あっと驚くような経済学説を述べられるような頭脳も無いし困ってしまった。

本当に兄貴は真面目で努力家なんだ、歌も余程の事が無い限り歌わないし、自分でも「人との会話も下手だし営業なんか苦手だ、銀行なんか入らずに学者になっていた方が良かったと今でも思っている」と言う位の人だから、私の記事を読んで「折角の大学に入ったのに勿体無い」と真剣に思ってくれているんだ。兄弟なればこそだなぁ。

前にも話したかと思うが長兄ひらめきが鋭く、会話も上手く文章を纏めるのも上手だ。従って囲碁の世界で、ただ定石を覚えるだけでは無く、それをいかに臨機応変に活用するかのひらめきが、強さに結びついているのだと私は思っている。
次兄は真面目にコツコツと努力するタイプだから、恐らく囲碁の定石とかプロ棋士の打ち回しとかしっかりと覚えていると思うが、この二人の囲碁の勝負はいつまで経っても長兄の3勝1敗のペースになってる。

私はこの二人の中間だねと両親に良く言われていた。本当は中間と言うのはどちらの良い方も持ち備えて最高と思いがちだが、現実的には全てが中途半端なんだ。ひらめきも営業センスも努力も全てが中途半端なので逆に大成出来ないんだな。八方美人と言う言葉があるが、その通り何でもそこそこには出来るが、どれ一つとして100%になる前に挫折するんだ。

お互いこの年だから怒りもしないだろが、長兄の人生の失敗は自分の能力を最大限に発揮できる職業即ち大きな商社とか販売会社とかに入る為の努力を、最初にしなかった事だと思うし、次兄は確かに自分でも言ってる様に、学者とか研究機関に進んでいればそれなりの業績や名を残せたのじゃないだろうか。

では私はどうか、何しろ中途半端だからこれ以上は何をしてもダメだったんじゃないの。兄貴二人のようにこうしておればと言う事さえ思いつかないんだ、だから大学時代も中途半端だったんだ・・・とこれが言いたくて話が長くなっちまった。

私の生涯日誌 その42

2019年  16日 09:30
2016.02.04より転載

 隣に下宿していた岩城講師が家を出て、私がその後に移り、元いた部屋に同期で寮生活をしていた玉名出身の大森君を呼び入れた。彼は体型通りのもっそり型で地味なタイプ、女性には余り縁が無いだろうと思っていた。

 彼が一見真面目な生活を送るもんで、竹田の奥さんが中本の奥さんに「大森さんは本当に真面目なのに、城○さんときたら何しているのか、いつ帰ってくるのか判らない」と愚痴るんだそうだ。

 ある日私が夜少し早く帰ったので、いつもの様に大森の部屋の入口を開けようとしたが鍵が掛かっている。私の部屋との境の襖も開かない、声をかけても返事が無い。あれっと思ったけどじっとしていたら大森の部屋の入口がそろっと開く音がして小さな足音が階段向こうの部屋に消えたんだ。

 こりゃぁ事件だと思ったね、こちらは未だ寝てなかったので早速大森の部屋の戸を開けたら、今度はスッと開いて真っ暗の中に布団が敷いてあり奴が寝てる。「おい飲みに行くぜ」と連れ出して丸福へ。

 「お前やったんか」「うん」「妹の方か」「うん」・・・先輩の恋人か許嫁か居ると聞いていたけど若いんだから仕方ないか。それにしても先住の私を差し置いてけしからん奴だと思ったけれど、相手の娘だって私に早苗がいるのは重々承知していただろうから、見映えが悪くてもこれで良いと思ったのかな、それとも蓼食う虫も好き好きって諺もあるしね。

 念の為に言っておくが、例え私の方にちょっかいがあっても、私は一切動じず駄目じゃないかと諭しただろうね。据え膳食わねば何とやらって言うのはゲスの言う事だよ、本当だよ。

 私もつい中本の奥さんにはこの事を喋っちまってね、奥さんは喜んだわさ、「ほれみなさい、何が大森さんが真面目かね、娘を傷モノにされて」とか何とか喜々として喋ってたけれど、後で竹田さんに話したかどうかは不明、ただ何となく竹田の奥さんの態度が大人しいと言うか愛想が良いと言うか少し気持ち悪かったね。

 大森にもお咎め無しのようで、娘のお尻が軽いのを知っていたのだろうね。大森の名前を仮名にしなかったのは今は誰とも音信不通の様だし、知ってる人間は彼と判るだろうけどね。今日の話はこれだけでおしまい、後の事などオラ知らねぇ。 

 だけどこんな話をバラスなんか、後々の話ながらも、大森君との関係が余り良く無かったのが判っちゃうな。

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竹田家門前 有田君 大森君 私 田原君中本安子さん勤務先の女性と三田尻迄サイクリング
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早苗と安子さんと長門峡へ学友と雪舟の庭で(心字池)


 
             
 
                       
〇 SNSへの無法投稿の馬鹿な奴らの記事を載せたのだから、次は当然あおり運転」だよな。一度毒舌を吐いた事があったが、全く改まるどころかエスカレートしている現状だ。これはあおり運転をする馬鹿者共の意識改革をする事などは、到底難しいと言う事なんだな。。馬鹿なんだから何が正しいのかも判らない連中に、いくらモノ申しても言う方が疲れるだけなんだよな。

 これは法改正しかない、改正を政府に強引にみとめさせる以外にないと思うよ。有難い事に最近は車載カメラが普及してきた。しっかりと証拠写真も残る。これを専門家が判断して罰則としては即免許取消しに100万円の罰金、これはあくまであおり運転のみの罰則であり状況により刑事罰は当然である。これに関する裁判は必要無く即決とする。

 同時にあおり運転の原因ともなる強引で危険な割り込み行為にも、証拠さえ明確であれば6ヶ月の短縮なしの免停と20万円位の罰則も必要だろう。

 今の状況、善良なドライバーは安心なドライブが出来なくなっているんだ。馬鹿があおり運転をする根拠が判らない事も多く、馬鹿が考える事を正常な人間が解るはずはないし、そうだからこそ余計に怖いんだよ。

 かれらの運転する車は凶器なんだ、凶器を振りかざしたキチガイに追いかけられる程怖いものは無い。相手は狂人だよ、捕まる訳にいかない、この恐怖等を換算すると100万円の単位は低すぎるかも知れない。が最初はこれでやってみようや、罰金が払えない奴は刑務所に入れて強制労働で払わせれば良い。何にしろ日本の法律は甘過ぎるんだよ。

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〇 中日ドラゴンズの松坂大輔がフアンのハイタッチによって肩を壊したそうだ。一流選手と自負するんだったらそれ位の事で肩を壊すなんて自分で恥ずかしいと思わないのかい。それとも何かい、自分の調整不足をフアンの所為にして、逃げようとしているのかい。

 元々アメリカ大リーグからお払い箱になった男が、日本球界で簡単に再起出来る訳が無いんだよ。日本の野球を甘く見るなよ。去年の成績なんか球団・監督が大事に上手に使ってくれたから何とかなっただけだよ。球団は今も過去の人気を追い続けるフアンがいるから、宣伝道具としての利用価値があると思っているだけなんだ、勘違いするなよ松坂君。

米大リーグで何とか芽を出そうと必要以上に肩を使った無理が出ているだけなんだよ。日本での過去の栄光を大切にしたいなら姑息なことをせずに今の内に引退したらどうなんだい。

 競泳女子のエース高校生の池江選手、白血病にかかった事を自ら公表し、完治するよう治療に専念し、元気な姿で戻ってきますとの頼もしい発言があった。松坂君これを聞いてどう思うかね、彼女の病は自分ではどうしようもなかった不慮の病、君のは自分の体力の衰えでありそれを隠そうとする責任転嫁に過ぎないじゃないか。悔しかったら今シーズン納得させるような成績を上げてみろよ、不調の原因を大切なフアンに押し付けなくてさ。

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徒然日誌 SNSへの投稿動画

2019年  12日 05:30
〇 最近セブンイレブン・ジャパン、くら寿司、ファミリーマート、バーミヤン、すき家、ビッグエコー等で食材を不衛生に取り扱うアルバイト店員の動画がSNS(会員制交流サイト)に流れ物議を醸している。これはこれらの店員がSNSに流し注目をひく為に敢えて不適切な行為を行っているのであり、特定の店に対する嫌がらせでは無いが、店にとっては真に迷惑な話である。

 単なる迷惑で済めば良いが、そのように取り扱われた食材は全て廃棄せざるを得ず、おでんのように容器内の全てを廃棄すれば、営業にも差しさわり風評も含めて莫大な損失である。当然そうした行為をした者は解雇されているが、それだけで良いのだろうか。

 これは警察の問題として逮捕する法的手段を取るとか、本人及び親許に対する損害賠償を1000万円位請求するとか、飲食店組合とかに写真や氏名履歴を流し二度と職に就けない様にするとか、大々的に新聞等でその結果を公開しないと、このような連中は後を絶たないのだ。

 SNSで同レベルの連中に話題にされ喜んでいるだけの、程度の低い連中だから、厳しい結果を公表しなければ、事の善悪も判らない様な連中が多くなっているんだよ。たかがこの様な事位と思う親心が、この連中を甘やかせてもっと過激な行動を起こす可能性もあるんだ。

 人手不足で売り手市場、どこでも仕事は出来ると解雇等何とも思わず、つまらぬ行為に現を抜かすアホ達を野放しにする事を許していてはいけないと思うよ。

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 ちぎり絵

私の生涯日誌 その41

2019年  10日 15:55
2016.02.03より転載

 私の友人達は昼間私を探す時は最初からパチンコ屋に来る。駐輪場で特徴のある私の自転車を見つけて中に入って来る。授業の事で来た事は無く、麻雀の誘いだったな。麻雀は私の部屋が雀荘になりほんの小さな掛金勝負だったが、ここで鍛えた事は会社に入ってからも大いに役にたった。

 パチンコに疲れると隣の映画館に入る。大川橋蔵の時代劇や小林旭の渡り鳥シリーズ、私のブログの表紙にもなっている宍戸錠は悪役ながら憎めなかったね、芸術作品を観る事は無く勧善懲悪の単純な映画ばかり観ていた。。

 映画館を出ると近くにおでんの美味い店があって、そこで一杯飲みながら腹拵えをやる事もあったが、中本さんに悪いので出来る限りは家で食事をして飲みに出るケースが多かった。

 S34年は皇太子(現天皇)の成婚式があり、長嶋の天覧試合のサヨナラホームランがあり伊勢湾台風での大きな被害が報じられ児島明子が二人目のミス・ユニバースになった年だ。丸福にもカラオケがあって三橋美智也の夕焼けとんびや古城、ママの娘の道子ちゃん(ちゃんと言っても5歳位上だった)との東京ナイトクラブのデュエット、最も良く歌ったのが何故か守屋浩の僕は泣いちっち」だったな。

そうそうこの店は母と娘の経営でね。二人共結構お喋りな明るい性格で、飲みすぎた時は奥の自宅の炬燵の中で3人ごろ寝した事もあったな。

こんな調子だから下宿の竹田の奥さんには評判が悪くてね。中本の奥さんに私の悪口を言うんだ、中本の奥さんはそんな竹田さんを嫌っていたな、私の味方だからね。そんな竹田の奥さんをギャフンと言わせる出来事があったが又の機会に。

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藤本君の姉上と秋芳洞へ。            秋吉台展望台
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ザビエル教会下                 毛利家菩提寺香山園
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山口女子短大学園祭へ          左の娘が好みながら事件無し
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右端が丸福の娘品川道子さん     良く遊んだけど誰だったか? 丸福の客か。

私の生涯日誌 その40

2019年  08日 09:40
2016.2.02より転載

 学生生活にも慣れ、少しづつ学校をサボり始め、行く所はパチンコ屋映画館。学校で知り合った友人は数人、寮に入っている連中に比べ交友関係は狭い。同時に友人となった連中との出会いは、今考えてもどこでどんな機会に出会ったのか良く覚えていない。

 何故か文理学部の藤本孝君(H14年逝去)と親しくなったのも、学部が違うだけに良く判らないが、熊本八代の出身で一度彼の実家を訪ねた事がある。泊まったのは湯の児温泉、八代城址に行ったり千丁と言う駅で降りて見た視界一杯に広がる菜の花畑の黄色い絨毯の記憶は鮮明だ。帰りには人吉で川下りをして良い思い出となった。

 1年の時には弘介兄と長崎にも旅行している。未だ学生服を着ているから背広を持っているのを内緒にしていたのかもしれない。長崎には母の関係の従兄妹がいてその時は色々と案内をしてもらったが、今は既に亡くなった人ばかりで音信も不通になっている。

 考えて見れば余程家族ぐるみで付き合いを続けていない限り、世代が変わると疎遠になり、いつかは途絶えてしまうものだ。兄弟でも孫の時代になると会った事もない親戚が増えるだけで、いつの間にかお互い忘れ合ってしまうのではないかな。

 いつの間にか早苗の話題が無くなってしまったが新しい恋人が出来た訳じゃないよ。彼女は2ヶ月に一度は必ず山口に訪ねて来る。朝一番に来て家に帰れるギリギリの電車で帰る、いつも日帰りだったね。だから山口で一度も飲んだ事も無く当然「丸福」に行った事も無い。山口線で小郡迄行き山陽本線に乗り換える、当時は新幹線は無いし見送るのはやはり寂しかったのを覚えているよ。それで又飲みに行っちゃうんだ。

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湯の児温泉 藤本君八代城石垣
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長崎グラバー邸 従兄姉の瑛子さんと正巳さん 平和公園と唐寺 現在は平和像の前はもっと整備されている
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山大経済学部正門前。                        山口県庁のお堀前

               
  
 

私の生涯日誌 その39

2019年  06日 08:30
2016.02.01の記事を転記

 山口大学経済学部の沿革を少し説明する。
1815年 長州藩士上田鳳凰が私塾「山口講堂」を創設。
1905年(明治38年)全国3番目の官立実業専門学校「山口高等商業学校」として設立。
1944年(昭和19年)「山口高等商業学校」から「山口経済専門学校」へ改称。
1949年(昭和24年)国立学校設置法の施行により「山口大学経済学部」に改組。同年4月入学が大学第一期生。
 1958年(昭和33年)4月1日大学経済学部第10期生として小生入学、専攻は経済学科。この時点の学部は文理学部・教育学部・経済学部・工学部・農学部の5学部。1年目は教育課程として全員亀山校舎にて授業。2年目から専門課程として工学部は宇部、農学部は下関へ移動。
 通学の為に中古自転車を購入、現在の様な軽快な自転車では無く普通の自転車、少し軽快に見せる為後ろの荷台を撤去。

 さあここから大学一年目が始まる、流石に一年目は真面目に通学、学科も教養課程だけに高校の延長の様な学科が多く、ただ外国語は英語以外に第二外国語の習得が必要となり、小生はドイツ語を選択するも見事成績は不可、可であれば単位は取れるが成績表に可が残るのは後々に影響する。有難い事にもう一度英語を習得すれば第二外国語の単位が貰える事になり、結果は、良かった良かった。今覚えているドイツ語は「Ich liebe dich」「Dank schoen」位かな。

 隣の部屋の中国語の岩城講師とは殆ど会話も無く、次第に夜が寂しくなり自転車で10分位の所にあった居酒屋「丸福」に飛び込みで入る。その頃には入学祝いに早苗から貰った背広を着てたし、浪人時代から吸い始めたタバコの吸い方も板に付き、顔つきも結構大人びていたので学生とは思われなかったな。

 何しろ暫く通った頃には、隣に座ったサラリーマンから「おじさん、おじさん」とか言われてね、当分それで通す事にしたんだ。実は小遣いはね家から送って貰うだけでは無く、早苗が給料から半分以上送ってくれていたので結構学生にしては裕福だったんだ。この贅沢な生活が私の金銭感覚を狂わしたのは事実だ。

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学友田原君、西本君とで遊ぶ

徒然日誌 嫌な話

2019年  04日 15:05
〇 いつ聞いても嫌なニュースだ。千葉県野田市の小四年10歳の女の子が父親の虐待で殺された。何も書いて無かったから実の父親なんだろう、身を持って防ぐこともしなかった母親もいるには居たんだろう。数年前沖縄糸満市に在住の頃から虐待は始まっており、恐らく野田市に転居したのも虐待を隠す為だったと思われる。

 一番の問題は野田市の小学校のアンケートでこの娘が父親の暴力を伝え、何とかして欲しいと訴えたにも関わらず、このコピーを父親に渡した事である。例え父親からの恫喝があったとは言え、見せればどう言う結果になるか、容易に推測出来る事であり、情報公開条令の違反に当たるし、これにより生徒達が絶対に学校を信じなくなるのは当然である。

 毎度見飽きた事ながら市教委の関係者が、形通りに深々と頭を下げていたが、頭の下げる角度を考えているだけで、この中に心から詫びをしていた者が居たかどうか疑問に思ったのは私だけだろうか。それより何より勤務先では善人面したこんな父親がいたのが怖い。

〇 見るからに何でこんな男にと思われる35歳の広瀬容疑者に殺された19歳お女子大学生、ネットの掲示板で知り合い、始めて会ったその日に殺されたらしい。ネットは顔が見えないだけに、セックス目的か金目的だけの、嘘八百並べて誘惑する輩がいる、殆どがそうだと言っても過言ではない。正常な人から見ればなんでだと思われるが、恋愛経験の少ない初心な者(やはり女性が多いか)には、それが見抜けないのだろうか。甘言の裏には必ず鬼がいるんだよ。

 目に見えないから、嘘の写真、嘘の年齢、嘘の職業・・・を簡単に信じる娘が居るから、騙す悪党がのさばるんだよ。口先だけで騙す電話での詐欺、あれだけ注意を呼び掛けているのに、なんでだろうと常識人は思うが、これだけ騙される人が多いのは、やはり騙す奴が巧妙なんだろうし、直接会っていないからだろうね。

 私は営業を長く続けていただけに、何度も詐欺的な話があったが直接会って話してると判るんだよな。人を疑わずにすむならこれ程幸せな事はないが、今の世の中、情けないけど人を見たら泥棒と思えと言う方が正しいのかも知れないな。変な話になってしまったが騙される方も悪いんだよ。

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 墨彩画(節分)                         ちぎり絵

〇 昨日は節分、我が家も孫と一緒に恒例の豆まきを行った。孫は二人とも鬼になりたがらないので昨年に引き続き、主役の二役を私が受け持った。福のお面は孫娘が、幼稚園で作った17年前の歴史あるお面なんだ。80粒の大豆を食べるのには、流石に2日間かかってしまった。
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                        ひょっこりはんの福